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きづき 伊坂幸太郎 モダンタイムス再読

伊坂幸太郎のヘビーリーダー(こんな呼称は果たして存在するのだろうか)である私は、同じ作品を2度も、3度も、いやもっと何度も読み返すことがある。

今回は「魔王」の続編にして、伊坂作品史上最長である「モダンタイムス」を読み返した。最長であるため、この作品を読むのはおそらく3度目か4度目くらいだろう。他の作品に比べると少ない。

その中でもハッとさせられた言葉を書き残して置こう。

インターネットが存在しない時代は、いったい知識や情報をどうやって手に入れてたのだろうな、と気になった。検索できないとすれば、ありとあらゆる文献を総当りで漁っていくほかなく、その労力を考えるとぞっとした。それならばいっそのこと、調べないででっち上げた方がいい。インターネット以前の歴史は誰かのでっち上げではないか、とすら感じる。

この言葉は歴史を学ぶ身にとって身近に感じられたし、ある種の真実であるような気もした。実際名著と名高い司馬遷の「史記」ですら記述には大いに矛盾が含まれており、況や他の歴史書をや、である。
司馬遷も同じ人間である故、面倒くさくなった部分は否定できないのかもしれない。

「大事なルールほど、法律で決まってないのよ。困った人に手を貸しなさい、とかね、そういうのは法律になってない。」

非常時に赤信号を守る主人公・渡辺に対して妻の佳代子が放ったセリフだ。彼女は非常時に及んで赤信号を守る夫に対して、赤信号を守らなければならない理由を尋ねる。彼の答えは、「ルールだから」である。それに対して佳代子は、ルールには「大事なルールとそうじゃないルール」があるのだと言う。大事なルールは、「困った人がいたら、声をかける」ことであり、大事ではないルールは、「誰もいないのに赤信号を守る」ことなのだと。一見見苦しい議論ではあるが、その際に佳代子が放ったのが先程のセリフだ。
大事なルールほど法律になっておらず、無条件に赤信号に従うことは、「誰かの決めたルールを無条件に受け入れるだけ」なのだと言う。そしてそれはロボットと同じなのだと。

この発言を通じて夫は自身が大きなシステムに組み込まれた部品であることに気付いていくという重要な知見がこのセリフには込められていた。そしてこのテーマはモダンタイムス全体に通底するテーマでもある。

「独裁者なんていない。」

ナチスといった全体主義が興隆した時代において、チャップリンのような政治風刺はかなりの政治的メッセージが込められていた。チャップリンはかつて、「独裁者」の中で、「貪欲にもたらされた荒廃も、人類の発展を憎む心も、独裁者の死とともに消滅する」と語った。独裁者さえいなくなれば自由や平和が戻ってくるのだと。これは彼の思想というよりかは、願いのような気がする。

それに対して安藤潤也は、「独裁者なんていない」のだと語った。

「今の世の中独裁者なんていない。その人が消滅したら、物事が解決するような、そういった個人はどこにもいないんだ」

悪人なんていない、という綺麗事ではない。どの悪人も結局はシステムの1部にすぎず、そこを排除したとして全体が浄化されるわけではないのだと。システムとは、時代の大きな潮流と言い換えても良いだろう。おそらくあの時代、ヒトラーやアドルフ・アイヒマンら独裁者が存在しなくとも、時代はそう大きく変わっていなかったように感じる。

福沢諭吉も「文明論之概略」でかつて語ったが、英雄と呼ばれるようなその時代の舵を取る人物は、文字通りただ舵を取ったにすぎない。船長がいなくとも、時代という波に乗って船は進む。ただその航路を歪めず、ただ素直に波に乗ったまま操縦したものが英雄と呼ばれたのだ。
ヒトラーがいなくとも、戦争は起きた。船長の役割はヒトラーじゃなくても良かった。あの時代にはどうしても逆らえない流れがあった。ヒトラーはその波に乗ってドイツという船の舵を取った。ここで仮にヒトラーを取り除いても船は進む。それはそういうシステムになっているからだ。
だから安藤潤也は世の中の荒廃や憎しみを特定の人やグループのせいには出来ないのだと考えた。
伊坂幸太郎が福沢諭吉の思想に触れたことがあるのかは分からないが得てして同義のことを話していたものだから驚いたのも事実である。

「人生を楽しむには、勇気と想像力とちょっぴりのお金があればいい。」
原文: All it needs is courage, imagination, and some money.

ライムライト

これはチャップリンの「ライムライト」からの引用であり、本書モダンタイムスに通底するテーマとも密接に関連している言葉である。度々主人公の脳裏を駆け巡るセリフ、「勇気はあるか?」
本作では様々な形の「勇気」が登場し、問われる。そしてジョン・レノンの「イマジン」が議論されるように、「想像力」も重要なキーワードになっている。
「ちょっぴりのお金」とは分かりやすい表現である。噂では兆単位の資産を有する安藤夫妻が本作では「ちょっぴりのお金」とは対照的な存在として描かれる。幸せとお金は比例しないということは資本主義の宿命であるとも言える。だからこそチャップリンは「ちょっぴりのお金」と表現したのであろう。

「ちょっぴりのお金」に比べて勇気や想像力という言葉は抽象的で分かりにくいものである。本作を読めばわかる通り、「勇気」にもたくさんの種類があるからである。

ただ、優しさや愛情ではなく、「勇気」と「想像力」を人生を楽しむのに必要なものとして挙げたチャップリンのこの発言は心のどこかに留めておかないといけないなと感じた。

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