見る/知る
人間が外界から得る情報の8~9割は視覚に頼っている、らしい。メガネを外すのは風呂に入る時だけなので、自分の肌感覚としてもこの説は正しい気がしていた。
伊藤亜紗さんの『 目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)を手に取り、何枚ウロコが張り付いていたんだろう!?と、何も見えていなかった自分の感覚の鈍さに驚く。
例えば空に浮かぶ月。見える人には円形だが、見えない人には球体としてイメージされる。見える人にとっては、絵本などで「まあるいおつきさま」として幼いころから刷り込まれているからだ。物の見方が文化的なイメージに影響を受けていることがよく分かる。
また、見えない人にとっては触覚=手ではなく、まずは足。足の裏から伝わる感覚で道路の状態や傾きを判断し、次の一歩を決める。平衡感覚が鋭くなるので、目が見えなくなってから逆に転ばなくなったという人も。
作品の前でみんなで語り合いながら鑑賞する「ソーシャル・ビュー」という試みも面白い。見える人が見えない人に説明するのではなく、作品から自分が受けた印象やそこから生じた思考を共有する。難しい顔で静かにみるよりも豊かな経験になる。美学と現代アートを専門とする著者らしい視点だ。
「見ること」そのものを考え直すことができる本書を元に書かれた、ヨシタケシンスケさんの絵本『みえるとかみえないとか』(アリス館)もぜひ。
自分にとっての「普通」がゆらぐのは、不安もあるけどとてもスリリングだ。森山至貴さんの『 LGBTを読みとく-クィア・スタディーズ入門』(ちくま新書)もそんな1冊。
例えば類まれな才能やセンスでテレビで活躍する「オネエキャラ」の人たちが、その才能やキャラゆえに、からかいの対象として笑いものにされるのはなぜだろうか?
セクシュアルマイノリティ(性的少数者)を「自分たちとは関係のない、普通ではない人」とひとくくりにしても何も解決せず、かえって差別を助長することになりかねない。それを防ぐためには、良心や道徳ではなく知識が必要。著者の主張は明快だ。
性的指向と性自認という概念を中心に多様な性のあり方を理解することから始まり、同性愛やトランスジェンダーの歴史や、社会の受け止め方がどう変化していったかを学ぶ。社会運動からの影響もふまえつつ、クィア・スタディーズの視座から具体的な問題と向き合う。
この本で身につけた知識で、自分が好きな文学や映画を見直すのも楽しい。
歯ごたえのある大学のゼミに参加しているような感覚で、自分の「普通」が変化していく。多様な性を認めることは、自分自身が生きやすくなるはずだ。