サムライシフォンケーキ
社会人になりたての時。
もう20年近く前の話しだ。
私はサムライと仕事をした。
その年、私は会社で、巨大な、ある機械のオペレーターになれ!と言われた。
海賊王になれ、と言われるのと同じぐらい、訳が分からなかった。
それは、日本で初めて導入される機械だから、君みたいに、なんの予備知識もない子の方が扱いやすいと思う。
そんな社長の独断で、急に、巨大な機械と共に働くことになったのだ。
そんな無茶な。
海賊王になる予定のアイツだって、まず憧れるところから入ったろうよ。
オペレーターにオレはなる!なんて言った覚えは全くない。
この巨大な機械が、たたみ4畳分ぐらいあって、そこを開けたり閉じたりするだけじゃなく、パソコン2台を駆使して、あれやこれやと設定をしつつ稼働させる。
当然かもしれないが、設定が全部英語。
英語能力が中学生で止まってるんだよ私は!
そして私はオフィスレディに憧れていたんだ!
社会人になりたての私は、その悲痛な叫びをどこにぶつけていいかも分からず、とにかく言われるがままに、その機械の研修を受けることとなった。
さて。東京から派遣されてきたシステムエンジニアの彼。40代ほどの、背が低くて、痩せ型、きっちりした髪、絵に描いたような几帳面な顔つきのほとんど笑わない、その人が田中さん(仮名)だった。
キャラが立っている…!
ヘラヘラと「マイナスから教えてください」と言う私に、ニコリともせず「分かりました。どの程度マイナスになりますか?」と眼鏡を押し上げる田中さんは、どう見ても二次元のキャラクターにしか見えなかった。
私は、怯えるより先に、田中さんのキャラにワクワクする。
彼を笑わせてみたい…
しかし、そんなことを考える暇は与えられなかった。膨大なマニュアルを渡され、機械を開けろ、閉じろと体力を消耗させられ、「このエラーの意味は?」と聞くと「日本語でいうとつまり」と毎回前置きされ、待って待って!と赤ペンで意味を書き記す。
アホな小娘に何故俺が。
笑わない彼に、そんな風に思われていると思っていた。
それでも食らいついていくしかない、コイツに負けたら居場所はないと思っている私は必死だった。
ある日、「ここが双方うまくバランスが取れると云々…」というような説明を聞いている最中に「ああ、みそ汁みたいな感じですね!」と言いながらノートを取っている私に、田中さんが初めてクスリと笑った。
「上手いこといいますね。そうです、出汁と味噌のバランスが重要です」彼は、ちょっと楽しそうな口調で言った。
わ、笑ったーーーー!!!
その日以降、ちょっとだけ、田中さんは私を認めてくれたような気がした。
それから数日かけて、無事研修は終わり、彼は東京に戻り、私は、その機械の本格稼働を始めることになった。
何週間か経った頃だ。
何度マニュアルを読み返しても、消えないエラーが出た。
東京にいる田中さんに電話をして、カタカナ英語でエラー内容やら表示を必死に繰り返し説明する。
「おかしいですね…とすると……
わかりました、今からそちらへ行きます」
えっ、今から!?
時はすでに夕方だった。東京から茨城県までの移動を考え、さらにそこからみてもらうとなると、どう考えても帰りは夜中のコースだ、帰りてぇ!!
とは言えない。
もしかしたら、私のエラー表記の伝え方が間違っているかもしれないのだ。
2時間後、田中さんは颯爽と現れ、挨拶もほどほどに私が見たことのない画面に、どえらい勢いでカタカタとなにか入力していく。
全く出番の無くなった私は、当時、夢中だったエヴァンゲリオンの、デンッデンッデンッデンッデッデッ♪と使徒襲来の音楽を脳内で流して、葛城ミサト風に彼を見守った。
しばらくすると「あああ!!やっぱり!!」
突然、田中さんは大声をだして、「なんてこった!」とか「なんで今まで気づかなかったんだ」とか言いだした。
なんだ、使徒が分裂したか?飛んだか?ATフィールドが破られたのか!?
気持ちは完全に明後日に行っている私に、田中さんが猛烈に謝りだした。
「申し訳ありません…!これは、初期の段階で設定にミスがあったと思われます。何故今までエラーが出なかったのか…私が思うところ云々ーかんぬんーー」(わからない)
小娘に対してとは思えぬ、実に丁寧な謝罪と、原因の説明ぶりに、私は
「いえいえ、直ればもうそれでー」とヘラヘラ笑った。
すると田中さんは
「いえ!貴重な時間を無駄にし、とき田さん(苗字と仮定)に多大なるご迷惑をかけたこと、誠に申し訳ないと思います!!」
私が青い瞳の持ち主ならば、
ジーザス!!
ハラキリー!?ジャパニーズサムラーイ!!
と叫びだしてしまいそうな程、彼は首を垂れ、いまにも土下座しそうな勢いだった。
いやいやいやいや、本当に!大丈夫ですから!!
こんなに大人から誠実に謝られたことはない。
彼は、最初から、私を小娘などとは思っておらず、対等な仕事相手として見てくれていたのだと、その時初めて知った。
「次、お詫びの品を持って伺いますので…!」
そ、そんなのいいですよーーー!!
そう言って見送ったが、彼は、その数日後、本当に大きい箱を持って現れた。
「手作りです」
真面目な顔のまま田中さんが渡してきた箱の中身は、それは美しいシフォンケーキだった。
「わ、すごい!奥様が作られたんですか?」
私がそういうと、彼はまた、あの時のようにクスリと笑って言った。
「男が、お菓子を手作りしないと、誰が決めたんですか?」
田中さんが作ったのぉぉぉぉー!?
眼鏡をクイっと上げながら、華麗なエプロン姿でお菓子を作る田中さんを想像して、私はものすごく喜んでしまった。
だから、キャラが立ちすぎてるって…!!
シフォンケーキは、とても美味しかった。
キメが細かく、フワフワなのにしっとりと弾力があり、焼き色が均一で、お店で売っていると言われても一切疑わないものだ。
「どうやって作るんですか?」と、会話の繋ぎに軽く聞いた私に、
「今度、レシピを送ります」「その通りに作れば、絶対に上手に焼けます」
そう言った彼が、わざわざ郵便で送ってきたシフォンケーキのレシピは、まるでマニュアル書の様に分厚かった。
しかも、色んな種類があるかと思いきや、プレーンのみだ。
一つの工程ごとに写真がついており、メレンゲの色艶や、ツノの立ち具合、黄身が白っぽくなる、の白っぽいとは。自分で判断せず、写真と同じになっているか確認せよ、とのことだった。
さ、さすが田中さん…キャラブレがない…!!
田中さんは、食べ物を作る話をすると笑う。
そう気付いた私は、その後、田中さんにちょいちょい手作りの話題を放り込んで、楽しくオペレーターとして成長した。
しかし、数年後、会社が傾いてしまい、私はその機械とも田中さんとも会うことがなくなった。
私に残ったのは、田中さんのレシピと、シフォンケーキを美味しく焼く技術だった。
それなのに、嫁に行く時の引っ越しのドタバタで、レシピがどこかにいってしまったのが、今思い出すととても悔やまれる。
もう私はアレを焼けない。
あの、サムライが作るシフォンケーキ。
あれを超えてくるものには出会っていないし、何度かクックパッドをみて作ったけど、あれほど頼りになるレシピも、未だに見つけられていない。
今もあのサムライは、東京のどこかで、几帳面な顔をしてお菓子を焼いているのだろうか?
フワフワと甘い香りを漂わせながら、全く笑わないサムライテイストのお店を出してたら面白いのにな、と思う。