当たり前の発信
こんにちは。高良です。
特別なことを伝えようとしなくても、自分の身の回りで起こったことを丁寧に伝えることができたなら、それでもういいのではないかと思います。
自分にとっては当たり前のことで、発信することを躊躇うような話題であったとしても、それが本当の当たり前ではないかもしれません。
自分にとっての当たり前は当たり前ではないかもしれない。それを踏まえて身の回りの当たり前を提供するということは、もしかしたら議論を生むものにもなり得ます。
僕たちは、発信する時に自分の身の回りの人達の顔が浮かぶからこそ自分の発信なんてと躊躇うけれど、世界はもっと広いはずです。誰かにとっては価値をもつものかもしれない。
そうして当たり前のことに意味付けができれば日常はより価値のあるものになるのではないでしょうか。
最後まで読んで頂きありがとうございました。