泣き虫なオレの素晴らしき完璧な人生
もうすぐあの世へ旅立つ両親へ(特に心配性な母さんへ)贈る手紙
はじめに
オレは今年50歳になった。東京で奥さんと幼い子供2人の4人で暮らしていたが、数年前からウツ状態に落ち入り、仕事を辞め、去年離婚。自己破産。
一年前から誰も知らない地方で、生活保護を受けながら、誰とも話さず、社会から孤立して生きていた。
この写真は2年前にオレが自殺を計ろうとした時の写真だ
ろっ骨に沿ってマジックで印をつけ、隙間を通して心臓を刺すつもりだった。
人生で初めて味わう絶望的などん底を経験して、初めて見ることが出来た絶景、
何もない所で見つけたほんの少しの〈何か〉は、とても輝いて見えるモノなのだ。
砂漠でノドがカラカラになった時に見つけた一滴の水がこんなに美味しく感じられるのだ。
他にもたくさんの気づいた事があったので、心配しているであろう両親に、「大丈夫になったよ」と伝えたくて、この長い手紙を贈る。
離婚後からずっと一切の連絡を閉ざしていたので、改めて報告するにはどうしたらいいか、悩んでいた事もある。話さなければならない事が多すぎる。
(言葉で伝えればいいんじゃね?)と思うかも知れないが、なにぶんオレは
〈男なら黙って〇〇する!〉
〈顔で笑って心で泣いて〉
〈男は人前で泣くもんじゃない〉
という世代なもので、面と向かうと何も言えなくなってしまうのだ。
どうかあの世に旅立つ前に、この手紙を読んで、ホッとしてから、逝ってほしい。
あなた方の子供が、どんな人生を歩んできたのか、感謝を込めて伝えたい。
ほんとはとても泣き虫だったのだと、知って欲しいのだ。
【「生きる意味」の芽生え】
下記の曲を聴きながら読んでもらえるといいな(Someone Like You/ ADEL)https://music.youtube.com/watch?v=blK4CaZmwTA&si=Fll_GFeKIk9KhIcd
中学時代はバスケットボール部。監督は市内でも有名な「鬼監督」で、県でトップクラスのチームを作る指導者だった。暴力を日常的に行い、生徒指導も兼任していた。「水を飲むな!」という時代で、暴力は愛のムチと言われ、容認されていた。根性が鍛えられるというよくわからない精神にいい影響があるという事だった。
その時代はそれが正義だったという事だ。
喉が乾いてどうしようもないオレたちは、ユニホームの汗を絞ってこっそり飲んでいた。
キャプテンだったオレは、特に怒鳴られる機会が多かった。練習中はなぐられるのが恐ろしくて萎縮し、ミスをしないようビクビクすればするほどミスが増え
結果、多くなぐられるのだ。悪循環。なぐられる回数が100発を超えたあたりで、オレは数えるのをやめた。
朝起きた瞬間から「朝練に行きたくない」と怯え、授業中は(あと何時間で練習だ。)と憂鬱になる日々だった。
そうしているうちにキャプテンのオレは試合でも、ベンチを温めることがほとんどになった。練習でも試合でも、4番というキャプテンナンバーがついたユニホームを着るのがとても辛かった。
他校の生徒や学校の友人に
「なぜキャプテンなのに試合に出ないのか?」と聞かれる事が増え、オレは自分がとても恥ずかしかった。
オレにとっての4番は、自分の〈恥を表にさらすための番号〉になった。
この時、オレは自分の自我にある〈感情の通り道〉の忘れにくい根元の所に〈恥〉という感覚をしっかりしまった。
県大会で優勝した試合は、全校生徒が応援に来て、その中には当時の彼女もいた。試合前に彼女が「頑張ってね」と言ってくれたが、その試合にオレは一度も出なかった。
東北大会で負けた最後の試合は、皆泣いているのに、オレは一つも泣けなかった。
(コレだけなぐられ、これだけ耐えたのに、達成感も得るものも、何もなかった…)というのが、その時の感想だった。母親は「3年間よく頑張った」と言ってくれたが、何も嬉しくなかった。
「苦労は必ず報われる」と教えられたが、全く報われた気がせず、結局の所、よく頑張って得たものは、〈恐怖の記憶、耐え忍ぶ能力、周囲に対する恥の感覚〉だけだった。
この頃から〈周囲からどう見られるか〉が、オレの中で自分の価値を決める重要な事になった。
これは、〈自分がどうしたいか〉よりも優先された。
だから、よく勉強もしたし、部活に比べ授業は怖くないので、天国のように感じられた。成績のいい自慢の息子だと母親が喜ぶ姿を見て、ますます〈他人軸〉は強化された。
この〈周りにどう見られるかが大事〉という気持ちは、オレの脳みその深い土台のあたりに、しっかりと保存された。〈絶対に忘れられない気持ち〉を保管する頭の中の金庫みたいな所だ。
世界は〈周囲の目線〉を中心に回っていた。中心にオレはいなかった。
ちなみにこの時期身につけた忍耐力と、勉強して〈良く見られたい〉気持ちは、オレに「睡眠を削る」という技術を与えた。「最悪、睡眠を削ってなんとかする」事を覚えた。
眠くなったら、裸足になって闘争心を掻き立てるような音楽を聴く。そして、100走のスタートする瞬間のような精神状態に自分を持っていくのだ。当時は映画「ロッキー」のサウンドトラックを使っていた。「アイオブざタイガー」という曲を覚えている。コレをやると、2時間はもつのだ。
のにちコレが「地獄の入り口」になるなんて、思いもしなかった。それは後述するとして…
なぜこんなになぐられて辛い思いをして
それでも休まず練習に行かなければいけないのか?
大人になって、これはどんな役に立つのか?
〈耐える事に意義がある。続ける事が大事なんだ〉と大人は誇らしげにオレに言うが、どう大事なのかは教えてくれなかった。
「大人になればわかる」といわれ、納得したのだと思い込むしかなかった。本当は何ひとつ納得していないのに。
オレは大人にならなければ分からない「何か」の為に、恐怖と恥の感覚に耐えなければならなかった。何ひとつ納得出来なかった。部活動で楽しい事は何もなかった。でも周りが楽しそうにしていると、どう見られるか気になるので、楽しいふりを演じた。
他の部員のように、スポーツ推薦入学を希望すると言う目標もなかった。
そこに情熱はひとつもなかった。
そしてこの時、オレは「生きる意味」について真剣に考え始めた。
耐えるための、納得出来る理由がどうしても知りたいのだ。大人になる前に、今知りたかったのだ。
放課後、倫理の先生に哲学について質問をしたり、聖書を読んだり、ギリシャ神話を調べたり、文学書を読んだり、この世の仕組みに興味を持った。
中2なりに、太宰治の「人間失格」の内容を理解した。神のような何かの目に見えない存在を確信した。
異常な少年だったと思う。表には出さないが変な少年だった。
オレの〈自分を知る旅〉は、4番の背番号になった中2から始まった。
くしくもそれは人生で最も多感な年の出来事だった。
14歳当時
「こうしたい!」40%
「こう見られたい!」60%
「どっちでもいい」0.1%
ちなみにこの文章を書いている今、中学時代の「苦い」思いでは、少しずつ「わさび」のような「食べ方次第で美味しく感じる」思いでに変わっている。
オレの人生を美味しく味わうスパイスなのだ。
そのように見方が変わって行く瞬間をオレは「過去を変える事」だと思っている。それはまるでちんポジを直した時のようにスッキリして気持ちがいいのだ。
だから、親愛なる我が両親よ。どうかこの「息子の苦い思いで」の記録を「美味しく」味わって欲しい。
父さん母さん、オレはあの時心の中で泣いていた。
【こころのとも】
下記の曲を聴きながら読んでもらえるといいな
(Castle on the hill / エド・シーラン)https://music.youtube.com/watch?v=K0ibBPhiaG0&si=1rcI2lNtHrn3jlxa
ここで、ジャイアンがいう所の「こころの友」を2人紹介したい。
1人はWさんという女性。幼なじみだ。とてもキレイなルックスで美人の彼女は昔からモテた。
だが、オレは一度も彼女をセクシャルな対象として見た事がない。付き合いたいと思った事がない。
なぜか、思春期の頃から彼女に〈神聖さ〉を感じていて、それは〈神社や母親の前でエロい気持ちになるなんて絶対無理!〉という感じに似ていた。
エロい目で頑張って見ようとするのだが、絶対無理なのだ。うちの母親はおいといて、ものすごい美人なのにだ。
彼女の母親や担任の先生からは「あなたたち、付き合ってるの?」とよく言われた。
なんと言えばいいか‥色メガネで見る事ができないのだ。つまりそれは、透明で、エロや不安のフィルターがない状態というか、彼女の本質が見えてしまう感覚に近い。その為、彼女に対してはとても誠実にならざるを得ないのだ。
そんな彼女は、オレの人生を左右する危機に何度となく現れ、オレを救ってくれた。一年前に自殺を考えた時も彼女との連絡が、オレを思いとどまらせた。そういう恩人でもある。
この長い手紙の中で、たくさん登場するであろう人物だから、両親にも知っていてもらいたいのだ。
2人目はアキラ君という最も古い幼なじみだ。3歳くらいにお母さんと手をつないで、ウチへ来て「ほら、友達になりなさい」とうながされ、無理やり手を繋がされ、「あーくーしゅ」と誰かがしゃべっていたのを何故か鮮明に覚えている。
誕生日は1日違い。おそらく数時間差だろう。身長も体型も同じ。ちなみにチンコのMAXサイズも比べ合い、同じだと納得した日もあった。
2人とも互いに運命を感じた。
彼は俺にとって「自由の象徴」だ。「自由のお手本」のような人間なのだ。
中学時代、一緒に入部したバスケ部を彼は速攻で辞めた。
居残って「忍耐」を選んだオレに対し、彼は「自由」を選んだ。
一生懸命「努力」したオレに対し、彼は一生懸命「遊んだ」。
だから、互いが輝いて見えて、うらやましくて、誇らしく見えたのだ。
彼の自由さを痛感したある出来事がある。
ある日の学校帰り、オレが自転車置き場へ向かうと、そこにあったのはフレームのみの自転車だった。「悪質なイタズラだ!」と一瞬過ぎるも、少し先の道端にタイヤのみが置いてある。
タイヤに向かって歩くと、その先に前タイヤが見える。
そう!「組み立てながら帰れ」と言う事なのだ。こういう事ができるのは学校中探しても、機械いじりが得意なアキラしかいないのだ。腹が立った。
そして最後のパーツ「サドル」が置かれたその場所で、アキラは大爆笑していた。
オレは起こる気も無くなった。オレにどう思われようと、彼はどうでもいいのだ。自分が楽しい事をチュウチョなくするとても自由な男の子なのだ。
彼の自由さを痛感スル出来事2がある。
子供の頃の彼はオレを「ゼンくん」と呼んでいた。しかし、小学5年の林間学校の頃のオレは、すでにちんこに毛が生え始め、いわゆる発育が早い男の子だったのもあり、「ゼンゲ」というあだ名をアキラにつけられた。
あれから40年たち、今だにそう呼ばれる。「小5でチン毛」という意味の名前だ。
彼はオレがどう思おうと関係ない。「自分はどうしたいか」を優先できる自由な男なのだ。
この2人の友人は、10年ぶりの連絡でも、1週間前くらいのノリで話せる友人だ。だから、長い人生の時々で待ち合わせ、互いをねぎらうのだ。
【〈どう見られるか〉が開花した高校生】
BGMに選んでみました(Lost/yama)
https://music.youtube.com/watch?v=WGGZxfby92Y&si=pen5BAzbVpgGsEKA
市内でトップの進学校に入学した。
合格発表を前にラサール校にも合格していたので、余裕のある合格だった。
うちはお酒の小売店を経営していて(今のコンビニみたいな感じで)、近所のおばさん達のたまり場みたいになっていて、うちの母はとても〈近所の目〉を気にする必要があったようだ。
だから、とても近所に対して誇らしいと思っていたのだろう。
親せきにも、我が事のように報告していた。
オレは母親の期待を充分に満足させた。100点だろう。もうコレで、オレは自由に好きな事をしよう。バスケットなんて忘れよう!〈辛い恥の時代〉は終わったのだ。
オレは、全てのエネルギーを〈どう見られるか〉に注いだ。
(オシャレに見られたい、女の子にモテたい、目立ちたい、注目されたい)…という思いは、とにかく派手な行動をさせた。勉強は全くしなかった。
〈…このように見られたい〉というモチベーションが、頭を占領していた。
バンドを組んでライブをやって、ライブ終わりに女の子たちを連れて飲みに行く。クラスでも中心的なグループに所属して、時にはグループの中心にいた。
地方の狭い同世代の社会で、名前が多少は知られていた。有頂天だった。
中学時代の〈恥〉の感覚を忘れるほどの優越感を感じた。
自分が〈見せたい自分である事〉がとても誇らしいと思った。
しかし、その〈誇り〉は高校2年の終わりにぐずれ去った。
高校2年の留年が決まった。うちの学校は進学校で、成績表の1が2つ以上あると留年する。オレは勉強を全く辞めていた。テスト期間中に停学になった事もあり追試しても、無駄だった。
まだ、1年の差が大きい年ごろだったので、退学し定時制の高校に編入するか、留年するか悩んでいた。
どちらにせよ絶望感しかなかった。
結局オレは留年する事にした。校章のバッジの色が青から赤に変わった。
後輩達は、オレにタメ語で話すのだろうか?それをオレはヨシとするのか?
同級生と後輩と3人でいたらどうなるのか?
後輩たちは、〈さん付け〉するのか〈〇〇先輩〉なのか〈呼び捨て〉なのか…
〈恥〉の〈不安〉で一杯だった。
さらにその年の春休み、更に〈恥の体験〉が襲う。
オレはクラスの親友にあるウソをつき騙すような事をしてしまった。若かったとしか言いようがない正義と友情に最大限に反する事だ。
そのウソが親友にバレた。それは周囲の友人達にもおそらく知られていたのだろう。
それは〈恥の塊〉のような出来事だった。最低で、とてもカッコ悪くて、ダサくて、男らしくないウソだった。
オレは親友に呼び出され殴られた。もっと殴られる為にオレも彼を殴った。
マウントポジションで、殴られ続けたが、オレも暴れ続けた。
殴り殴られながら、オレはずっと恥ずかしかった。それでも怒りの表情を無理に作って殴らせる為に暴れた。
こうして、留年が決まった3月、オレは親友もクラスの仲間も失った。
同時にその日、オレは〈ウソが大嫌い〉になった。堂々と外を歩く事が出来なくなる程、恥をかく事が大嫌いだから、〈ウソ〉は〈恥ずかしい〉と繋がる事になった。
自分がつくウソも、他人がつくウソもだ。
ウソ恐怖症だ。恥恐怖症だ。
その頃はまだ〈自分が自分につくウソ〉の存在を知らなかった頃だ。
母親からは、留年の事を〈親せきには黙っているよう〉言われた。母親は〈オレの事を恥じているんだ〉と思った。彼女も自分の事のように恥じてしまったのかも知れない。近所の噂が怖かったのかも知れない。
わからないがオレにとっては〈隠す事〉も〈ウソをつく事〉も一緒だった。
だからその言葉に、もの凄い過敏に反応をして、ますます母親を遠ざけ、必要な事以外話さなくなった。
まぁ、思春期の男子にはよくあることだ。
新学期が始まった。登校をする時は誰にも見られたくなかったから、誰もいない早い時間に登校した。
下校時も人に見られたくなかったので、少し早めに学校を抜けて図書館に行くか、遅くまで残ったりした。
友達はみなひとつ上の先輩になって、後輩たちが同級生になるという事は、どちらとも仲良く出来ないという事だった。
もう、大学へ行くしか人生を挽回する方法は無かったし、勉強くらいしかする事は無い環境だった。だから、しこたま勉強して2年分を取り返すつもりだった。
2次試験が絵という美術系の大学なら学力的になんとかなる気がして、美術教室にも通い出した。
やっと3年生になった時、俺だけ学生服を着ていた。みんな社会人になって車やバイクに乗り、人生を謳歌している陰で、オレは誰にも見られないように場所を変え、こっそり勉強した。
両親にも勉強している姿を見せたく無かった。オレを恥じた親から「勉強しろ」と言われて「はいわかりました」とはどうしても言いたくなかったからだ。
父さん母さん、オレはあの時心の中で泣いていた。
合計4年間の高校生活の半分はバラ色で、残りは〈恥の地獄〉だった。
結局は中学時代と変わらない、終始〈人にどう見られるか〉が一番の関心事になっていた。
この「恥の記憶」は、オレの脳みそのずっと底にある〈ずっと忘れねーぞ!区画〉に、しっかり、大事に保存した。
今だからわかる事。
オレはそれを、とても大事に、ダイジに、だいじに保存した。
大切だったのだ。オレにとってはとても重要で、「許し」に関する何かで、まるで宝物のように大切にしてきたんだ。
…と今、気がついた。
そして、オレは〈この記憶〉を次第に思い出す頻度が減り、殆ど思い出さなくなり、やがて記憶の奥の方へ消えていく。
これが「手放す」という感覚なのか!…とひとり密かに納得した。
では、手放した(消えた)記憶は、再び思い出すことは出来るのか?
手放した事さえ忘れるのではないか…
…と、果てしがないのでやめておく。
ともあれ、中学時代から続く〈周囲からどう見られるか〉が、更に輪をかけて強くなり、その感情は成長して自分の価値を決める重要な事になった。
今振り返ると、それはオレの〈人生のテーマ〉のひとつだと思うのだ。今だにそれが気になるのだから。
18歳当時
「こうしたい!」10%
「こう見られたい!」90%
「どっちでもいい」0.1%
そして高校卒業と同時に、〈恥の記憶の詰まった〉故郷を逃げるように出た。
地方都市の狭い世界では、偶然誰かに出会ってしまう。
中学のバスケットの部員や、高校の2学年分の同級生にバッタリ会う可能性が大で、外を歩く時、いつもそれを恐れていた。
母親のネガティヴな〈心配〉は、重しにしかならなかった。オレの気持ちに〈ネガティヴに寄り添う〉母親の思いは〈寄りかかっている〉ように感じられた。
〈母親を心配させている〉という悩みが更に追加されるからだ。
いい思い出もだくさんあった故郷だが、その頃は2度と戻りたくない場所だった。
【大学時代】
人生で最も〈自由を感じた〉時代だった。
上も下も無い感じ、学力も感性の強さも努力の数も同じ人々が近くをうめていた。先輩も後輩もない感じ。
授業ではやってみたかった事ばかりが課題だった。陶芸や粘土彫刻、写真現像、友禅染め、シルクスクリーンのTシャツプリント、全裸の本格的なヌードデッサン。
オレの部屋のインテリアは全てオレの作品だった。
イスもテーブルも課題で作った作品だった。
バイトは家庭教師とかもしたけど、ほとんどは夜の飲み屋が殆どだった。
ゲイバーのボーイさんの時もあれば、バーテンだったりした。
夜のお姉さん達によくモテた。
大学でもよくモテた。学食で相席を求められる事も時々あった。みんなバイト先にまで飲みに来てくれた。お金を払ってオレのために来てくれるのだ。とても嬉しい気持ちをたくさんした。
休学してパリとかも行かせてもらった。初めての海外に、初めての一人旅で、〈初めてばかり〉の体験の期間だった。
やりたい事を〈全てやれている時〉だった。
やりたい事を〈残らず〉やった。
初めてだらけの楽しい時代だった。
オレの人生の中で最も輝いていた時代だった。
今思うと、よれがあったからその後の〈苦労〉を耐えられたのかも知れない。
…それほどの〈影響力〉を持つのが大学生活だった。
それを可能にする…そういう環境だった。
【社会人 オレは何者になるのか】
大学卒業前、オレは〈自分のイメージする世界感を表現したい〉という思いに取りつかれた。
映画監督のリュック・ベッソンや、エイリアンのデザインをしたギーガーの作品が好きだった。
仕事は何がいいかと考えると、そういうSF世界の空間表現がしたい。
そこで、映画監督を目指す事にした。
大学までの経歴では、狙えるポジションだ。
そこを目指して世を渡っていこうと思った。
当時そこに近いのは〈ミュージックPVの監督〉だったから、音楽番組のディレクターになった。
そのうちにミュージックPVの仕事は出来るようになった。
そのうち、ホントにやりたい事より、金まわりのいいバラエティー番組をやるようになった。
その頃から映画監督の夢を少しずつ諦めていった。
ある同い年の番組ディレクターがいた。彼は空き時間に自主制作の映画を作っていた。稼いだ金をけっこう注ぎ込んで本気でやっていた。
オレは彼をあまり見たくなかったので、避けるようになった。
多分、やりたい事がやれていない自分が嫌だったのだ。彼を見ると、そういう自分を思い出すからだ。
で、結局は映画監督になっていない今がある。
でもまぁ、番組ディレクターも悪くはなかった。
いろんな衝撃的な人や場所、物に、数多く出会った。そういう仕事だった。
イタリアのナポリに、日本のトマトと現地のトマトを食べ比べてもらいに行ったり、
インドの南の方にいる〈太陽光のエネルギーだけで生きているというおじさん〉に会いに行ったり、
アメリカのセドナに、UFOを見に行ったり、
がびょう工場で働く〈1000個のガビョウの検品を3秒でやるおばちゃん〉に会いに行ったり
コロナ禍で会社が倒産して宅配のアルバイトしている方に話を聞いたり、
大臣経験者と打ち合わせしたり、災害現場から中継したり、大企業の社長と打ち合わせをしたり、大使館の広報と打ち合わせをしたり、元暴力団幹部と話したり、浮浪者のおじさんとテントの中で一緒に年を越してみたり、
それぞれの場所のいろんな人の人生に触れたりする事が出来た。
どれもこの仕事じゃなければ出来なかった体験だ。
オレの知りたい事をどの現場に行っても知る事が出来た。
でも、そこは日本でも屈指のブラックに近い環境だった。
良くも悪くも〈日本一特殊な環境〉だった。
テレビ局では許されていないが、下請けの小さい制作会社では許されていた環境だった。
徹夜が余裕で認められていて、会社のイスを並べて寝る事はザラにあり、風呂に入らない日の方が多い環境で、それが全く苦にならない精神状態だった。
思えば、大量のエネルギーを摂取し消費する毎日だった。
それは長年続いて、もはや人生そのものに近い感覚になるほど続けた。
【奥さんの章1〜運命というやつ〜】
BGMに選びました(September song/JCクーパー)
https://music.youtube.com/watch?v=4ZaXeF2jLw4&si=jLpN1wnXuFwJggab
奥さんとは飲み会で知り合った。その後電話をちょこちょこするようになった。なんとなくだ。
その後、毎日のように電話するようになった。なんとなくだ。
知り合って3ヶ月経った頃で、既に顔を思い出せなくなっていた。
ある日、電話中にふと(あっ、オレ、この人と結婚するんだぁ〜)と思った。
頭の中で突然映像が再生された。
彼女が台所で料理をしている映像
どこか知らない場所
既に結婚している
…これは一瞬の白昼夢だった。
でも、それはとても異常な事だった。
〈既に結婚している状態〉を体験した。
〈既に結婚している状態〉の記憶があった。
その記憶を思い出した。
顔と周囲は、ぼんやりしていた。
「運命を感じる」とはこの事だった。
(オレの将来の奥さんはどんな人なのだろう)
とても興味が惹かれた。
それは彼女にも伝えられた。彼女は不思議と〈頭がおかしい〉とは思わなかったようだった。
まだ、付き合ってもいないし、恋に落ちてもいないのだ。
今、思い返すと〈そういう種類の恋〉だった。初めての〈恋の種類〉だから気がつかなかったのだ。
彼女といると、不思議な事が次々と起こるようになった。
彼女と初めての旅行で行ったバリ島で、夜に不思議な体験をした。
コテージのテラスで一人気持ちよく瞑想していると、突然頭の中に大きな光があらわれて〈ハロー〉に似た感情を受け取った。
〈自分達の子供の魂〉だとすぐにわかった。
なぜだか嬉しくて涙が出て来た。
テラスに来た彼女に事情を話したら、すんなり信じてくれた。こんなにバカげた話なのにだ。
そしてその夜に〈着床〉は成された。
それから十月10日後、女の子が生まれた。
あんまりロマンチック過ぎて、オレは有頂天だった。
彼女といると、不思議なミラクル体験が連発するのだ。彼女は本当にすばらしい。
彼女はとてもテンシンランマンだ。
コロコロ自分の大好きなものに気を向け、本当に楽しそうにしていた。
オレはそれに合わせて彼女を眺めるのが楽しかった。
互いに全く飽きる事がなかった。
彼女はイヤホンでアムロちゃんを聴きながら、突然大きな声でサビの最後を歌い出したりする。
びっくりするほど面白い人だと思った。
夜に寝る前は、たっぷり1時間スキンケアをしながら、きょう一日を思い返して感謝するのだという。
まるで女神のような人だと思った。
子供が泣いた時のあやし方が母さんとそっくりだった。
「感謝が好き」とかわざわざ言う所や〈感動屋〉な所が、母さんと姉ちゃんにそっくりだった。
とてもオーバーな感情表現が、母さんと姉ちゃんにそっくりだった。
彼女は美しかった。キラキラしていた。
オレも彼女もきっと普通の容姿なのだろう。
でも彼女は、顔も、姿も、どんな表情も、たたずまいも、声も、髪のにおいも、人格も、心も、全てがパーフェクトだった。
オレは自分の運命の人があまりにも完璧なので、とても誇らしかった。
「自分はそんな彼女に見合う人間だったんだ。オレも完璧だ…という事だ。やった!」
「…この〈完璧〉はずっとキープしなければならない。」
オレはそれからずっと〈完璧な自分〉をキープし続けた。
良き夫であるよう努めた。
オレはお金を稼ぐ係で、それだけは充分に余裕がある程度は最低でも稼ぐ必要があった。
そのため、仕事を増やした。
オレは最高50時間連続で眠らずに働く事が出来た。
昔のテレビ業界では、自慢になる事だった。
フリーランスだ。やればやるほど金が入る。
50時間眠らない男
→忙しい男
→金を沢山稼ぐ男
→仕事がデキル男
→社会的に勝っている男
…という具合いだ。
そしてオレは睡眠をガツガツ削り続けた。
学生時代に養った眠気への忍耐力が、それを可能にした。
(ヤバい速くやらないと間に合わない)という気持ちを利用して、興奮状態をキープし続けた。
脳へのダメージは考えもしなかった。
お金がたくさん入ってくるから、いい事だった。
オレは〈にんじんをぶら下げた馬〉に、喜んでなっていた。ヤル気になっていたから気がつかなかったのだ。つらい事にさえ気がつかなかった。走るのに夢中な馬だからだ。途中から何のために走っているのかさえ考えなくなっていた。
家に帰るのは3日に一度。
フロと子供と奥さんとの少しの会話と睡眠をして12時間を過ごし、また出かけた。
自分の係りはキチンと全うしているので、奥さんはストレスもなく幸せなんだと思っていた。だからオレも自分が幸せだと思っていた。
〈ニンジンをぶら下げた馬〉が家族を幸せになんて出来ないって事は誰も知らなかった。
【頭がこわれていく】
(For The First Time/ボイスアヴェニュー)
借金が発覚した時の頃を今考えると、その忙しさは異常だった。
オレは3日間で合計睡眠時間8時間…というスケジュールも時々立てていた。
もうそれは〈当たり前の事〉になっていて、それが週一になったり週二になったりした。
だから、平然と安易に継続して2年間維持していた。
いろんな制作会社の案件をテトリスみたいなパズルのスケジュールを組むだけで、頭のエネルギーを膨大に消費する。
出来の良い秘書を頭に飼っている感じだ。
それだけのパズルで組まれたスケジュールには、〈余裕がない〉のだ。1ミリのスキマもなくて、〈分とか秒〉とかの世界に時々なるのだ。
ずーっと、ずーっと、スキマが細くなって金属の糸になってく感じだ。
で、それはやっぱり切れるんですよ。
ミスしまくるんですよね。オレ。
遅刻しまくるんですよね。おれ。
結構ひどいんですよ。コレが。
ありえないヤツとか、週一でやっちゃうんですよ。
それでも、気づかないもんなんです。その時は、おかしくなってたって。
寝てないせいだって思わないんですよ。
〈オレが悪い〉って思うんです。
まわりに〈申し訳ない思い〉で接するようになるんです。
〈ダメなオレですいません〉って思うんですよね。不思議なもので。
そんなある日、オレは彼女の洋服の全てにハサミを入れた。高価なそうな洋服の全てをダメにした。
オレは高価な洋服より、オレの方を見て貰いたかった。必死こいて働いてるオレを見て欲しかった。
自分より大事にされる洋服が許せなかった。その思いを、その行為で彼女に訴えた。
後日彼女は「なぜあんな事をしたの?」と聞いて来た。無邪気に聞いて来た。
それでオレは〈彼女から愛されていない事〉を絶望的に確信した。
今思えば、もうその頃〈オレの心は壊れていて〉彼女がそれに気づいていなかっただけの話だが、オレはその時〈絶望〉していた。
そもそもずっと前から彼女はオレを見なくなっていた。
子供と洋服しか見なくなっていた。そして、それさえも〈運命〉だった。
【他人は自分の鏡】
下記の曲を聴きながら読んでもらえるといいな
(ONE/ Amir)
https://music.youtube.com/watch?v=IvKIiRKmnSY&si=zQcpudW355s-a9W8
他人は文字通り「自分を写す鏡」なのだと、ダリルおじさんという人が言っていた。自分以外の全てがそうだというのだ。…意味が分からない。
家族や恋人は、特に自分の嫌なところを写し、自分に近いほどその傾向は強くなるのだという。
自分にとってのその人は、なんならその為にいるようなものらしい。
生まれる前のまだ魂の状態で、その2人は〈良き人生〉の為に互いが〈イヤな自分〉をうつし合う役を演じると、約束するらしいのだ。
ちょい怪しい話に聞こえてくるが、自分の体験に当てはめて見る事にした。
オレは奥さんとの関係が悪かった。うつ状態だったからだ。奥さんは知らない所で「オレの姉」と連絡をとっていたらしい。
オレは常々「姉は天才で、子供の頃から頂点に立っているような人だ。同性の後輩から大量のラブレターをもらうような人だ」と自慢していた。
オレの奥さんはすぐに〈どうしていいか分からなくなる〉タイプの人だった。
オレと姉は〈どうしたらいいか直ぐに分かる〉タイプだった。だからオレとの事を相談すれば、何とかして貰えるんじゃないかと思ったのだろう。
目的も分からず、伝えず、電話をして、オレに対する「悪口」にならない程度に見せかけた〈グチ〉をただ聞かせていたようだ。
ある日オレは、実家に里帰りした。駅に迎えに来た姉が、夫婦間の問題を抱えているオレに、車の中でこう言った。
「あなたは結婚に向いていないんだよ」
今思えば、この言葉の受け取り方は100通りくらいある。つまり、オレの心の状態次第で変わるということだ。
その時のオレの心の中は
(結婚に向いていないとかなぜ分かるのか、オレが家族を守る為にどれだけの努力をしてきたのか知りもしないで、オレでさえ分からない事を、何を根拠にしているのか、表面で見ている事を根拠にしているなら、それは間違いだ!だってオレの気持ちは何ひとつ貴女に伝えていないんだから!そもそも自分をジャッジ出来るのは、自分しかいないんだよ!)
長い長い呪いの言葉が心の中で、洪水のように押し寄せて来て、家族を呪うこの状態がとてもイヤだった。
当時、オレは家族というつながりを守るため、何日も徹夜で仕事をして頭がおかしくなって、ウツになって、2年後に妻に暴力を振るってしまった。
そうまでして守りたかった家族なのだ。
それは、とてもではないが「向いてない」で片付けて欲しくないし、それはオレの全存在をかけて絶対に認めてはいけない言葉だった。
しかしだ、今考えると他のとらえ方が100通りほど思いつく。
(なんとなく言ってみただけ)
(オレの事を心配してくれている)
(もっと自由に生きるって手もあるよ)
(どのくらい悩んでるのか軽くつついてみるか?)などなど
その後、姉は続けた。
「子供が幸せじゃないのはダメだよね」
オレはまた言葉に詰まった。心の中ではこうだ。
(また得意のジャッジだ!オレはまだしもオレの子供の〈幸せ度合い〉までジャッジされている!貴女はあの子の笑顔をどれだけ見たことがあるのか!オレは何万回も見ているあの笑顔を知っているのか、家族を引き離そうとしているのか!)
…更に強烈に呪った。最もネガティブな反応を反射的に選んでいた。
仕事を失い、自尊心を失い、自分を恥じていたオレは、自動的にその反応を選んだ。
姉がどういう意図で言ったのかは姉しか分からないし、通りすがりの人がたまたま聞いたとしたら、何の意味も持たない言葉になるだろう。
その言葉は、受け手によってのみ意味付けされる。
オレの中にある〈呪い〉の感情は、姉の言葉(オレから見た姉)というカタチで、反射して、オレに返ってきて、そのまま〈呪い〉は写し出された。
これは、どのような気分でいるかにより、受け取り方が変わるということだ。
あの時の車内で2人に起こった事実が、今この文章を書かせている。過去が未来を作り今に至る。そして、今が過去と繋がり過去を変え、その過去が別の新しい今を作る。
そう考えると、あの車内の最悪の空気が、険悪な呪いが、まるで神殿の中で何かの儀式をしていたような気がしてくる。
そして、今、オレの中の「姉を呪った」記憶は、「姉と呪いの儀式をした」記憶に変わった。
そして更に今「姉と神聖な儀式をした」に変わって行く。
うまく言えないが、コレが「他人は鏡」の正体だ
だから、いとしい我が姉よ!あの時の醜いあなたは、決して醜くはなかった。醜いのはオレだった。
あなたは、昔も今も変わらず美しいのだと思う。
貴女はオレで、オレは貴女だ。オレの覚醒していくサマを文字を通して体験しながら、貴女は覚醒していく。
そしてそのサマを見ながら、オレは覚醒していくんだ。
追伸
先日姉から「大好きだ!」的なメールが来た。「あなたはすごい」と感動しているのだ。
姉よ、確かにオレを大好きかも知れないが、それは「自分が大好きだ!自分を誇りに思う」と同じ事だ。だから気持ちがいいのだろう。
オレも姉が大好きだ。つまり自分のことも大好きだ。コレからオレはたくさんの大好きな人を作り、「〈大好き〉を写す鏡」を演じていこうと思っている。
【奥さんの章2〜核のボタン〜】
この章のBGMです(anytime anywhere/milet)
https://music.youtube.com/watch?v=4jdRx0gXl3k&si=J6YHF8ZVp_Q4mhtW
あなたは〈核のボタン〉を押した事があるだろうか?
例えば軽いもので〈絶対に押してはいけない消火器の非常ベルのボタン〉や、〈電車の緊急停止ボタン〉などもある。
オレの中の家族崩壊には、2つの〈核のボタン〉があった。
一つは奥さんへの暴力
一つは義父を傷つける言葉
今思えば、この2つは〈奥さんからの愛を失ったオレが、その未練のようなものを物理的に断ち切る為に、どうしようもなく必要とした行為〉だった。
〈奥さんに愛されていたい〉という強い〈未練〉だった
〈オレがそれまで生きた人生の全ての経験によって〉そこに追い込まれていた。
〈奥さんへの暴力〉に至る表面的で物理的な経緯は、奥さんが作った借金が原因だった。
それが発覚したのは離婚の4年くらい前だった。
発覚してもなお、2年に渡り月に15万ほどの洋服や化粧品を買い続けていた。
止めるよう責め立て、大声を出すオレ。
引き下がらない彼女。言ったとか言わないとかの、どうしようもない〈怒鳴り合いのような会話〉
互いに〈相手が最も嫌がりそうな言葉〉を選び出し、ひどい言葉で傷の付け合いが始まる。
きっと当時は彼女の状態も良くなかったのだろう。
もしかしたら仕事ばかりで家に帰らないオレを不審に思っていたのかも知れないし、家に帰っても疲れているオレの態度に傷付いていたのかも知れない。
何かのストレスでおかしくなって何かを〈高い洋服〉で埋めたかったのかも知れない。
永遠に分からない事だ。
その中で、オレが特にフォーカスした(注意を向けた)事のひとつは
〈彼女がそのひどい言葉を(酷いことば)だと、気付かない事〉に怒っていた。
今思えば、互いがそうだったのだろう。
何気なく反射的に出たであろう言葉は〈とてもオレを傷つける言葉〉で、
ちょうど自分も気にしている事で、
とても努力したけど出来なかった事で、
仕事が少しずつなくなって来ている時で、
会議に寝坊したり、電車で寝過ごしていた時だったから、とてもひどい言葉に感じてて、
そんな〈ひどい言葉〉を言う人でいて欲しくなくて、
そんな〈ひどい人〉でいて欲しくなかった。
なぜなら、全ての言葉が〈もうオレを愛していない〉事を証明する言葉だったからだ。
オレには全ての言葉が〈もう愛していない〉に聞こえていて、彼女はそれに気づかずに〈もう愛していない〉と言い続けているように見えた。
オレはどうしても、どうしても、どうしても、それを受け入れる事が出来なかった。
自分の愛する人は絶対にそうであってはならない。
あなたはオレが愛する人なのだ。
誇り高い女性でなくてはならないのだ。
自分にふさわしい程の分量で〈誇り高く〉あって欲しいのだ。
それではダメだ!
だから貴女が言った〈ひどい言葉〉をオレは絶対に認めない!
絶対に否定する!さぁ攻撃だ!
貴女が言った〈ひどい言葉〉を〈ひどい〉事だと認めさせてやる!
そして、彼女に〈誇り高い自分〉を取り戻すんだ!
元の彼女を取り戻すんだ!
〈オレを愛している彼女〉を取り戻すんだ。
さぁ攻撃の時間だ!
「あなたはどう思う?普通の私の友達は、(月80万はないと生活できない)と言っていた。」
「今のあなたの年齢で、普通は60万くらいの手取りなんじゃない?」
…その言葉は、オレに起こっていた社会的なひどい状況や、オレの本当の気持ちを知らない奥さんが、無邪気に口にした、口喧嘩のただの反論だったかも知れない。
だって、オレはそれまで〈奥さんに辛い顔は絶対見せない男〉で通してきたんだ。
とてもツラいのに〈余裕な顔〉をするのが、とても得意だった。
中学生の頃から鍛え続けてきた事だ。
心とは関係なく〈平気な顔をする〉
それが男の〈正しい在り方〉だと、なにも疑わず思い込んでいた。
だから、奥さんと子供をとても深く愛していても、
表には〈平気な顔〉を作って見せていた。
睡眠を削り働く事で、それは伝わっているモノだと勘違いしていた。
〈愛情表現〉が上手く出来なくなっていた。
〈良き夫〉であらねばいけないのに、心の中では本当は今にも泣き出しそうだったんだ。
(前みたいに、変わらず愛して欲しかった。)
(愛だけは、変わらずにいて欲しかった。)
とっくに〈良き夫〉ではなくなっているのを、オレは彼女の前で認めたくなかったんだと思う。
〈オレは頑張っている〉から、〈愛されない理由〉が分からなかった。
そこからは、相手が敵なのか味方なのか分からなくなるほど、互いの弱点を互いに狙った会話になっていった。
ネガティヴな思いに満たされた会話の中で
だんだんとオレの大切な奥さんが〈大切じゃなくなってしまう事〉が許せなくなっていった。
そうさせているのは、目の前にいる奥さんだ。彼女にもっと激しく、厳しく言って聞かせないといけない。
オレは〈奥さんが大切だ〉と思っていたい。
ずっと思っていたい。コレからもずっと。
目の前の敵は、それを壊そうとしている。
その敵は〈大切な〉奥さんだ。もう訳がわからない。
そして、さらにもっと厳しく強く罵倒する。
その頃になると、当初の目的はどこか見えなくなってしまっていて、罵倒する事が目的みたいに見えてくる。
当然、怒りも膨れ上がっていく。
目的は罵倒する事だ。
怒りがあれば上手に罵倒することができるからだ。
罵倒するための調味料のような関係性で、怒りはエネルギーを増していった。
長いあいだ睡眠を削ってダメージを受けてウツ状態にあったオレの脳は、怒りのコントロールが出来なくなっていた。疲弊し過ぎていた。何もかも上手く行かなかった。どんな行動も悪い結果しか生まなかった。
こうして互いが相手を信頼しなくなり、日々関係は〈暴力の日〉に向かって冷えていく。
父さん母さん、オレはその時心の中で泣いていた。
【暴力の夜】
下記の曲は章のBGMに選びました(Scars To Your Beautiful(あなたの美しい傷あと) /アレッシア・カーラ)https://music.youtube.com/watch?v=Dcva-RsC73o&si=zskov6WEZHdnJ6Y5
ある日、オレは口論の末(もう彼女の愛を失ってしまったんだ)と何かをあきらめた。
「愛」を失うという事は、
「愛される資格」がないという事で、
「自分は特別じゃない」という事で、
「そんな自分をオレは許せない」という事で、
喪失感や落胆を感じながら「自信(誇りやプライド)を失う」という事だ。
その〈自信〉は〈自分を肯定するもの〉で、
〈オレの生きる意味〉からは近い所にある感情で、
もしも失ったら〈生きる意味が無くなる〉もので、
〈自殺〉から近い所にある感情だ。
そして、それらの〈愛を失い自信を失い、生きてはいけない〉事は、〈本能〉の近くにある。
もうそれは感情と呼べない深さのもので、感情の基礎になる所だ。
その心の深い所でものすごい〈アラート〉が鳴る。
「ビービービービービービービービー」と永遠に警報が続く。
「絶対にナントカシナケレバならない!」
そして現実世界で2年前、オレは奥さんに手を振り上げた。
オレは奥さんの発した言動を見聞きして確信させられた。「オレの最も大切な〈奥さんの愛〉を失ってしまった。」という事だ。
「〈奥さんの愛〉を奪ったのはお前だ!」と奥さんに向かう。
本能の近くで(死ぬしかなくなる)というアラートが鳴る。
奥さんと子供たちは、〈オレの生きる理由〉の大半を占めている存在だ。
「絶対にナントカシナケレバならない!」
オレはまた手を振り上げた。オレが失った奥さんの愛は、オレの本能にアラートを出させる程の価値のあるものだった。
その愛は〈絶対になくてはならないもの〉だった。
その〈愛〉を持っているのは奥さんだ。
彼女を愛すれば愛するほど、彼女の愛が必要になり、彼女の愛が必要になり、彼女の愛が必要になる。
しかし、オレは彼女の言動で〈愛が失われた〉事を知る。
愛していればいる程、激しい憎しみが湧いた。
「憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。」
彼女がそんな事を言うなんて信じたくない。
絶対に否定しなければならない。
言葉で言っても通じない。もう暴力しか無いのか。
「憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い」
暴力を振るうと全てが壊れる。それだけはいけない。そんな男では〈愛を受け取る資格〉さえ失う。
いやまて、その〈受け取るはずの愛〉はもう既に失われているんだ。
絶望する。
「憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い」
(いや、もしかしたら失われていないのか?)いちるの望みを抱いて奥さんに言葉をかける。
最大限の怒りを込めて。
重大な事だと分からせるために。
オレの生死に関わる大事な〈奥さんの愛〉についての事なのだ。
その重さの分だけ乱暴に怒鳴り散らす。
「憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い」
(本当にオレは愛を失ったのか?)と同義の罵声を浴びせる。罵声を浴びせながら〈確認〉をとる。
そしてまた奥さんの言葉を聞き、絶望する。
「憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い」
彼女はオレを愛さなくなった。いや、とっくの前から愛していなかったのだ。
今さら何をしようが変わらない決定事項が、ずっとそこにあったんだ。
〈「奥さんの愛」に対するオレの未練〉はとても強烈だった。
遂にオレは、いちるの望みを抱く事をあきらめて、
何度も味わう絶望に耐えられなくなり
全ては壊れてしまったんだと言う事を決定する為に
「憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い」
絶望しながら奥さんに手をあげた。
くしくも〈愛を失う〉にふさわしい行動を取っていた。
暴力の瞬間、オレは心の中で泣いてはいなかった。
心の中は〈無表情の絶望感〉だった。
人は絶望している時、決して涙は出ない。
暴力の相手は〈彼女に写った自分の感情〉だった。
オレは彼女の中に、自分の感情を見ていた。
彼女を見ると〈自分のイヤな部分の感情〉がよく見えた。
オレは〈愛を失った自分の絶望感〉に対して、暴力を振るっていた。
それは、〈現実世界の物理的な未練〉を断ち切る行為だった。
しかし、オレの〈心の世界の愛〉は断ち切られていなかった。
オレにとって、奥さんは子供たちとセットだった。
〈愛さない事〉は不可能だった。
そういう事を全てひっくるめたのが「絶望」だった。
〈奥さんへの愛〉は、ネガティブな思考の大きなエネルギーの流れに乗って、いつの間にか〈暴力〉に変わった。
〈暴力〉というエネルギーは、〈愛〉で出来ていた。
愛というものの中には、〈暴力〉という行為もあったという事だ。
そして、暴力があったから関係が終わったのではない。暴力があった少し前に、〈愛し合うという関係〉は終わっていた。
オレだけが1人で、一方通行で、それでも愛していた。
今さら自分のやってしまった行為をよく見せようなんて思ってはいないんだ。
オレの中に(暴力)があったのは紛れもない。
ただ最近ようやく、自分を否定する事に疲れた事は認める。
一年近く、拷問のように自分を罰したのでソロソロ許してもいいかと思っているだけだ。
1日10キロ近く走り、500キロカロリーを消費して、年間3650キロ走った。
北海道の先から沖縄までは余裕で走った計算だ。
そして、ようやく許してもいいかと思える。
奥さんの心の傷を思えば、気が引けるが、コレがオレの正義感の限界なのだ。しかたがない。
だが、こうも思う。
この暴力を振るうという出来事は、〈魂同士で約束した〉たぐいの出来事だったという事だ。
魂は良くも悪くも俺たちに〈気づき〉をしいる。
スピリチュアル好きの人も〈生きる意味〉を〈気づき〉だと言う。
だからオレは〈オレの中に暴力がある事〉に気がついて、解析して、それを受け入れた。
それは脳みその〈気づき済み〉のラックに保管する。
そうすれば、もう自分の暴力に気づく必要がなくなるので、二度と起きないのではないかと思えるからだ。
奥さんもきっと「絶対に忘れられない出来事」として、それをトラウマのように頭に刻み、何か必要な事を気づくのだろう。
魂同士の約束とはそういうモノだからだ。こうしてオレの奥さんは、完璧な鏡として、オレの中の〈とても醜い愛のカタチ〉を見事に浮き彫りにし、写し出した。
そして、自分が選び愛した女性をオレは〈本当の意味で憎んではいなかった〉事に、とてもホッとしている。
怒りが、愛だった事に何故だかとてもホッとしている。
自分の醜さが和らいでいくような感覚を覚える。
コレが〈気づきの効果〉なのだろう。
以前より自分が許せるようになった気がする。
失ったものに対して、だいぶ高い授業料になった気がするが、その〈気づき〉はそれくらいの価値のあるものなのだと信じたい。
【命のつな引き 心と命のどっちが重い?】
下記の曲はテーマソング的に選びました。曲中の「ピーピーピー音」がなんか「生きてます」に聞こえたので…
(Start again/カート・ヒューゴ・シュナイダー)https://music.youtube.com/watch?v=XH-nEDUu1Ng&si=IJyllZU0cILWWKuQ
さて、今日はいよいよ一年半前の自殺をはかろうとした夜の事を振り返ろうと思う。
ずっと考えるのを避けていた感があるけど、やっと心の準備が出来たのだろう。
ふと、そのように思いついた。
そもそも自殺を思い立ったのは、仕事を失い、ウツ状態で、妻に暴力をふるい、妻が子供を連れて出ていった後だった。
最後に唯一残った「家族」を失い、これで全てを失った事になる。
幸せだった家族がいない。
毎日幼稚園に迎えに行った子供たちがいない。
アムロちゃんの鼻歌を本気で歌う奥さんがいない。
あんなに貴重なものを失った。
ウツになるほど頑張って寝ないで働いて守っていたものを失った。
オレは、どうすれば、いいんだ!
ドウスレバイイノカわからない。
結果、オレは何もできなかった。ただソファーに座った。
....突然、いろいろな絶望感をともなって恐ろしい記憶が勝手に頭の中で再生され始める。
それはとても強い勢いがあって、気をそらす事を許してくれない感情の流れだった。
(子供がいない、お前が悪い、オレは正しい、なぜオレは暴力をふるったんだ、オレは悪くない、後輩に怒鳴られたオレ、あんなに頑張ったのになんでオレが悪いのか、オレのことはどうでもいいのか、なぜオレの家族を奪うんだ、返してくれよ、もう帰ってこないんだ、オレは全てを失ったんだ、そういう男なんだ、オレは暴力をふるう男なんだ、仕事もミスだらけのダメな人間なんだ、家族には相応しくないんだ、、、、、、)
といったようなネガティブな感情がの洪水がものすごいスピードで突如発生するのだが、これが耐えられない痛みをともなう。感情なのに痛いのだ。
最初は5分続いて5分おさまって〈虚無〉があり、また始まって…を繰り返す。
この〈虚無の5分休憩〉が一番恐ろしい。頭をギリギリ正常に保つからだ。
その〈休憩〉が挟まることで、また1から〈洪水〉を体験する事になる。
「感情の洪水」が続く時間が段々と長くなってきて
苦痛が耐えられなくなり
死ぬ事が〈救い〉に感じられるようになる。
楽になりたくなる。
もうだぶん次の大きな波は耐えられないだろう。
オレは折れたい。耐える自信がない。
死ぬ準備をしておこう。
いつ折れてもいいようにしよう。
そしてオレは急いで心臓の正確な位置をググッて、ろっ骨の間をキチンと把握した。間違って肺に刺したら、痛いだけだからだ。ラクにならないからだ。
オレは上半身裸で、マジックで心臓の位置をチェックし、片手に包丁を持って一日を過ごした。
自殺とは、命より心を優先させた結果に過ぎないんだと思った。
「命より大事なものはない」と言われるが、「心」は「命」よりも大事なんだとオレは今でも思う。
実際は「心」の方が大幅に重かった。「命」なんて速攻でどこかに吹き飛ぶのだ。すぐに「命」は考えなくなるモノなのだ。
自殺を引き止めるのもまた「こころ」なのだが
その感情の洪水のような心のなかで起こった事を思い返す。
オレの自殺を後押ししたモノ(痛み)の一つが〈正義感〉だった。
こんなにもサイテーな自分は死んであたり前、責任を取るには命が必要だ。
・大事な会議に寝過ごしたオレ
・納期に間に合わなかったオレ
・後輩に怒鳴られたオレ
・奥さんに暴力を振るったオレ
・子供に会う資格のないオレ
・奥さんと子供がいなくなったオレ
洪水のように頭の中をとめどなく襲う思考。何度も何度も同じ事をリピートする思考。
一生懸命ほかの事を考えようとするが、大きな勢いで洪水にモッて行かれる。
どれもオレの正義感が〈絶対的な否定〉をする。
どれもオレの正義感が〈生きる価値が無い〉と断言する。
しかし、自殺を思い止まらせる〈正義感〉も同時に存在した。〈自殺は良くない、迷惑をかけちゃいけない、誰かを傷つけてはならない〉という社会的な正義感だ。
同じ〈正義感〉が綱引きを始めるのだ。
痛くないのか?怖くないのか?
そんな事を思う資格はあるのか?イヤ無い。
そしてこの〈つな引き〉自体が、そのままのエネルギー量の〈絶望感〉に変わる。
絶望感でどうしていいのか分からなくなる。
どうしていいのか分からない〈虚無〉になる。
そして何度も何度も同じ「洪水」と「虚無」が繰り返され、
同時に、ずっと、ただただ〈絶望〉する。
オレはこの時〈本当の絶望〉というものを、生まれて初めて味わった。
残念ながら、それは言葉では表わす事が出来ない種類の感情だった。それに当てはまる言葉がない。
もう一度考えるが、やはり言葉では無理そうだ。
どちらにせよ、そこには〈死にたくない〉が入り込む隙間がない。
〈死にたくない〉は、物理的に考える事が不可能なのだ。
だから〈死ぬのが怖い〉事もない。
〈死〉は只の〈救いの最終ライン〉だった。
父さん母さん、オレはあの時心の中で泣いていた。
誰か他にも同じような事を考えている人がいたら、是非言いたい。
オレたちが 今そこにいるということには、必ず理由がある。どんな理由かはわからないけど、必ずある。
必ずだ。100%の保証をしたい。大事なクリスタルの石を賭けてもいいくらい本気だ。
ちなみに〈正義感〉という感情はネガティヴかポジティブであらわせば、ネガティヴ(分離的・断定的)な感情だと思う。
何かを断定する。〇〇ではいけない。正義感は人を縛る。〇〇してはいけない。正義感が振るわれるのは、許せないものに対してだ。
一見いい事に見えるから、堂々と振りかざすけど、怒りや嫌悪とカテゴリーは同じなんだと思う。
良心にも見えるから、分かりづらいだけで、人を傷つける感情だ。相手が〈悪モノ〉ってだけで、堂々と振るわれる「悪意」な気がする。
【核のボタン その2】
https://music.youtube.com/watch?v=gI1I7t4ABOs&si=-gO8CnC2TH8dOani
オレが自殺を考えて上半身裸で過ごした日、奥さんのお父さん(義父)と電話で話し、彼を決定的に傷つけた。
離婚を決定づけ、子供と会えなくなる事が決定づけられる〈ボタン〉だ。
暴力を振るい、奥さんが子供を連れて実家に帰っている時で、オレは絶望真っ最中で、このまま行けば確実に〈親権〉が持って行かれる状態で、それだけでもなんとか〈奥さんを揺さぶって〉なんとかしなくちゃいけない時で、奥さんの人間性を責めながら〈子供を諦めさせよう〉としていた。
最後の1%の抵抗は、全く意味をなさない罵倒で、あからさまな〈攻撃〉で、相手をどれだけ傷つけてもよくて、傷つけた分だけ得をする…という感じだった。
奥さんも興奮と怒りの真っ最中で、多分見かねた義父が間に入ろうとしたのだろう。
〈今後の事〉を話すという。
〈自分は娘の代弁者〉で、〈気持ちの代弁者〉なのだという。娘では話にならないから代わりに話すのだという。
〈腹を割って話しましょう〉という。
だから腹を割って、思ってる事正直に話した。死ぬとか生きるとか考えてる事も話した。彼を奥さんだと思って言った。
心を割るとはそういう事だ。
何かの話で彼が軽く笑った「あいつはそんな事を言ったのか?ははは。」
ろっ骨をなぞってマジックで線を引いたままの姿でオレは、とてもバカにされたと思って、その後〈彼がひとつも腹を割っていない〉事に気がついた。
そもそも、娘の気持ちの代弁なんてできるわけがない事を〈やる〉と言ってる時点でおかしい。それこそ〈腹を割っていない〉証拠だ。
裏切られたと思った。親と娘と揃って一緒にオレの事を軽く見て、傷ついても平気だと思ってるんだ。
こっちはさっきまで、ずっと死ぬことばかり考えていたのに、彼は笑える人間なのだと思った。
結局は親権も渡しませんし、穏便に離婚するために〈ナダめる〉のが目的なのだ。
オレは全身やけどみたいに皮膚が過敏になっていて、どんな些細な言葉でも、すぐに、激しく、傷ついた。
…で、オレはそういう強烈なエネルギーを義父に向けて、その時もっとも最大限に考えられる〈傷つく言葉〉を選んでぶつけた。
それが核のボタンだとは知っていた。けどもう、傷つくのは耐えられなかったから、〈核のボタン〉だって気づかないように自分が考えないように、思いっきり傷つく言葉を選んだ。
その年齢に刺さりそうな「古い」とか「時代遅れ」のニュアンスを、ものすごい尖らせて刺した感じだ。
…今考えると、タダの泥試合を止めたかっただけだろう。
言葉が正確じゃなかっただけで、〈腹を割ったような気持ちで話そうよ〉とか、〈冷静な自分が代わりに話しを聞きたい〉的な事だっただけなのだろう。
でも、その時のオレは最後の1%の望みしか無い時で、どんな言葉でも、全ての言葉で〈傷つく事が出来る〉状態だった。
もうそれって逆に「運命でしょ」って感じのあからさまな出来事で、義父の魂とも確実に〈約束をしている〉出来事だったんだと思う。
2年経った今も、自分の心に深いシコリを残している。
自分が勝手に傷ついて、勝手に傷つけた事なのに、なかなかしぶとく残る罪悪感。
イヤな気持ちだが、しょうがない。魂の勉強だ。
やはり〈他人は鏡〉だという事だ。ひどい状態の時は、他人も〈ひどいヤツ〉に見えるからだ。
あの時のオレはほんとにひどいヤツだった。
【自傷行為】
下記の曲を聴きながら読んでもらえるといいな
(Easy on me / Boyce Avenue)https://music.youtube.com/watch?v=c02_EPmDXr8&si=Nrlibesw8QeMDxAm
一年半ほど前のオレは生きる意味を失っていた。なんと言えばいいのか、「所属する場所」が無くなった。6年間で築いた家族を失い、30年で築いた仕事を失い、夫ではなくなり、演出家でも無くなった。2度と取り戻す事ができない絶望感。
心療内科の診断は、病名「機能障害」症状「うつ状態」だった。性欲や異性への興味が全く無くなっていた。ネットで調べたら、男性ホルモンは〈やる気〉などに関係しているようだった。あらゆる事への興味がなくなっていた。〈生きる気力〉がゼロだった。
しまいには〈生活保護〉だ。
頭をよぎったのは中学時代の同級生だ。彼は当時からシンナーを吸い毎日ボーっと歩いていて、ヤクザになり、それも続かず、シンナーの後遺症で「腕が肩までしかあがらない」という小さな理由(障害)をごまかして生活保護を受給していた。
当時のオレは彼を〈社会のカスのような人物〉だと思っていたが、自分がその〈カスの一員〉になったのだ。
生きる理由が無くなり、行動する意欲がなくなり、何をすればいいか全く思い浮かばなかった。食事し、排泄し、寝るだけの日が続いた。生きても死んでもどちらでもいい状態だった。〈生きてる感じ〉がとてもうっすらしていた。
しかし、何もしないという状態でいると、イヤな記憶がまた頭の中で自動再生するのだ。
その〈自動再生〉がMAXの恐慌状態を1ヶ月前に味わったオレは、それを避けるため、なんとか気を逸らす必要があった。
その時初めてほんの少し行動意欲がわいた。
〈自分に罰を与えたい〉という欲求だ。
リストカットのマネごとだけでは全く足りない。ちょっと痛いだけではダメなのだ。より大きな罰が必要だった。そしてより継続的な痛みを求めた。
そこでオレが選んだのは「走る」だった。体がしんどいとなんだかホッとして、走ってる間はイヤな〈記憶の自動再生〉が少し楽に感じた。
しかし、少し続けるとすぐヒザが痛み出し反射的に足を止めてしまうようになった。
そしてオレはジムへ通い、長時間走れる筋肉を作る事にした。筋肉疲労の痛みはちょうど良い〈罰〉で、ますますのめり込んだ。
また、オレは以前やっていたロッククライミングを始めた。通常ペアで命綱を確保し合うのだが、ソロで少し危ない登り方を選んだ。
死んでもいいと思っていたオレは、落ちないよう必死に岩をつかむ手を見て、自分の体が〈生きたがっている〉事に気がつき、落ちそうな恐怖が〈生きている実感〉として感じられた。必死に岩の少しの出っ張りにしがみつく自分は、文字通り「生にしがみつく」
〈走る、筋トレ、ロッククライミング〉はオレの自傷行為だった。
父さん母さん、オレはあの時心の中で泣いていた。
あれから一年、心の回復とともにオレの〈自傷行為〉は楽しみに変わっている。中年太りのおっさんの体重は、10キロ減、体脂肪率8%、人生で最もムキムキなマッチョマンになっている。
これをオレは絶望を乗り越えた〈賞状やトロフィー〉のように思っている。何も誇るものがないオレが唯一、今誇れるものだ。
マッチョになる為には年単位の継続した痛みに耐えなければならない。その為には何かの目的に「本気」になる必要がある。「本気」になった人だけが耐えられる痛みの種類だからだ。
オレは鏡で彫刻のような体を見て、自分の傷の深さを再確認し、それだけ深く家族を愛していたという事を〈まのあたり〉にする。
それは自分の中に〈愛がある証し〉で、その量だけ自信に変わるものだ。
何が言いたいかというと、うまく言えないが… 例えば〈手にリストカットの跡〉がある人がいたとする。以前のオレはそれを(かわいそうだ)と思った。でもその手首の傷は、絶望を乗り越えたその人のトロフィーなのではないかと思う。
〈オレの筋肉〉と〈誰かの手首の傷〉は同じなのだ。
だから、そんな娘を持つ我が友人よ、あなたの娘の手首の傷は〈強さの証〉で誇るべきトロフィーなのだとオレは思う。
優勝したF1レーサーのように、モエ・シャンドンで祝っても良いのでは?
ひとつ知っておいて欲しいのだが、オレは「かわいそうだ」と思われるのがとてもイヤだ。なぜなら、相手の言葉からそのニュアンスを感じとると、「かわいそうな自分の記憶」を思い出し、ますます自信を失うからだ。
自分が〈かわいそうな人間〉だと思う時、自分はダメな人間で、恥ずかしくて人には見られてはいけない人間で、生きている価値のない人間で、生きてはいけない人間になってしまうからだ。
だから、娘の事をかわいそうだと思わないで欲しい。
娘さんの手首の傷は、彼女の人生の〈生きた大切な証〉なんだと思う。
そして、かつて「カス」だと思っていた同級生の君、キミは「カス」ではなかった。カスだったのは俺だ。
ちなみに〈走る、筋トレ、崖登り〉は今でも続いている。
奥さんに暴力を振るったあの日以来、奥さんと子供には一切連絡を取っておらず、弁護士を通した事務的な連絡のみなのだが、半年前、子供の写真が入った封筒が送られてきた。
オレはまだそれを開けられないでいる。きっとそれを開けたらオレは泣いちゃうだろう。でもその涙は〈会えなくて寂しい涙〉なのか、〈元気そうで嬉しい涙〉なのか、どう感じるのかまだ不安なのだ。まだあの恐慌状態の記憶が処理出来ていないのだ。
だから、オレはある目標を立てた。
ロッククライミングの聖地〈幕山の正面壁〉をソロで登れたら、封筒を開ける!
その為にもっと体重を落として、筋肉をつける。
〈走る、筋トレ、崖登り〉が 今オレが唯一本気でやれている事なんだ。
ちなみにちなみに、この〈封筒を開ける〉事をあんまり考えないようにしている。なぜなら、考えれば考えるほど〈開けられなかった事〉を考えて不安になるからだ。
その最終ゴールの前に、〈正面壁を制覇〉という小さい目標を挟み(最悪登れなくても、別にどこにも影響しないし…というレベルのヤツがいい)そこにだけ注意を向けるようにしている。
スピ的に言えば〈結果に執着しない〉というヤツだ。
【過去に戻るボタン】
下記の曲を聴きながら読んでもらえるといいな
(冒険の書 *Luna)https://music.youtube.com/watch?v=eMv2Fk2ABTk&si=pJwwsoJUCIySX0aX
この「冒険の書」という曲の中で、次のように質問された。
〈もしも今、戻れるなら、どの日を選んでボタンを押す?〉
今のオレは奥さんに暴力を振るった前に戻りたい。
離婚する前に戻りたい。
いや、もっと前がいい。義父にとても傷つくであろう言葉を言ってしまった前がいい。
いや、奥さんと口論が絶えない日々の前がいい
いや、最後に残った一本の番組で、契約を更新してもらえなかったあの時の前がいい。
いや、体調を崩して入院する前がいい
いや、かつての後輩ディレクターに「マオトさんもう帰ってください、オレやっとくんで、全部。もういりませんので。逆にいてもらっても作業が進みません」…と言われる前に戻りたい。
いや、もっと前がいい。年下の局員上司に「なんで勝手に判断するんだ!もう判断しないで!しなくていい!」と言われる前がいい。
いや、もっと前がいい。本番のスタジオ収録に行かずに別番組のナレーション撮りをした前がいい
いや、寝落ちして大事な会議(オレのプレゼンを聞く会)をブチった前がいい
いや、もっと前がいい。深夜、宅急便の倉庫でアルバイトしていた前がいい。
いや、無理をして何本も番組を掛け持ちした前がいい。
いや、「金を貸してくれないか?」と仕事仲間たちに連絡する前がいい。
いや、奥さんがストレスで高価な服を買い漁る前がいい。
いや、仕事ばかりで会社に泊まり3日に一度しか帰らなかった頃より前がいい。
いや、「披露宴はイヤだけど式はあげたい」と言われ、張り切ってたくさん仕事を受け始める前がいい。
いや、「金を稼ぐのは男の役目」「金の心配だけはさせたくない」と思う前がいい。
いや…いや…いや…いや…
今でもその気持ちは変わっていない。でもでも、今は51%だけ「今でいい」と思っている。
〈100%今がいい〉が今の目標だ。
多分、自由な幼なじみは迷いなく「今」のボタンを押すだろう。
みんなは、どこの過去に戻ってやり直したいと思うだろう。
オレの人生はどこでネガティヴサイクルになったんだろう。多分「良き夫であるために〈金を稼ぐ〉という係は絶対に完璧にやらなければならない!」
…と思った瞬間だと思う。
キーワードは「絶対に」「…すべき」「〈やりたい〉ではなく〈やらなければならない〉」
のような気がしてきた。
オレは今、近所の浜辺でいい気持ちで、この文章を打っている
【ドン底に慣れる頃やってくる安心感】
下記の曲はこの章のテーマソングに選んでみました
(Easy On Me/Alex Goot)https://music.youtube.com/watch?v=D1fedKP29a0&si=MqSrsYexmpGG3r7j
海辺の地方都市に引っ越して1か月を過ぎたくらいから、オレは完全に引きこもった。
その始めは〈まさしく恐慌状態〉から入ることになる。
自分がした酷いことの記憶は薄いが
されたイヤなことの記憶は残りやすい
その理由は、じぶんが醜いと思いたくないから無意識にフタをするからなんだ。
尊厳を失わないように。
尊厳を無くして初めて知った事がある。
生きる事ができないのだ。生きていながら心が死んでいる感じ。
〈作る、食べる、洗う、トイレ行く、寝る〉以外、何も出来なくなる。
そういう時は、他人の〈感謝〉も受け取る事が出来ない。〈それにふさわしく無い〉からだ。
全てを失った状態からそれはスタートして、約一年続いた。
テレビは一度も見なかった。テレビ屋だったというのもある。思い出したくなかったのかも知れない。安倍総理が亡くなったのは最近知った。
友人との連絡もなんだか億劫な気がした。ツキイチで心療内科の先生と話し、市役所の人に、電話で通院状況を伝えるのみ。
その完全な遮断された世界に浸るほど、時間が止まってゆくような、早く過ぎていくような、不思議な時間感覚になった。
引きこもって半年間は〈自動再生するイヤな記憶や思考〉を耐える事に大半を費やした。
自動再生が始まると、とにかく走った。ジョギングだ。
ジョギングしている間は少しだけ自動再生が少なくなり、心の痛みがやわらぐような気がした。そして、オレはスガるものを見つけた。ジョギングに依存した。
その引きこもり状態を他人が見れば、とてもかわいそうで、悲惨な状況だと思うだろうし、以前のオレもそう思っていた。
しかし、その〈ドン底〉に慣れてきた頃から、不思議な〈安心感〉がある事に気がつく。
引きこもる事が楽で一番安定する状態なのだ。
どこか(あぁ〜安心でホッとするなぁー)という気持ちがあるのだ。
走ってさえいれば、心が楽になり、体が疲れるから寝る事が出来る。何も考えなくても良い。
何も生み出さず、誰にも影響を与えず、誰の影響も受けない…という安心感。
これ以上、何も失わない…という安心感。
1ミリも傷つかないという安心感
全てを諦めたという安心感
頭のどこかでとても気持ちがいいのだ。
今、なにが起こっても、これ以上下には行けないからだ
〈引きこもり〉がかわいそうだと思うあなた。実は彼らはとても幸せを感じている。その状態が〈最も楽な姿勢〉なのだ。
そしてある日、ふと、ある記憶を鮮明に思い出した。数年前のある日、仕事に忙殺されていたオレは、ある制作会社のビルのベランダで、東京タワーの光を見ながら
(あぁ〜海辺の近くでのんびり何も考えず暮らしたいなぁ〜)
と考えている記憶だ。確かに夢が叶ったカタチだ。
なんと言えばいいか…
(え?そっちの叶い方?)的な、〈意外〉と〈落胆〉が混じった感情だ。
…にしても、失ったものと比べると損した気にも一瞬なる。しかし、この感覚を体験している人がスピリチュアル界では意外に多い。
そして、結局は(これで良かった)になるパターンのやつだ。
オレ的には(ハイハイまたですか。わかりましたよ。内観しろって事でしょ、どうせ)…という感じで、正直ウザい。
ただ引きこもった事で、意外な良い影響もあった。これは外の世界とコミュニケーションをとり始めて気づいたのだが、
耳から入る情報の殆どが〈英語の音楽〉だった事で、いつの間にか頭が英語あたまになっていて、結構ペラペラに話せるようになった。あとは、表現がダイレクトになって(アイラブユー)が照れずに言える感じになっている。
目から入る情報の多くが小説だったので、文章がスラスラ書けるようになった。元々は、現実を忘れて物語の中に逃げ込みたかったのだと思う。
そして、外へ発信するエネルギーの流れがよく見えるようになった。この感覚はうまく伝えられないのだが、出したエネルギーがそのまま帰ってくる感じがわかる…という、よくわからない感覚がある
声を出して自分の声に驚いたり、声を出すだけで〈存在してる感〉がハンパないのだ。
誰かにメールを打つことがとても快感を伴う行為だと気がつくのだ。
オレもいよいよ変態的になってきた。
【奥さんの章その3〜最後の心の整理】
(白日/Uru)
https://music.youtube.com/watch?v=6rgoWS8BCPI&si=G8CavYO8aHEdoLjA
オレが社会でサバイバルしていた時に、奥さんがそばにいてくれたのは紛れもない事実だ。
結構ハードなサバイバルだったから、彼女がいなければ乗り切れなかったろう。
彼女が何かをしたというよりは、そばにいてくれたという方が近いニュアンス。
結果ダメになったけど、6年もの間オレのそばにいてくれたのだ。彼女が子供を見る優しい目に何度も救われた。
確かにオレは彼女に救われていた。
もしこの先、もう一度会う機会があるとしたら、その会っていなかった時間の長さは、そのままオレが心の整理に要した時間で、そのまま〈人間の愛の深さ〉を証明するものになる。
彼女は理解をしないかも知れないが、深層心理では必ず気づくはずだ。
彼女はそれに気づく為に、オレとこのようになった…という可能性もある。
彼女のオレに対する愛は確かに〈浅かった〉のかも知れない。
愛の深さを知る経験が少なかったのかも知れない。知らなかったのかも知れない。
もし、そうだとしたら、きっと彼女はオレを見て愛の「深さ」を知るのかも知れない。
「人はこんなにも人を愛する事が出来るのだ」とオレを通して気づくのだとしたら、それは悪くない〈役〉だ。
それを知った彼女は他の誰かや自分をより深く愛せるようになるはずだ。
もし、もう一度彼女に出会う事があるのなら、きっと笑いながら話すのだろうと思う。
でも、オレたちは心の中で〈今にも泣きそう〉になっているのを我慢してるのだろうとも思う。
互いに謝りたい事が沢山ある。
そういう関係だ。しかたない。
「久しぶり」的な事を確かに言いそうだ。
何年も会っていないからだ。
その間、互いに苦しんだりして、いろいろ気づいて、ちょっと優しい大人になっていて、新しい自分に成長していて、「初めまして」的な気がするんだろうと思う。
握手とかするのかなぁ? しそうだな。
きっとそうして、シコリを一つずつ取っていくんだ。そして、それぞれの新しい道をまた歩くのだろうと思う。
オレにとって子供たちは〈奥さんが愛している子供たち〉で、そこに注がれる〈愛している〉という感情は、奥さんと子供のワンセットになっている。
だから、子供を思う時、自動的に奥さんの事も思ってしまう。〈愛している〉という事をだ。
それは男女間の恋愛とは違う次元のものだ。
だからこの先、奥さんや子供たちに2度と会えなかったとしても、関係なくオレはずっと愛しているんだと思う。
奥さんに新しい旦那さんが出来ても、子供に新しい父親が出来ても関係のないヤツだ。〈見返りを求めない愛〉という、聖書に書いてある例のヤツだ。
それが、〈彼女たちから愛される事〉を長い時間をかけて諦めた結果だ。執着を捨てた結果だ。
しかたない。そういう結果になってしまった。
ずっと〈嫌いだ〉と思うよりずっと〈愛している〉の方がいいと思う。ずっと気持ちがいい。
極論対決だけど、選択肢がその2つしかないんだから、しょうがない。
【魂の約束〜離婚から2年後の〈失った家族〉】
離婚から2年経った今、元奥さんとの関係は物理的にゼロだ(心的には大アリだ)が、ようやく心の整理が出来てきた。
やはりここの所が一番最後に残った。
きっとこの先に〈今よりはちょっとマシな関係〉が待っていそうな気がする。
時々は子供の近況とかを聞いたり出来るくらいには、いずれなってみたい。
一度はあきらめた事だから、期待せずにいるつもりだが、〈子供に合わせる顔〉はつくれる程には回復していると思う。
実は少し前に〈一瞥いちべつ体験〉という不思議な体験があって、世界の見方が一気に変わった。
ほんの一瞬だけ宇宙の真理に触れるような言葉で説明できない体験だ。
そして、互いの魂が生まれる前にした約束を思い出した。
頭がおかしい人のような事を言うが、結婚する事も、暴力を振るう事も、生まれる前に2人が決めたシナリオだった。2人の子供が生まれて2人が親になる事も、決まっていた。
学び合う約束をしていた。
そのせいもあり最近になって、オレはようやく奥さんに心から感謝出来るようになった。
逆に、2年も経って今だに奥さんとの出来事を整理出来ないでいたと言う事だ。
離婚後に地方都市に引きこもり生活が始まって一年経つころまで、なぜか奥さんの夢を見る事がしばしばあった。
どれも同じような内容だ。
ケンカして、オレは激しい怒りに襲われて、怒鳴り、暴力を振るった。
1ミリもスッキリしない最悪の気分で目覚め、夢だった事にホッとする。
とうの昔に終わった事なのに、夢の中ではまだ「終わっていない事」なのだ。
忘れた頃にまた夢は繰り返される。何度も何度もだ。
頭がおかしくなりそうになる。
起きている時は、〈もう整理がついた事〉なのに、夢でまた追体験。繰り返し。
その度に、奥さんの事を考える。
1年経っても一向に終わらない離婚の夜。
そこだけ時間が止まったままだった。
心のどこかが〈整理〉を拒んでいた気がする。
だが今、オレはこれらの記憶を〈終わったこと〉にしようと、初めて思っている。
つまり、この長い2年間のあいだ、ずっと〈終わっていなかった〉事に気がついた。
そうだ!暴力を振るったあの夜の事は、この2年間ずっと〈今のこと〉として考えていた。
ずっと、そういうつもりだった。
なんでかな?
何度も繰り返し思い出していた。
たった一日の事を、2年間ずっと思い出し続けていたんだ。
スルメみたいにカンでもカンでも味が出てきて、2年間かみ続けて味わっていた事になる。
少しずつ自分を許しながら、彼女を許していった。
まるで恋をしているように、一途に自分と彼女を許すことばかり考えた。
オレはあの時、何と戦っていたのだろう。
多分自分の中のイヤな所を全部あぶり出して、そのイヤな自分と戦っていた。
そしてその結果、オレは本当の自分の心の中を知った。気づいた。
そして2年前には想像もつかなかった〈気持ちのトーン〉で生きられるようになった。
奥さんとの間で起こった辛かった記憶が、結果的に今のオレを作ったとも言える。
それがなければ、オレは少しも〈今のオレ〉ではないのだから。
きっとオレはいつか彼女に会うだろう。
今はどんな顔をして会えば良いかわからない。
次に彼女に会う時は、とても強く深く愛していたと伝えたい。
今も変わらず愛していると伝えたい。うまく言えるだろうか?また彼女の態度に反応してしまわないか、いや、その頃にはきっと大丈夫だと思えるほど、こころの整理が出来ているのだろう。
そう願う。
もう一度、2人が出会う前に戻ったとしたら…オレはきっとまた「出会う」という選択をするだろう。彼女にした事、された事。それも含めて、その選択は成されるだろう。
彼女は彼女なりに〈自分が悪いと認められない〉事があったのだろう。
互いに、決して〈自分が悪いと認められない〉事があったのだ。
離婚の原因はオレの暴力だ。
オレの暴力の原因は疲労だ
疲労の原因は彼女が作った借金だ
彼女が高額の服を買ったのはストレスが原因かも知れない。
何かのトラウマや不安かも知れない。
原因は彼女の人生かも知れなくて、その原因は〈彼女の生まれた理由〉かも知れない。
原因は〈オレの生まれた理由〉かも知れない。
原因なんて、なかったのかも知れない。
「原因はお前だ!」と思っていた期間はかなり長かった。
つい2か月前まで、1年、強弱はあれどもずっとだった。
かつて、オレはこの〈離婚〉に「絶望」という意味づけをした。
今は、この〈離婚〉に「気づき」という意味づけをしている。
おかげで、この世界の事がすげ〜わかるようになった。
ウチュウノシクミ…とよく言われるアレだ。
詳しくは割愛するが、「全てに気づいている状態」になった。
自分の人生を前世や来世も含めてフカン出来る状態だった。
だから、自分に起こった〈不幸〉の理由もわかった。
決して彼女が理由ではなかった。本当によかった。
自分の運命の人は、決して醜い人間ではなかった。本当によかった。
わかりやすく、あえて時間軸で説明するなら
〈オレ達の不幸は、オレたちが生まれる前、自分で用意したものだった〉
改めて思う。
彼女は最後の「恋」の相手だ。オレはこの先の人生で「この種類の恋」はもうしないだろう。相手が誰であれ。そういう年齢でもある。
「最後の恋」だったと本気で思う。
よく歌に出てくる文句なのは一番知っている。
でも「最後の恋」なのは、事実だ。
だから、それをオレは〈いい思い出〉にしたい。
そしてオレは〈結婚は一回だけ〉と中学生の頃から決めている。不思議だが本当だ。
だからと言って再婚を迫りたい訳でもない。
物理的に不可能な事で〈あきらめ〉の心の整理は〈絶望の時〉についている。
ともかく、生涯オレの奥さんは彼女だけで、オレの子供たちは彼らだけだ。
関係が途絶えていようが、その事実に変わりはない。
そのポジションは彼女と子供たちだけのもので、そこが空いていようが誰かが変われない場所なのだ。
だから彼女はいつまでもオレの大事で重要で唯一の元奥さんだ。
子供たちは、いつまでも大事で重要で唯一の子供たちだ。
だから、それをオレは〈いい思い出〉にしたい。
奥さんや子供の事を思い出すとき、〈楽しい気持ち〉で思い出したい。
コレは彼女がどう思っていようが関係のない〈オレの思い〉だ。
彼女はオレを愛さなかったからといって、彼女への感謝と憧れと尊敬は変わらない。
この感情は〈対価〉ではないからだ。
彼女はオレと子供が外出する時、8階のマンションのベランダに出て上から再度手を振るような人だった。
素晴らしい母親だった。
【母さんに聞いてほしいこと】
オレはこの数年間で起きた事は、全てオレの〈学びや気づき〉の為に起きた事だと思っている。
それはオレだけじゃなく母さんや関係した人全員が〈自分の心の何か〉に気づいたり、〈自分の学びの為〉にあったのだと思う。
思えば初めての両家の顔合わせの時、母さんが脈絡なく突然に「うちの息子は国立大学を出ているんですよ。」と言い放った時を思いだす。
オレはあの時、(その場の全員が〈母さんが先方の家を下に見ている〉事を知ってしまった)と思った。
オレはそれを誰にも知られたくなかった。
オレは〈高校の留年でオレを恥じた母さんのように〉あの時、母さんの事を恥じた。
まるで鏡だ。まるで〈互いに影の役を演じている〉ようだ。
その場にいた全員が〈うちは厳しい家なんだ〉と納得してしまったと思っていた。
そう言えば母親は〈厳格さ〉が昔から好きだった。
〈厳しいしつけが良しとされる時代の人〉だからだ。前世は長崎の武家の出だ。輪もかかる。
昔から〈家の格式〉が気になる人だった。
姉の嫁ぎ先は格上だと思っていた節がある。つまり自分をずっと〈格下〉だと思っていたのだと思った。
でも、オレの相手の家は若い世代で〈優しいしつけの理想的な今風の家庭環境〉なのだ。
母さんの言葉を優しく受け流す〈度量〉のある家庭環境なのだ。
格式高くありたい母さんとは好みの違う〈穏やかでありたい家〉なのだ。
〈上か下か〉で世の中を見ていない、普通の穏やかに育った奥さんなのだ。
義兄はとても好意的に受け入れられ、自分の奥さんがそれと比べられているように感じて悲しかった。
義兄の学歴は、オレよりさらにスゴいのだ。〈格が上〉なのだ。
実家でオレの奥さんがとても気を張っているのがわかっていた。母さんも姉さんも、奥さんへのあたりが強いような気がした。
母さんにとっての〈格式〉は〈学歴〉によって決まっていたんだと思った。相手の学歴がどうなのかとても気になる人なんだと思った。
育て上げた2人の子供は、2人とも学年トップクラスで、かたや生徒会長で、2人とも何をやらせても優秀過ぎていた。誇りたくもなるだろう。〈上下を決める事〉の全てにおいて、自分の子供は学年トップなのだ。その気持ちはネガティヴにも転ぶ。
この世界は〈明暗のコントラスト〉で出来ている。仕方がない。
〈上か下か〉が気になる性格が、人生を通してカタチ作られていったのだと思う。
それで嬉しい思いもすれば、イヤな思いもする。
それが母さんの人生のテーマの一つなのではと思っている。どうしても気になってしまうのだから、本人もそれで相当苦労しているはずだ。
だから、奥さんにとってオレの実家が〈楽しい場所〉になっていないのだと思ったオレも、実家に行くのがおっくうになった。
それでもオレの奥さんはそんな針のムシロのような場所に、子供の為とはいえ、よく頑張って来てくれていた。オレには何も言わなかったが、母親の言葉が気にならないワケはない。
アレはオレにとってそういう言葉だった。
もうあの時から〈オレの学び〉は始まっていた。それと同時に関係のある人〈全員の学び〉が始まったんだと思う。
ここからは夢の中の話しだと思って聞いてほしい。
オレは夢の中で修三オジちゃんと言葉ではない話をした。必要な部分だけ頭の中をシンクロさせるような話し方だった。
修造オジちゃんは、オレの父さんの一番下の弟で、幼い頃可愛がってくれたオジちゃんで、職場の金を1千万以上使い込み、発覚し逃げた人だ。奥さんと幼い子供2人を残して、消息を絶った。以降、音信不通で、残った借金をうちが分割で立て替え支払った。
母親は実家の墓参りの時にその話を持ち出し、オレと奥さんに「借金だけは作るなよ!」と厳しく念を押していた。
金を返すのに大変な気苦労をしたようだった。
その後借金を作った奥さんと里帰りをした時「よく顔を出せたものだ。」と母さんが言っていたと、姉から聞いたのを思いだす。
でも元奥さんは〈母さんが毛皮のコートを通販で買うような気軽さで〉洋服を買っていただけなのかも知れない。
激しい後悔を乗り越えて〈会わせる顔がないのを〉乗り越えた、自分に厳しい人だったのかも知れない。やってしまった万引きを正直に申告する少女のような人なのかも知れない。
オジさんのように確信犯で盗みとるような気持ちではなかったのだ。
なんならおじさんも〈毛皮のコート〉の感覚だったのかも知れない。
でも、だからこそ、自分たちと修三オジちゃんとが重なる。
修三オジちゃんの記憶と自分の記憶が混じった時、全く同じ気持ちになっていたと気づいた。
〈子供に会いたい気持ち〉
〈会わせる顔がない気持ち〉
〈奥さんへのざんげ〉
〈やってしまった事への後悔〉
〈2度と家族と暮らせない絶望感〉
〈周囲に迷惑をかけた罪悪感〉
〈誰とも連絡が取れない孤独感〉
他には
〈奥さんがしてしまった事への引け目〉というものもあるが、ほぼ似たような気持ちを2人とも体験していた。
〈罪悪感や後悔〉は元奥さんもそうなのだろう。
修三さんは、オレに「自分を反面教師にして、その後のこころの処理をみんなでちゃんとしな」って言ってたよ。その為に彼がいたのだそうだ。
だからオレは自分を許そうと思うし、奥さんも許そうと思うし、みんなを許そうと思っている。そしてあちらの家の方達にもきっと許されているのだと思っている。
だけど、何故か母さんだけに許されていない気がしている。元奥さんの事も許されていない気がしている。そこに〈わだかまったものが有る〉気がしている。
今のオレの境遇を、高校を留年した時のように〈ご近所や親せきに内緒にしろ〉と言われているような気がしてしまう。あの時のようにオレを〈恥ずかしいと思っているのだ〉と思ってしまう。
母さんにとっても、これは運命なのではないだろうか?
母さんから何か大切なものを奪っていく2人。1人はお金を奪って行き、1人は孫を奪っていった。
似たような事が2回も起こったって事は、起こるべくして起こったのだと思うんだよ。
修三さんは、もう亡くなったみたいだけど、今度は〈怨み〉ではなく〈赦し〉を選んでみるのはどうだろう?
シコリのない気持ちよさで余生を過ごせるのではないだろうか?
父さんなんて、とっくの昔に2人とも完全に赦してくれているよ。母さんの手前表には出さないけども。
そうしてくれたら、オレは〈会わせる顔〉が出来るようになるかも知れない。
オレに起こった出来事は、オレの学びであり、元奥さんの学びであり、母さんの学びでもあるはずなんだよね。
人は互いに影を演じ合いながら、光を感じて生きているんだと思うんだよ。
仏教の本にも書いてあったよ。そんな事。
修三さんのように長い間〈自分を許す〉処理を出来ないで生きる事も出来るし、〈自分と他人を許す〉生き方も選択出来る。オレは後者を選びたい。
後者を選ぶなら、オレは〈全ての他人から〉許されたい。オレの事も元奥さんの事も一緒に許されたい。
〈どっちが上とか下とか〉、〈奪われる怨み〉とか、さすがに死ぬ時までは手放している感覚だと思うけど、オレは今手放している所だから、母さんももし〈まだ残っていたら〉一緒に手放して欲しいなと思う。
逆に言えば、誰もが許し合っている世界でオレは生きていたい。もう疲れたからだ。二度とイヤだし、周囲がそうでなければオレはとてもじゃないがそこにいられない。
それくらい〈傷ついたり傷つけたり〉に疲れた。
母さんは毎日お経をあげるような「愛」と「祈り」のエキスパートだ。達人だ。
それは紛れもない。
あとは、ポジティブに向かってそれをするだけでいいのだ。
【母さん実はオレ…】
下記の曲を聴きながら読んでもらえるといいな
(ママへ/AI)
https://music.youtube.com/watch?v=bMLcc7Oz2ng&si=sSm0djOjklo0FLaz
思えばコレまでの人生で一貫してそこにあったのは〈人にどう見られるか〉と言う他人軸で、それと一緒に生きてきた。コレはもう変えることが出来ないヤツだ。だから受け入れようと思う。
ただ、コレからは〈人にどう見せようか〉と考える事にしようと思う。
今までみたいに〈表面的なエゴ〉を見せるのではなく、ほんとうに思ってる心を見せようと思っている。
コレは、オレの人生で初めての出来事だ。
初めての体験だけどやってみようと思っている。
これまで母さんにはたくさんのありがたい「コレだけは絶対にやっちゃダメよ」を、伝えられてきた。
「借金だけは気をつけなさい。絶対にダメよ」
「東京に行って悪いクスリとかやっちゃダメよ」
「アキラ君はいれずみ入れたみたいだけど、あんたは絶対やめなさいよ」
「人様に迷惑だけはかけないんだよ」
母さん、あなたのして欲しくない事を全て、ツツがなく、キレイにオレはやってのけた。
なんなら「絶対にダメ」と言われた事だけは、絶対にやってしまった。
結婚後、借金をつくり自己破産
22歳の時、1ヶ月ほどロンドンに滞在中、ホテル(一泊1000円4人部屋)で相部屋のバックパッカー〈ジョシュエル君〉という2コ上のお兄さんと、当時ロンドンで流通する全種類のドラックを体験した。(腰を抜かすと悪いので、詳しくは書かないが)
一番最後のLSDでひどいバットトリップをし(2度とやるか!)という経験もした。
母さんは「東京へ行ったら薬はダメ」と言っていたが、東京へ出る前にとっくに体験済みだった。全種類!
そんな好奇心の体験は〈卒業〉まで済ませていたのだ。
もう30年以上経っているので時効だろう。ちょっとは安心して欲しい。
ロンドンで生まれて初めてのタトゥーを入れた。ついでにそのスタジオで、デザインの手伝いをする代わりに彫り方を教えてもらい、日本に帰って一時期〈彫師〉をした事もある。
国立の美術系の大学にいたオレは(一生アーティストとして生きる)という証を刻みたかった。「大人になって後悔するよ」と大人たちは言うが、タトゥーに関して、一度も後悔していない。母さんが〈不良の証〉だと思っているコレは、オレにとって〈一生の大切な生き方の証〉なのだ。
人様には、ありとあらゆる〈迷惑〉をかけてきた人生だった。そして、たくさんの〈迷惑〉をかけられてきた。
奥さんと子供に対しては特にだ。大切な人に限って大きな迷惑をかけてしまう人間だ。
でも、コレら全てを含めてオレの人生だ。だからオレはコレら全てを〈OK〉にしないと、自分の人生を否定した事になってしまう。
どの体験もオレの〈完璧な人生〉にとっては必要で、ひとつでも欠けたら〈完璧〉ではなくなってしまうのだ。
オレたちはたくさんの〈迷惑〉をかけ合いながら、少しずつ新しい自分になって成長していく。
だから母さん。
「絶対にやっちゃダメな事」をしたオレの人生を、母さんと一緒に〈OK〉にしたいんだと思う。
母さんが嫌っているかも知れない元奥さんも、オレの人生には必要だった人で、子供と同じくらい大切な人で、オレの運命の人だった。
だから嫌って欲しくなくて、そう思ってるだろうという勝手なオレの恐れが、両親をますます遠ざけている。
〈孫を奪った元嫁〉のようなイメージではなく、〈息子の運命の相手〉という見方がありがたい。
そのように、今回の出来事を一緒に〈OK〉にしたいと思うんだけどどうだろう。
オレの事を自分の事のように悩み心配し、ネガティヴにとらえてしまうかも知れないが、それだとオレがますます辛くなるんだよ。なかなか会えなくなってしまう。
多分「これからどうするの?」とか
「仕事はどうするつもりなの?」とか
「子供には会うつもりなの?」とか
「養育費とかはどう考えてるの?」とか、
「子供への責任はどうとるつもりだ?」とか、
いろんなオレの「〇〇するつもりだ」を聞きたいと思うけど、オレはそれに何も答えられない。何も分からないからだ。そういう事を考えない生き方を長い時間かけて見つけた。
オレはそういうふうに生き方を変えてしまった。
オレはこの2年間、ずっと自分の心に聞いていた。
〈自分とは何なのか〉を問いただしていた。ずっとだ。滅多にある事じゃない。
〈先の事は最大で一週間先まで〉しか考えない事にしている。基本は〈今の事〉しか考えない生き方だ。
先の事は運命に任せて、起きた事をその都度受け入れるだけだ。
この先オレがどうなるかは、オレの魂だけが知っている事で、オレが〈こうしたい〉と思ったところで意味はない。
今自分がやりたい小さい事を、迷わずやる。それをコツコツ続けて楽しむ。それをずっと続けていくつもりだ。
母さんから見たら、社会的に成功してないように見えるかも知れないけど、本人はそれで満足しているのだから、理解して欲しい。
オレの人生はオレだけのもので、他の誰かの為に生きる事は出来ないのだと理解してしまった。
母さんを安心させる為の人生にしてしまったら、生きづらいものになってしまう。
先の事でひとつ言えるのは、オレはこれから〈人にどう見られるか〉より〈自分が今どうしたいか〉を優先する人生を歩むつもりだ。
最後に
「危ない事はしないんだよ」と口すっぱく言われて育ったオレは、今とても危ない事を沢山楽しんでいます
オレはまだ両親と連絡を取る事に抵抗を感じでいる。
だから両親よ、オレはもうしばらくその「抵抗」が何なのか、楽しんで考えます。
だいぶ長い手紙になったので、しばらくはそれで楽しめるでしょう。ついついオレの声を聞いて(もっと感動したい!)気持ちになっても、どうかもう少し我慢して下さい。