【毒親育ちのエッセイ】誰かの中で生き続けたい
物心ついた時から、無意味な暴力と暴言で洗脳されてきた。
ゴミを捨てることも、使ったものを片付けることも出来ない親に、奴隷として扱われてきた。
食べることしか出来ない親は、朝のうちに炊飯器の中の米を全て平らげ、昼までに息子である僕たちが気付かないでいると茶碗を投げつけてくる。
こんなことも出来ないなら、学校なんて辞めてしまえ。と
怯えながらやり過ごす日々の中、うつ病や不安障害、解離性障害など様々なものを患った。
幼少期から「死にたい」と願うようになった僕だが、頻繁に考えることがひとつ。
“僕の人生に意味はあったのか?”
DV、モラハラ、いじめ、パワハラ……苦痛を与えられるだけの人生。トラウマを植え付けられるだけの人生。死ぬ為に産まれてきたようなものだ。
そんな人生に価値があるとすれば、性悪な金持ちに喜劇として披露出来る程度だろうか。
どうしても無意味にしか感じられない人生で、一度だけ強く思ったことがある。
“誰かの中で生き続けたい”
「こういう奴も居たんだ」というような小さな記憶で良いから、誰かの中に居ることで、自分の人生に価値を与えられる気がした。
自分を知ってもらうことで、身近に苦しんでいる人たちが隠れているかも知れないということに気づいて欲しかった。
レザークラフトを始め、革製品を作っていたのもそのひとつ。
インターネットで小説を書き続けていたのもそのひとつ。(書籍化のコンテストで一度中間選考を通った)
音楽で唯一の自分を表現できる場所を確保し、誰かの心に寄り添いたいとベースを数年間続けていたこともあった。
結局、どれも何ひとつとして遺すことは出来なかったが……。
生きることを許されない、生きたくても生きられない人は意外と身近に居るかも知れない。
そんな人たちに、どうか気付いてあげて欲しい。