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「削除」という最も重い処分を下したら、意外とすんなり次のnoteが書けた話

たった今、せっかく書き上げた記事を「削除」した。

「下書き保存」でもなく、「非公開」でもない。あえて、もう元に戻すことができない状態である「削除」を選択したのだ。

「下書き保存」や「非公開」は、一見ゼロ(0)に見えるけれど、実際はゼロではない。いつでも元に戻せる状態であるため、(0.5)といった感じだろうか。


「削除」の選択が、簡単にできたわけではない。

「せっかく書いたんだからもったいないな」「明日になればうまく書けるかもしれないな」「どうにかして公開できる状態にしたいな」

そんな気持ちがあるものだから、それはそれは未練がましく、いつでも手の届く場所に置いていた。

そして、手の届く位置にあるものだから、noteを開くたびに、”あの記事”が気になってしまう。日が変わるたび、「今日ならうまく修正できそう」なんて気になるんだけど、いざ取り掛かると、結局ダメだった。


そんな日が数日経ったあるとき、意を決して「削除しちゃおう」という気になった。別に「削除」なんかしないで「下書き保存」や「非公開」の状態で、次の新しい記事を書けばいいのだけれど、それが自分にはできなかった。

noteを開くたび、目の前にどっしりと鎮座している、”一応完成している記事”が気になって気になって、「次の記事」にすんなり取り掛かることができなかったのだ。


「削除」したことで、ようやく前に進めた自分は、今こうして新しい記事を書けている。「削除したことで新しい記事が書けるようになったよ」という内容の記事を書いている。書きながら、全く前に進めなかった数日間も無駄ではなかったな、と思えてくる。


でも正直、ここまでしても”あの記事”は完全にゼロ(0)になったわけではない。かろうじて、(0.2)くらいの状態で生き続けている。(0.2)とは、かすかに心の中で生きている状態のことをいう。

見かけ上は完全に消滅したし、もう手を加えることはできないのだけれど、”あの記事”は確実に生きている。その(0.2)はきっと、これからの執筆(創作)の糧となるように、控えめに居座っているのだろう。


前を進めなくする”何か”が目の前に鎮座している。そんなときは、いっそのこと「削除」の選択が、”あり”かもしれない。


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山に含んだ雨水が岩肌をそよそよと流れていた。それを照らす光、グッジョブ。


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美術作家13年目。これまで2,000点以上の作品を制作してきました。
この間、作風や画材をコロコロと変化させながらも、「創る」ということだけは変わらずドッシリ続けています。

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岸部 タクロウ
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