【毒親育ちのエッセイ】何かがおかしい。けど、それが何かは分からなかった

久々の【毒親育ちのエッセイ】
苦しくてしょうがなかった人生を書いているので、耐性の無い人には閲覧注意かも。

物心ついたときから、暴力と暴言で支配されてきた。
自分は、無能で価値の無い存在なのだと洗脳されてきた。
だから、毎日のように怯えながら生きて来た。
奴隷に成り下がって生活しないと暴力を振るわれる。暴言を浴びせられる。
そうやって、自分を徹底的に殺して生きるより、死んだ方が良いと気付いた幼少期。

「死にたい」と何度も口にするようになり「じゃあ死ね!」と言われていたのを今でも思い出す。

そんな日々の中、いつからか自分が自分では無いような感覚がすることに気が付いた。
常に他人の顔色を窺って、誰かが求める自分を演じている。必死に「生きている振り」をしている。
そこに、自分の感情なんてモノは一切無い。
演じているとき、常にもう一人の冷めた自分が心の内に居た。
喜びも、悲しみも、何も感じられない自分。
いつからか、そんな無感情な自分が「僕」になっていた。

自分ですら自分で無いような、そもそも他人と自分に違いはあるのだろうか。自分も他人で、他人も他人であるように見えるのに。

そんな違和感をずっと抱きながら、常に自己嫌悪する。
親に散々侮辱されて来たように「やはり自分は異常なんだ。異常な人格破綻者なんだ」そう思っていた。

何かがおかしい。なら、おかしいのは自分だ。
アダルトチルドレン(AC)特有の自責。
誰からも認められない、自分ですらも認められないこんな自分が嫌いで仕方がなかった。

生きていたって、何も感じられない。
苦しいことばかりで、わざわざ生き延びる理由が無い。
「楽しい」なんて知らない。だから、未練も無い。

何度もクリニックに通い、この原因は解離性障害だと知った。
知ったところで、誰にも理解されないし、今更何も変わらない。
わざわざ長い年月をかけて治療するよりも、死んでしまった方が幸せだろう。
アダルトチルドレンの生き辛さを全て背負って耐えて来た傷が、僕にそう感じさせる。

こうして何度も失敗して来た自決。

いじめも、パワハラも経験して来た。

理不尽なこの世界は、幸せな奴らが幸福になる為に弱者を喰い散らかしているように僕の瞳には映る。

たとえ僕が死んだところで、何も変わることは無いだろう。数ある自殺者数の内の1に入るだけ。
どれだけ平和ボケした綺麗事を重ねても、所詮、人間一人の命はそんなものなのだろう。

それまでにどれだけの苦痛や困難があろうと、他人からしたら人は呆気なく死んだように見える。
境界線を超えて寄り添う無償の優しさなんて、この世には存在しないのだろうか。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集