自分を殺して生きる。そんな当たり前を手放したい
アダルトチルドレンである僕は、自分を殺して生きている。
自分を殺すことが、過酷な環境で生き残るための手段だとは皮肉なものだと常日頃から感じている。
手に入れた「過剰適応」で、自分は何者にでもなり切れる。
ただ、本当の自分自身にはなりきることができない。
他者が求めるものが分かっても、自分の求めるものが分からなくなっているからである。
ただひとつだけ確かなのは、他人の前で演じているものは自分の求めていることでは無いということだ。
「辛い」そんな感情が生まれるのも、まだまだ自分を殺しきれていない証拠だとずっと考えてきた。
自分ひとりが永遠に我慢すれば良い。何ひとつ感じなければ良い。そうやって言い聞かせてきた。
ただ、そんな生き方が間違っていることくらいとうの昔に気付いている。
それでも今日も、誰かが求める自分を演じている。
そうしないと、価値の無い自分は存在できないのだから。