【難病のこと、想いごと】どうにもならない気持ちに襲われる
秋頃からカロナールを定時に、トラマール(強めの痛み止め)を夜に飲み始めて少しは良くなったかなと思っていた痛み。
12月末の体調を崩したあたりから、結局痛みがなんとなくある日が増えている。
全く痛みがゼロにはならないとわかっていながらも、一度軽くなると期待する。
なんとなく、もう痛みは強くならないかななんて思ったりしていた。
結局そんなこともない。
そこまで生活がしんどくなるほどでは、もちろんない。
痛くて眠れないとか、仕事ができないとかそのようなものではない。
鈍痛や重だるいようなズキズキジンジンするような、そんな痛みが肘や手、膝に増えている。
きっと自律神経の兼ね合いもある。
眠気や頭痛のような感じも全くないわけではない。
眠ろうとすると腕がゾワゾワむずむずするような、いわゆるむずむず脚症候群みたいな感覚があって眠れないこともあったりする。
体からは、結局逃れられない。
この柵から、逃れられない。
自分にずっと納得させようと思って念じてきた。
この体を持って生まれたことは仕方がないこと。
自分が性的マイノリティであることも仕方がないこと。
誰かに何かを言ってみても仕方がない。
人のせいにしても、変わることがない運命。
でも、誰かが悪いわけでも自分が悪いわけでもない運命。
八つ当たりしてみても仕方がないのだと。
体のことは、エーラス・ダンロス症候群だとはっきりわかってよかったことはもちろん多い。
だけど、それによって制約や背負ったものもなくはない。
なんなら、それらが多いのかもしれない。
選べる仕事の選択は狭まった。
たまたま地元に戻った時に病院ではないところに勤めることにしたとしても、その先の自分の選択は明らかに薄れたものになった。
今は、大船に乗ったつもりで考えることはできない。意を決して選択する勇気もない。
それをすることによっては体が持たない。
体を理由に仕事につけないかもしれない。役割を負えないかもしれない。
看護師だなんて言っていても、できることに限りがある。
あぁ、なんだか寂しい。
キャリア選択をしたくてもできない時に、色々な人の人生の選択の話が舞い込んでくる。
聞こえないように、耳を塞いでいるつもりだけれど、羨ましくも辛くも思ってしまう。
結婚するという道、いいことばかりではなくたとしても、好きな人と気の知れた人と生活を共にできることで分かち合えたりするものがあるのならば、それもそれで素敵な選択だと思う。それを聞いては心が抉られる。
子供が生まれたと聞いては、この先の自分は何を残せていけるだろうと考える。
自分が死ぬときはどのような待ち受けていて、何かが自分を支えてくれるのだろうかと猛烈に不安になる。いざという時も、自分しか頼れない。
でもその自分がどうにかなってしまったら…
転職という道を選んだ人を見ては、夢を見ていく羨ましさを思う。
良いも悪いも人が辞める道をたくさん見てきた。
その度に心は落ち着かなくなり、寂しくも虚しくも思う。
この人たちがこの先にどんな夢を見ていくのだろうと、そんなことを思うと自分の道の報われなさに苛立ちも悲しみも感じる。
大学院に行って修了までして、私は一体何をしているだろう。
仕事で何かが繋がればと思って尽くしてきていることは、誰の何になっているのだろう。
流出する人を止められず、魅力も伝えられず、去っていく背中をどれだけ見ていけば良いのだろう。
それを変えていきたくてやってきたことは、なんだったんだろう。
私は言いたいことを言って、付き合ってきた人たちの気持ちや人生を色々踏み躙ってきたのだろうか。
体を張って、私は自分を隠さずにいる。
表面上ではなく、仕事であってもできれば人対人で関わり合いたい。
それは利用者へも職員へも同じ思いだ。
でも色々な人の人生の変化を見ていくたびに、自分が素直にいてそのままあることが時々馬鹿らしくなってしまう。
あの人は自分のこんな姿を見て、何してるのだろうと鼻で笑いながら自分の人生は深めていったのかななんて、そんなことさえ思うことがある。
だって、仕事に本気で取り組んで勉強して伝えても、きっとそれは伝わらなくて、表面上に付き合って、去っていたりすることもあるんだろう?
そんなのばかりじゃ、耐えられない。
真面目にやっている方がバカみたい。
なんだか、ずるいなみんなって、心の中で感じてしまう。
自分の人生のことを考えていれば良いんだもんな、羨ましいなフットワーク軽くてなんて
体のこともなくて選択もたくさんあるのだからなんて
考えてしまうこともある。
でもそれを言わないようにして、なんとか気持ちを立て直して、できることをやると言って頑張るしか自分にはできない。
歳だけとって、怖くなる。
自分の人生がどうにもならなくなっていくのではないかと、怖くなる。
せめて、していることが評価されて、報われる人生でありたい。
自分のしていることが形になって、いつかはちゃんと結果になる人生でありたい。
皆が得られる人生を、指を咥えて羨ましく思いながら、なんとかこうして生きていくしかない。
それしかない、自分には。
私だって、できれば背負うものが少ない人生がよかった。
仕方ないなんて思うことが、少ない人生がよかった。
どうにもならない、この自分では。
私も私であることに、疲れる。
少し休ませてほしいなんて、思うこともある。
こんな自分を、休ませてほしい。