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思いだし日記
死にたいと思いました。
色々思うことはありましたがそれを統べる感情がそれでした。
例えばこれから先の経済的不安
例えば自分の壊滅的倫理観
全てのことに疲れ果て、全てから逃げたくなって、もう全て終わらせたくなったのです。
気付けば、1年前入院するキッカケを作ったあの学校への電車に乗っていました。
頓服を飲むことすら考えられない頭で、包丁で裂かれた枕を家に残して。
昔の知人に遭遇することを恐れながらうつむき加減に歩くこと10分強、足取りを止めることなく私は最上階へ向かいました。
迷ったら終わる。
迷ったら終わる。
今から俺は終わる。
迷ったら終わる。
止まるな、止まるな、止まるな止まるなとまるなとまるなとまるな
あの日果たせなかった無念を、
ずっと抱え続けてきた後悔を、
今こそケリをつけるのだ!!
そう思って腰掛けた6階の柵。
背後にはなにもないという感覚。
雨が降ってきた。
終わりの日にはちょうどいい。
そうして私は……
あぁ…
まただ…
気付けば私は雨に濡れることもなく、屋根の下でうずくまってるではありませんか。
何をしている。
迷ったら終わる。
迷ったら…
迷ってしまったのです。
私は今の人生に幸せを見出だすことが出来ていたのです。
そしておこがましくも、それを手放すことが出来なかったのです。
それから私は友人に連絡して、落ち着こうと思いました。
しかし携帯電話の充電は僅か、あろうことか帰りの電車賃もなく、
そのことは私を再び十数メートル下の地面へ駆り立てました。
そうこうして迷いに戸惑っている内に私は機を逃し、その気もすっかり失せて、その場にへたりこみました。
そこへ教師がひとりふたりとかけつけて、研究室へ連行、話をすることに。
教師間のネットワークにより別の部屋へ移された先にも知った顔──かつての担任──が来て、その手から渡されたジュースのペットボトルに酷く後悔を覚えたのです。
それは今までのような「不為の後悔」などではなく、「既為による後悔」を心の奥底から感じたのです。
しばらくして母が到着した頃には私はすっかり意気消沈していて、ここからどうして日常に戻れようか、このことを知らせた友人にはなんと顔を向けられようかとばかり考えるのです。
しかしこのお話の最後は、
私が帰るとパートナーが、何もなかったかのように幸せそうに微笑んで、豪勢な料理でもてなしてくれたのでした。
私はそれにも酷く後悔し、それから今日に至るまでの1週間、あのペットボトルを自戒の為に取っておいているのですが、未だ後悔が募るばかりです。
まだまだこの件についてはケジメをつけられなさそうです。
生きるのって、難しいですね。
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