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享楽するミン・ユンギ

BTSはさまざまな楽曲の中で、大人たちによるパターナルな抑圧からの解放を訴えるとともに、たとえ生傷は避けられなくても、自分が好きなように人生を楽しめと呼び掛けてきました。(*注1)

でも、彼らが言う「好きなこと」はちょっと複雑です。「好きなこと」を見つけて人生楽しもうというメッセージがある半面で、「好きなこと」なんてそんなに一面的に言えることじゃない……という葛藤まで織り込まれていて、そういうダブルバインドをそのままに見る姿勢こそが彼らの持ち味です。

シュガは2021年のGQのインタビューで「好きなことを長く持続する方法はありますか?」と質問され、次のように答えます。

あまり好きにならないようにすることですね。好きすぎると長くできません。音楽をとても愛していましたが、あまり好きにならないように努力した時期がありました。いまも好きになりすぎないよう努力しています。  ―GQ Japan 2022年4月号


 
シュガは「好き」という熱意に対して敢えて距離を取ることで、好きを継続することができると言います。シュガがこうした俯瞰した見方ができるところには秘密があります。

この仕事って自分が好きで始めたんですけど、ある意味では愛憎なんですよね。嫌だったり好きだったりします。でも、この仕事がないと生きていけない気がします。ライブや音楽のない人生を考えたら、すごく退屈な気がします。 

―BTS BREAK THE SILENCE (2019年)


 
精神分析家のラカン(1901-1981)は、快と不快が入り混じったような両義的な気持ちよさのことを「享楽」と呼びました。それはリスクの波打ち際にあるものであり、生と死の狭間でこそ生を実感するような、生の保存本能では説明できないような過剰な喜びを求めることです。

例えば、わかりやすい例としては、エベレストやK2といった危険な山を登る登山家たちは、生と死の狭間でこそ強烈な生きる実感を得るのです。リスクの波打ち際に身を置くからこそ、人生を燃やすような快が全身に走り、その快を求めてさらなるチャレンジを続けるのでしょう。

こんな例を出したら、享楽というのは登山家のようなちょっと変わった人たちの特別な性向と思われるかもしれません。確かに、享楽というのは常に「死」のイメージが付きまとうものであり、基本的にそれはほとんど例外なく人が避けようとするもののはずです。

しかし、それにもかかわらず私たちは、次元さえ違えども多かれ少なかれ享楽を味わっていて、例えば子どもたちの部活動や私たちの日々の仕事や子育てを思い出せばすぐにわかるのですが、辛い中での楽しみ、嫌いな中での好きを見つけながらやる行為のすべてに、このような享楽の成分が含まれているのです。

つまり、人は「好きなこと」だけでは生きていない。むしろ、好きと嫌いの間にある過剰なものでこそ自分が生かされる。シュガはそのことに極めて自覚的であり、彼の好きなものに対する距離感、それは「愛憎」であり「嫌だったり好きだったり」するというアンビバレンスを自覚する姿勢は、私たちが好きなものと長く付き合って生きていく上で大きな参考になります。


そういえば、2019年12月のV LIVEで、シュガが「楽しい夜を」という言葉を「楽な夜を」という言葉にわざわざ言い換えたことが、SNSを中心に話題に上りました。

「楽しくする」ことって無条件にいいことと考えられがちですが、シュガはそこに異議を挟むんです。楽しいばかりが人生にとっていいこととは限らないし、別に楽しくなくてもその人らしい時間が流れていたらそれでいいじゃないか。彼はそういうふうに言っているように思えます。

私自身、子どものころに、例えば学校行事のノリに乗れなくて、楽しめない自分を心細く思っていた時期があります。そんなときに、彼のこの言葉を聞いたら、それこそ楽になっただろうなと思うのです。同じように楽になると感じた人が多いから、このさりげない言葉が話題に上ったのでしょう。シュガの言葉選びにはハッとさせられることが多々あります。

シュガはこのように「好きなこと」「楽しいこと」を手放しに称えるようなことをしません。「好きなこと」や「楽しいこと」をパターナルに推奨することが、簡単に人間をコード化して扱いやすくしてしまうことを見抜いているのです。さらに、世界も人間も複雑な現象であり、簡単に片付かないという強い直観が彼の知性のまん中にあるのです。(*注2)

 
この視点から見れば、2022年の防弾会食におけるシュガの発言に対する多くの失望の声が、大きな誤解に基づくものであったことがわかります。会食の中で彼が話した、「デビュー以来、楽しみながら作業をしたことがない」という趣旨の言葉に、多くのARMYが衝撃を受け、中にはまるで自分が長い間騙されていたかのような失望の声を上げたファンさえいたのです。

僕にとって一番難しいのは歌詞を書くこと。言いたいことがなくなってしまった。ほんとうに。僕が感じて、僕が話したいことを話さなくちゃいけないのに、無理やり絞り出している。とにかく誰かを満足させること、聞いてくれることを考えないといけないから。でもそれはすごく辛い。

もともと、仕事自体がそうで、僕は(デビューした)2013年以来、作業をしながら一度もすごく楽しいと思いながら作業をしたことがない。いつも苦しかった。絞り出してきた。

でも、いま絞り出してるのと、7、8年前に絞り出していたこととの間には、(質的に)あまりに大きな違いがある。あのときは、話したいことがあって、でもスキル的に不足しているから絞り出すしかなかったんだけど、いまは(スキルはあるのに)話したいことがないから、絞り出さないといけない。(いまはもう)何の話をすればいいのかわからなくなった。 
―FESTA 2022 防弾会食 (*カッコ内は筆者が追記)


 
ここまでお読みの方はわかると思うのですが、これは彼特有のアンビバレンツな表現です。シュガが絞り出す苦しみの中にこそ喜びを感じてきた人だという前提がわからないと、この発言は誤解したまま受け取ってしまう可能性があります。

この発言の要点は、「絞り出す」ことの意味が変質してしまったということであり、いまのような書くことがない状況で無理やり書くようでは、生み出す苦しみを享楽することができない。そのことを彼は嘆いているのです。

 
BTSは夢や希望についても、アンビバレンツな表現を重ねてきました。あるときは夢は大切だと訴える一方で、別のあるときは「夢なんてない」と真逆のことを歌うのです。やはりここにもBTSのダブルバインドがはっきりと表れます。

シュガのソロプロジェクト、Agust Dの曲「So Far Away」(2016年に公開されたミックステープ『Agust D』収録)の歌詞には、夢を持てない自分、まだ何者でもなく、ひとりぼっちである自分に焦燥する思春期の葛藤がそのまま描かれています。「毎朝目を覚ますのが怖くてたまらない、最低な自分がそのまま消えてしまえばいい」という嘆きの狭間に、「自分にも夢があったら 羽ばたく夢があったら」というフレーズが何度もリプライズされるのです。
 
若者が「夢」を持てない自分に焦燥するのは、本人の気質だけに起因するものではありません。学校や大人が常に子どもをコンペティションの環境の中に置こうとすることもその一因でしょうし、大人が子どもに推奨する「夢」自体が、実は大人にとってのひとつの硬直した現実にすぎず、それを子どもたちが看破しているという側面もあるでしょう。
 
大人は「もっと勉強しないと現実はそんなに甘くないよ」と子どもに言うくせに、別のある日は「あなたは将来何になりたいの?」と将来の夢を語らせようとします。つまり、現実は苦しいものだと言っておきながら、それでも子どもにキラキラした希望を語ってほしいと願っているのです。
 
子どもに絶望を見せておきながら、それでも子どもには輝く存在でいてほしいなんて、大人はほんとうにどうかしています。でも、これは子どもにキラキラを求めるのがダメというよりは、「現実の厳しさ」の部分を大人がもっと日ごろの工夫で克服すべきなんです。でなければ、大人の絶望に子どもを巻き込むだけですから。デビュー以来、そんな大人たちの不作為の巻き込みに対して、一貫してNOを突き付けてきたのが彼らの音楽です。
 
学生たちは、「将来の夢をかなえるために、いま頑張っておこう」と事あるごとに大人たちから畳み掛けられます。しかしその実は、いま生きる楽しみを犠牲にしてまで、皆と同じレールに乗って進むことを強要されるだけなのです。そして、その先にあるのは、できるだけ皆と同じ「安心」な人生を歩むこと。あなた自身が好きなように生きていけばいいんだと心から言ってくれる人は誰もいない。こうして多様だったはずの可能性を奪われながら、社会の掟に自ら支配されることが勝者になるための正解だという価値観の中で、子どもたちは大人になっていくのです。
 
2018年に発表された『Paradise』(『LOVE YOURSELF 轉 'Tear'』収録)はまさにBTSのアンビバレンスを凝縮したような曲です。「パラダイス」というタイトルの響きから明るい曲かなと思って聞いてみると、すっごい暗い曲なんですね。「僕には夢がない」と言い切る歌詞が印象的です。

他にも、「仕立て上げた夢は涙の寝言」という歌詞は、「夢」という言葉を使う大人たちが、実際にはカビの生えた現実を押しつけているに過ぎないことに対する強烈なカウンターです。彼らは「ただ生きていくこと、生き延びることだけが夢」と切実に歌うのですが、これはつまり、「いま」の現実に応答しながら、その都度に最善を尽くして生きていくことさえできればいいはずではないかという叫びです。

彼らは、夢がない僕たちを世間は「罵る資格などない」と言い切ります。なぜなら「夢を見る方法すら教えてくれたことがない」のですから。彼らが語る夢なんて、所詮、劣化した現実にすぎないのです。だから、僕らは「彼らが望むように」生きるようではダメだと訴えます。そして、周りの雑音のせいで、なぜ自分が走っているかわからなくなるくらいなら、焦らずに一度立ち止まったほうがいい。大人たちが押しつけてくる悪夢から降りて、毎日いっしょに笑おうよ。いっしょに楽園に行こうよ。そう聞く人たちに呼び掛ける歌です。
 
大人は子どもへのさまざまな企てを通して、子どもを「まともな」大人に育てようとします。そのために、あくまで社会規範の範囲内での「夢」を子どもに持たせようとします。しかし、そういった世間の夢に乗れない子どもたちは自信をなくし、焦燥感を募らせます。そこに管理社会の芽を感じる若者たちは、そこから身を剥がしたいともがきます。

シュガは大人から与えられた悪夢の中で消耗する自分を描きながら、同時に、その葛藤の観察を通して悪夢から立ち直る自分を描き、聞く人たちを奮い立たせます。

「INTRO : 화양연화 花様年華」(2016年のアルバム『花様年華 Young Forever』収録)でシュガは「オレはオレの人生で何をするつもりだ?」と自らに問いかけます。他人が擦りつける評価と成功の基準にことごとく適合しない自分に対して強い不安を抱き、そのせいで精神を病んでいることをほのめかしながら、それでももう一度自分の生きる道を取り戻そうとするこの曲では、世間的な評価に適合しなくても、別のしかたで自分の力で立つ決意が語られています。

曲の最後にシュガは自分に問いかけます。「いまお前は幸せか?」と。それに対して彼は力強く応答します。「その答えはすでに決まった。オレは幸せだ」と。

これは、全く先の見えない未来に対する勝利宣言に他なりません。自分の心臓の鼓動に合わせて毎日を生き延びていけば、必ず幸せのようなものはやってくる。世間の不安に巻き込まれさえしなければ、自分の生き方で生きていける。信念よりも、いまを柔軟に生きることの方が大切で(*注3)、それがオレにとっての勝利なのだと彼は歌っているのです。


 
シュガは2021年、GQのインタビューで質問者に次のように尋ねられます。

「BTSが“夢の前では誰もが平等で、夢がなくても大丈夫”と言ってくれたおかげで、多くの人の心が癒されました。でも、ときには目標と夢が人生で大きな力になることもあります。夢の前で迷子のようになっているときは、どのように行動すべきでしょうか?」
これに対して彼は、次のように答えます。
 

夢にあまりにも多くの意味を与えてはいけません。夢はただの夢なんです。必ずしも、そんなに努力して、苦労しながら生きなくてもいいということです。(中略) 

78億人の人口が78億通りの人生を生きているのに、ひとつの道だけに進ませようとさせられているのが僕はとても残念です。60代や70代の人も夢をもっているかもしれませんが、社会はとくに若い人たちに残酷だと思うことがよくあります。ある道に進み、その通りにならなければ、まるで失敗したかのように言われるじゃないですか。でも、生きてみるとそうではないんですよ、人生は。

若い人たちには、あまり自分を責めないでほしいですね。それはあなたのせいではないから。それに、他者と自分を比較しないでください。夢の大きさをあえて他人と比較する必要はまったくないんですよ。僕もものすごく大きな夢をもって生きているように見えるかもしれませんが、そうではありません。僕もいまは夢がないんです。夢がないことが果たして不幸なのか? そうでもないですよ。むしろ、いまは楽です。
 
また夢はできるでしょう。バスケットボールがもっと上手くなりたいのが僕の夢かもしれないし、そんなことをひとつ、2つずつ叶えていくだけでも、十分価値のある人生だと思います。
―GQ Japan 2022年4月号
 

「夢」という言葉はその人なりの価値観からの抽出物であり、そして、その価値観は世間や親の受け売りである場合がほとんどです。なかなか自分独特の夢を持つことは難しい。なぜなら、実際のところは、何かを継続した先にしか自分らしきものは生まれてこないからで、夢は常に人生の強引な先取りに他ならないからです。
 
このインタビューでもそうですが、シュガは、夢というよりも、その瞬間のひとつひとつに意味を見つけていくことがその人の価値になり、つまるところそれが夢がかなうことだと語っています。
 
2018年以降、ライブの一番盛り上がるときにたびたび歌われることでARMYたちに広く知られる曲「So What」(2018年のアルバム『LOVE YOURSELF 轉 'Tear'』収録)は、世間の現実的価値観に呑み込まれそうになりながら、それでも自分独特の夢をつかもうとする人たちに捧げる応援歌です。
 
私たちはすぐに答えのない悩みの中に埋没してしまいます。でもその「悩みの9割は、君が作り出した想像のドロ沼」だと彼らは歌います。そんなときは、「So What?」(=だから何?)という掛け声でそれを吹き飛ばして、とりあえず勇気を出して走ってみようよと彼らは呼び掛けます。
 
さまざまな価値観が乱立するいま、大人たちが言う正しさなんて、多様な価値観のひとつにすぎないし、唯一の正解なんてものはありません。だから答えのない悩みの中に埋没してみても、いつまでも解決することはないのです。

「人の運命がすべてわかってしまうとしたら、どんな面白味があるのか。苦痛はオレの勲章」と歌う彼らは人生を享楽する人たちです。だからこそバンタンは歌います。「答えはひとつしかない そのまま信じて走ってみよう」と。正解のない世界だからこそ、肝心なのは、答えはひとつと思ってやってみることなんだ。良かれと思っていろいろな干渉を仕掛けてくる大人に対してはSo What?とだけ言ってやればいい。どうせわかんないんだから、信じて走ってみようと彼らは歌うのです。(*注4)

So What? の掛け声は、大人たちの無自覚なパターナリズムの関節を外して無効化します。良かれと思ってさまざまな干渉を仕掛けてくる大人たちの間を巧みにすり抜けるうちに、それは滑らかな独特のラインとなり、それが自分だけの軌道になっていくのです。

走ることで道ができ、その道がそのままその人の夢になるという彼らのメッセージは、「裸足の両足がオレたちのガソリン、さあ行こう」と歌う「Run!BTS」や「僕たちが進むこの道はどれもすべてが道になるから」と歌う「For Youth」(どちらも2022年のアンソロジーアルバム『Proof』収録)に引き継がれています。(*注5)



以上のようにバンタンは、「好きなこと」や「夢」といった理想に捉われすぎることなく、わからないなりに、わからないからこそ自分で走ってみよう(RUN RUN RUN!)と私たちを励まし続けてきました。

このような彼らのメッセージは、希望と絶望の二項対立では割り切れない複雑性を決して手放さないミン・ユンギの個性と切り離して考えることはできません。

ミン・ユンギ(SUGA/Agust D)が教えてくれることは、悩みの中に埋没すのではなく、どんなに苦しくても、生と死の裂け目で、死と隣接しながらヒリヒリとした生を味わうことの喜びと面白さです。SUGAとAgust Dに分裂する彼の姿は、アンビバレンツな裂け目として今日も私たちの存在を根底から揺さぶります。それに気づいた人は、彼からますます目を離すことができなくなるのです。



>数多くの楽曲の中でも、特にミン・ユンギ(Agust D / SUGA)の享楽性が最も開示された曲「Agust D」


*注1:代表的な曲が「Bring the pain」(痛みを持ってこい!)と歌った「ON」である。

*注2:シュガはフーコー的な意味で、管理社会に対する強い警句を何度も放っている。たとえば2021年のGQでは、「初心」という言葉は「大人たちが管理しやすくするために作った言葉」と指摘しており、確かにこの言葉には日々変化する人間を足止めにしたい欲求がときに透けて見える。「初心」という言葉は、使い方次第では私たちが生きていくうちに自ずと生成変化していく在り方を牽制する響きを含んでおり、彼はそれを見逃さない。また、シュガは2022年『Proof』インタビューにおいて、「ありのままの自分とは?」との問いに、「わからない」と答えた後、「人は複雑な存在だから、ひとつをもってその人だとは言えない」という趣旨を発言しており、これは人間を単純化して見る風潮に対する牽制と取れる。

*注3: 2022年の『Proof』インタビューにてシュガは「信念はあるか?」という問いに対して、昔はあったが、確固たる信念はそれがままならなくなるとかえって人を苦しませる、それよりもいまを柔軟に生きる方が大切だという趣旨を述べている。

*注4:SNSやYouTube,TikTok動画などを見ていると、「答えはどうせない、そんなものはわからない」ことに開き直って、どうせ正しさなんてないんだしと、さまざまなフェイクを仕掛けて、それを露悪的に楽しむコンテンツが多数見受けられる。しかし、バンタンがここで歌っているのは、「正解のない世界だからこそ、肝心なのは、答えはひとつと思ってやってみること」であり、このメッセージこそいまほんとうに若い人たちに必要なものである。

*注5:BTSが放つメッセージは極めてニーチェ的であり、この箇所は特にその傾向が明らかである。「世界には君以外には誰も歩むことができないたったひとつの道がある。その道はどこにたどり着くのかと問うてはならない。ただひたすらに進め。」(『反時代的考察』第3部・訳は著者)


*この論考を改稿した「BTSの精神分析」は『「推し」の文化論』(晶文社)に収録しています。


(以下は英語話者の方からのこの記事に対する質問に答えたものです)

*For those who are seeing this article translated into English

I received the following question in English on X (Twitter) and responded to it.


Q.
I'm honestly impressed that someone did his homework very well.
But what happened here?


A.
Let me explain this part.

On V LIVE in December 2019, SUGA almost said "Have a nice night...". But then he casually corrected himself by saying, "I shouldn't say that," and replaced it with "Have an easy (편안한) night." The Korean word 편안한 means something like "easy," "comfortable," "calm," or "pleasant.

There are many challenges in our lives and this night may not be "nice" for everyone. So SUGA went out of his way to change the word to "easy" because he felt that he could not impose "nice" on everyone. Many fans felt SUGA had a deep compassion for them.


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