はじめまして、沖縄県出身で現在京都の大学に通う高良といいます。このような形で自分の思いを発信することは初めてですし、あまり文章を書かないこともあってかなり読みづらいものになってしまうとは思いますが、少しでも多くの人に読んでいただけると幸いです。 僕は今までの人生「がんばっているつもり」で生きてきました。部活なんかでは自主練を多くやるほうでしたし、周りにも「よく練習してんな―」という風な言葉をかけてもらって少し満足している自分がいたのかもしれません。結果はでていないのに。
誰かから怒りを向けられたとき、頭が真っ白になるほど慌ててしまうという経験はないでしょうか。 それで余計にパニックになってしまい、怒りの対象となった出来事以外でも更に怒りを引き起こすようなミスなどを起こして取り返しのつかない悪循環にハマってしまうということは、多くの人に陥りがちな現象だと思います。 ではどのようにして怒りと向き合い、対処していくことができるでしょうか。 ーーー まず前提として、どんな出来事でも、出来事そのものには基本的に意味がないと考えています。 例え
何かしらの挑戦を始めようとするときには、なるべく小さく始めたほうがいい。 大きなものを達成するには今の自分はたいてい実力不足でそこには大きな隔たりが存在します。 それならばいっそのことその挑戦に対してのハードルを下げ、そこから徐々に上げていけばいい。大きな結果はそのあとからで十分です。まずは小さくはじめて続けましょう。 ーーー ここ最近、久々に文章を書いてみようと考えていたものの筆を取るまでに時間がかかってしまいました。 なぜか。答えは簡単で、自分で勝手にハードルを
対となる部分、その他の方法を体験した上で自分にあう方法を見つけるということは物凄く重要です。 一つを体験した上でそれが自分にとっての最適解であるかどうかは全く分かりません。 自分では今の方法がベストだと思っているし、一般的にもそう言われているからそれが正しいとは言えません。 朝が一日のうちで最も効率がいいとは良く言うけれど、人によっては夜の方が活動しやすいということもあるように、一般的なものが全て当てはまるわけではありません。 片方の側面を試すだけでは正確な評価を下す
こんにちは。高良です。 失敗するということは、自分自身を振り返るきっかけとなります。 世間では失敗することはあまり良くないこととされるけれど、むしろ内省を行うチャンスではないでしょうか。 以前、反省はポジティブだという話をしましたが、失敗するという事も同じことで、自分の在り方を考えることのできる前向きなポイントであるといえます。 失敗はありがたいものかもしれません。 --- スポーツにおいて、競走というもの
こんにちは。高良です。 決断を迫られた時、自分の心の状態は決断を下すための状態にあるでしょうか。 無数に広がる選択肢の中、果たしてその事実を理解した上での選択になっているでしょうか。視野が狭まってはいないのか、余裕がある状態での選択なのかというのはその後の未来に与える影響が違ってくると思います。 例えば、セールを謳った商品。本気でほしいと思っているわけではなくても、今日限り値下げと言われたら気持ちは揺らぐものです。 余裕のない状態や迫られた上での決断は精彩を欠くことが
こんにちは。高良です。 こういう発信の場で大事にしなくてはならないのは、自分の言葉で語るといいうことではないでしょうか。 というのも、この世の中において大切なものは不変的であり、抽象化すると誰がいっても変わらないことに聞こえてしまうと思います。 自己啓発本がどれも同じようなことを言っているように感じてしまうのはおそらくこういうことで、大切なことはとてもシンプルなはずです。 だからこそ、自分の言葉で語るということを一層大事にしなくてはなりません。 ここでいう自分の言葉
こんにちは。高良です。 自分の成長が止まり、足踏みをしている感覚を味わったことはないでしょうか。 僕はその原因は現状を守ることに目的を置いてしまうことにあるとかんがえています。 ーーー 人が成長を遂げる時には、強い向上心がその源にあります。 もっと上達したいという気持ちは、没頭を生み時に強烈な曲線を描いて成長をもたらしてくれます。 しかしながら、その成長に満足し、手に入れたことでその現状を守ることが目的となってしまった時に成長は一気に止まってしまいます。 よく、
こんにちは。高良です。 新しいことを始めようとする時、特にある程度行っているものに変化を加えるための新しいことへの取り組みをする時には、短期的な結果を求めがちです。 スポーツでいうところの新しい戦術や、新しい練習を始める時なんかがそれに当たると考えています。 既存のやり方を変化させ新しい取り組みを始めると、それが上手くいくという風に考えがちになってしまいます。 その根拠が「新しいことを始めたから」というものである場合、上手く行かなかった時にその取組が余計に悪く感じやは
こんにちは。高良です。 気持ちで負けてはいけない。過去の経験や今の実力が劣っていたとしても、気持ちで負けてしまっては今の環境以上のものを手に入れるのは難しいと思っています。 例えば、下のチームから上へと上がりたいと思っていても、多くの場合は上の選手よりも技術など能力の面で劣っています。よっぽど素行が悪くて下にいるとかの可能性もないことはないと思いますが、それでも大概の場合は能力が劣ってしまっているといえます。 そんな中、技術が劣っている人間が今すぐにでも上回ることができ
こんにちは。高良です。 人は自分が見て、感じたものから自分という人間が形作られると思っています。だからこそ色々な経験をすべきだし、世界はどんどん広げたほうがよいのではないか?と最近よく感じています。 自分が見て感じたものから世界が広がっていくというのであれば、自分の周辺で閉じこもっていることは勿体ない事といえます。 自分の周辺にはきっと目新しいことはあまり起きません。そこから色々な経験をすることは少なくなってしまうのではないでしょうか。引き出しを広げるためにも経験を積み
こんにちは。高良です。 何か上手く行かないことがあった時、それが特に今の環境が終わりに差し掛かっている場合、全てを投げ捨てて次の環境に飛び込みたいと考えたことはありませんか。 今は上手く言っていない、自分の思い通りにいっていないけれど、環境が変わればきっと上手くいくだろう。今の反省を活かすことができたなら大丈夫。だから今はもう仕方ない。といった具合に次に行けばやり直しが効くと感じることです。 しかし、人生にはリセットボタンはないと思うんです。 新しい環境に行けば生まれ
こんにちは。高良です。 人に頼るという事に対してネガティブな感情をもつ人は意外と多いのではないでしょうか。 例え自分の苦手なことであったとしても人に頼るのはあまり良くないように感じ、自分でやれなければ自己肯定感を下げてしまう。主に完璧主義の人に多い考え方だと思います。 確かに、自分の苦手な事に挑戦し、克服していくという過程は本当に価値のあることだし大きな喜びを与えてくれるものです。 ただ、人には得意不得意があります。 自分が苦手なことを一生懸命頑張ってそこに時間を注
こんにちは。高良です。 特別なことを伝えようとしなくても、自分の身の回りで起こったことを丁寧に伝えることができたなら、それでもういいのではないかと思います。 自分にとっては当たり前のことで、発信することを躊躇うような話題であったとしても、それが本当の当たり前ではないかもしれません。 自分にとっての当たり前は当たり前ではないかもしれない。それを踏まえて身の回りの当たり前を提供するということは、もしかしたら議論を生むものにもなり得ます。 僕たちは、発信する時に自分の身の回
やめることは簡単だが、続けることは難しい。 これは、継続について語られる上での常套句ですが、少し角度を変えた時にやめることが簡単でなくなることはよくあります。 ジムや習い事のように、最近では通わなくなったけどいつかまた通うかもしれないととりあえず続けているもの。 小さい頃から続けているスポーツ、仕事をようやく覚えたアルバイトなどなど。 それぞれにシチュエーションは異なりますが、そのどれもがやめるにやめられなくなってしまっているものです。 しかし、果たしてこれが自分が
こんにちは。高良です。 人と自分が同じだと思い込むからおかしくなるのではないでしょうか。 感じ方も、考え方も過ごしてきた時間さえもが違うにも関わらずなんだかわかりあえた気がすると勝手に期待値をあげ多くのものを求めてしまう。 それもこれも人と自分が違うということをふと忘れてしまう怠慢によるものではないかと思うわけです。 他の人の考えてることなんて本当はわからない。自分と人は違います。 結局人は自分の主観でしか生きることができない。 物理的に考えて人の視点に立つという