鳥羽和久
親子関係、学校問題などに関する論考をまとめました。
鳥羽和久の関連記事(本人の記事、寄せられた書籍やイベントの感想など)
BTS(防弾少年団)に関する論考をまとめました。
読書記録や書評、映画評などをまとめました。
随想(エッセイ)記事をこちらにまとめました。
10月は中学校の合唱コンクールが行われる季節で、多くの学校の生徒たちが昼休みや放課後の時間まで削りながら、練習に励みました。 今年の合唱コンクールは3年ぶりに本番のみ全員がマスクを外して歌うことにした学校も多く、観客席の多くの保護者たちは、舞台上のスポットに照らされた我が子とクラスメートたちが立ち並ぶ姿を見て、歌う前からうるうると涙を浮かべてしまいます。 そしていよいよ子どもたちが歌い出すと、迫力ある熱っぽい歌声に押し出されるように涙があふれてくるのです。あの子はいつもあ
ほめて伸ばすのがダメなのではなく、ほめるときに相手をコントロールする欲求が透けて見えるのがダメなんです。ほめること自体には害悪はない。(2024.10.25) 「ほめる子育てはよくない」とかちんけなこと言ってないで、その子のこれだといういいところを見つけてほめ倒してほしい。(2024.5.11) ほめる子育ては良いか悪いかみたいな話がよくあるけど、その前に、ほめるときに本気でほめてるかってことを考えたほうがいい。 本気でほめてるなら悪いことのわけがない。子供をコントロール
16年前の10月に書いた記事。その10年後に大幅に改稿し、『親子の手帖』(鳥影社)に収録されることになります。 ・・・・・・・・ 日ごろ子どもたちにテストを受けさせていると、ちらちらと隣を見る子がいて気になることがあります。 子どもたちに伝えたいのは、カンニングは本人がいくらバレないと思っていても、実際にはきっと9割以上の確率でバレていますよ、ということです。 注意されない=バレていない、と思ったら大間違い。こちらは「あっ、いま明らかにカンニングした!」と気づいても、
ホビは今年もいいアルバムを出したし、とにかく豊富なコンテンツを残してくれたから空白期というものをほとんど感じませんでした。今日も、ホビとユンジンの曲(i don’t know)を聞いてたところ。 ホビのD-DAYに寄せて、これまでにホビ(J-HOPE)について書いたこと、とっさにつぶやいたことなどを以下にまとめました。 ・・・・・・ 光州は、東方神起、KARA、BIGBANG、BTS、INFINITE、Dal★Shabetのメンバー等を輩出してる。(2019.8.16)
~2024年、親と子の間で考えたことのつぶやき まとめその1~ 「良い親」の唯一の定義があるとすれば、子どもの人生の邪魔をしない人だということ。(4/15) 多くの親は子供にできるだけの選択肢を与えて生き易くしてあげようと躍起になるわりに、自分程度でもこうして生きてるよと伝える勇気がない。(6/3) 神経症的な気質を物事や他人に対する丁寧さに生かしている人は尊敬に値するけれど、その気質が親が子供に対して生真面目さを求める方向に働いて「その適当さがあなたにとって楽ならそれ
学生時代を遥か昔に通り抜け、中年と呼ばれる年齢になった大人たちが、「勉強」という言葉の中身を学生の頃のイメージのままに温存していることに驚くことがある。 先日、子どもが勉強に興味を示さない悩みを抱える中学生の母親から相談を受けた。私は、親が日常的に自ら勉強する姿を見せることが効果的ではないかと答えた。すると、母親は「私も実は〇〇の資格の勉強をしている最中なので、頑張っている姿を見せれば、うちの子も少しはやる気が出るかもしれませんね」と話した。 この母親は何か間違いを犯し
2024年10月17日刊行の新刊、『「学び」がわからなくなったときに読む本』(あさま社)の紹介をまとめた記事です。 親子、家庭、学校、塾における学び(勉強)や、言語、からだ、社会的関係を介した学びなどを通して、読者にとっての「学び」を詳らかにしていくための1冊です。 本の構成はライターの安里和哲さん、あさま社の坂口惣一さん。 おふたりの力がなければ、これだけ分厚い内容の本に仕上がらなかっただろうと思います。 ページをめくるたびにすごいことになっていて、7組の対談が、イベ
12年ぶりにパリに来た。まだ行ったことのなかったオルセー美術館へ。 オルセー美術館はかつての駅舎を利用したもの。いまのパリには中心街から離れたところにしか鉄道の駅はないので、いっときでもこんな中心地に駅があったことに驚きである。外観の時計からそれっぽかったが、エントランスを抜けるとそこは確かに駅の名残りそのもの。細長いホームと列車が見えるよう。 オルセー美術館は印象派を中心としたせまい年代に特化されているので、構成が非常にわかりやすいし興味深い展示が続く。19世紀からこう
昨日は国語塾(中1・中2対象)の授業で哲学者串田孫一が1955年に書いた文章(『考えることについて』)を出題した岡山県公立高校入試問題過去問(2018)を扱いました。 この文章の中で串田は「知ること」というのは、知りたいという意欲を持って真剣に知ろうとすることであり、そこで獲得の喜びを伴って得た真の知識が自身の成長の助けになるという話をしています。しかし、(学校を念頭に置いて)「教える-教わる」の硬直化した関係性の中では「機械的な学び」が生じ、外部からの強制的な力によって「
NotebookLMに過去の自分の50の原稿を読み込ませた上で中学生の質問に答えてみるという試み。あくまでリソースは私自身が書いたものなのに、何かがすくっと立ち上がる不思議。回答もなかなか良い気がします。(*長すぎる回答は縮めていますが大意や表現は変えていません)いずれも生徒たちに実際に質問されたことのある問いを選んでみました。 Q1. 勉強のやる気がでない、どうすればいい? A. 勉強に対するモチベーションが上がらないときは、目標達成のための一貫性に縛られるのではなく、
大人のほとんどが、子供の頃できなかったことを、今もできないできないと胸に抱えながら生きている。(2024.7.3) 大人になって何度も「私は○○ができないな」「私は××が下手だ」と考えることがあるが、これらは多くが子供時代の苦手意識の反復で、人生はこういう反復に貫かれている。(2024.1.9) 人は日々変化していくし物事には様々な象面があるから、一度苦手だと思っても本当は何度でも出会い直せる。しかし、相対的に形成された苦手意識がその人の身体を固まらせて出会い直すことを妨
自分の両親が多少バランスを欠いた人間だったとして、子供がそのことに容易く気づけるわけがない。両親がその子供にとっての世界だから。(2023.7.5) 過度に倫理的な人はそれだけでバランス崩してる証拠だから気をつけなよ、という話をした。(2021.9.28) バランス感覚がいいと言われる人は別にバランスを取ってないことが多い。そして、ちょうどいい距離感、というときは、別に距離をはかってないことが多い。不作為。しかし、バランスを取ろうとすると途端に体勢を崩してしまうところに人
『さびしさについて』植本一子・滝口悠生(ちくま文庫)は、もともと自費出版として出された『ひとりになること 花をおくるよ』収録の往復書簡(2021年11月から翌年4月)に新たに2往復のやりとり(2023年7月から11月)が追加されたもの。 往復書簡には、相手の全力の言葉に対してその都度に全力で応答するという流儀の誠実さが見られることもあるが(その例として真っ先に浮かぶのはやはり『急に具合が悪くなる』宮野真生子、磯野真穂 著)、この本では、相手の言葉を参照点にしながらも、思考が
今日はソクジンのD-Day。彼を待っている間に、待っている人みんなが1年半ぶん年をとったというのが感慨深い。長いようで、The Astronaut からもうそれだけの時間が経ったなんて早すぎる…とも思う。 以下にこれまでのジンに対するつぶやき、心の叫びをまとめました。 ・・・・・・・・ ジン(BTS)ってWWHをネタにすることで却って正面からハンサムを引き受けないことに成功してる。それだけでなく、ハンサム役を一手に引き受けることでテテ(やググ)、ひいてはメンバーみんなが
人が反省してるときって、単に他人の反省しろ落ち込め不幸になれという自分に向けられている(と想定される)負の欲望を内面化してそれに準じようとしてるだけで、自身の手持ちの感情ではないことが多い。だから反省には卑屈さと自己憐憫が付き物。手放したほうがいい。(2022.12.7) さかんに反省したがる人がいるが、その実は「卑屈になってもこの身勝手な欲望を認められたい」という思いの発露であることが多い。反省しているときには、反省したがっている自分に気づくのがとても大事。(2022.1
この小説『生きる演技』は、長編小説ならではの巻き込む力が暴力的なまでに強く、読んだ後は心と体が硬くなってまともに言葉を発せずにいた。いまもその硬さが十分にほぐれずにいるのだが、年間で最も多忙な受験期に締切に強いられて書いた書評(文藝2024年夏号掲載)をもとに、それを大幅に改稿する形で、もう少しだけこの本を読み下すことを試みてみたい。私はこの小説を、暴力について、そして暴力という現実に対する「妥協」としての「言葉」や「演技」についての、著者の渾身の回答として読んだ。 この物