核兵器はおまえだ。
みち 4
谷川俊太郎
まよわずに
ひとすじに
とりたちはとおいくにへと
とんでゆきます
そらにも
めにみえぬみちがあるのでしょうか
そのみちをてらすのは
かすかなほしのひかりだけなのに
いそがずに
おそれずに
ちずもなくとりたちは
かなたへととおざかる
昨夜
外を見ると
大きな月と東京スカイツリーがみえた。
なんかいいなぁ〜
と、写真を数枚撮って
ふと感じた
75年前の今頃
戦中とはいえ
広島の家庭では
明日を夢見た子どもたちの笑顔があったのだろうな
子供の安らかな寝顔を見て微笑む顔もあったのだろうな
つらい日々の中、苦渋の日々の中、歯を食いしばりながらも一日の終りに、涙し、怒りを叫び、ただ堪え、そんな苦しみの夜であったろうが、どこか明日を信じて生きる大人たちのそっと誰にも内緒で肩の力を抜いた一時もあったのだろうな。
いろいろな風景が脳裏をかすめた。
そして、翌朝には全てを否定する、夢も涙も明日も、全てを消し去る、人類初の無差別皆殺し作戦が決行された。
悲しさというよりも、人間の知恵に対する虚無感に包まれた。
首相は「核廃絶」を拒否するかのように
今年も「核兵器禁止条約」に一切触れなかった。
どこへ向かおうとしているのだろう。
広島でも、長崎でも、沖縄でも
一切、やられたことに対しての恨みつらみを述べることのない追悼文や慰霊の言葉や宣言がなされてきている。
犠牲者としてあると同時に加害者でもある日本という歴史を真摯に受け止めているからだ。
昔の、75年以上前の日本の出来事として過去の過ちで済ますことなく、今、日本に生きる人間として過ちを背負うことが平和への譲れない姿勢だ。
加害者、犠牲者という棲み分けをするのであれば、戦争はすべての人がどちらでもある。どちらにもなる。ならざるを得ない。
自らの手で殺す。
殺しにいけと背中を押す。
殺戮をしてきた人間を英雄視し称える。
終えたら途端にハシゴを外して彼らを社会から排除する。
平和を願う心があるということは
いま
平和でない証拠だ。
いつでも戦争に突入しかねない危うさがあることを感じているからだ。
そうなれば戦争を賛美するまではいかないまでも、いたしかたないと容認する自分が内存していることが分かっているからだ。
だから歴史を否定せず、過去のこととせず、他人事とせず、自らの過ちとして受け入れることが大事なんだ。
それを言葉として
宣言として
声明として
自らに言い聞かせていくことが大切なんだ。
いま
日本だけではなく世界的に
過去の過ちを否定し
開き直り
民族主義という狭苦しい偏狭的な思想と言えないような考えしかない指導者と言われる人間が多い。
とくに最近の日本は酷い。
「何度もあやまっているのにしつこい!お前らは最低だ!」
そんなスタンスの人間が国民の大半を締めている。
自分の子どもが殺されて
自分大切な人が殺されて
自分の彼女が強姦されて
何十年かが経ち
その犯人が
「もう刑務所入って実刑も受けて、それで出てきた。それにもう50年も前のことだ。しつこい。うるさい。」
そんなことを言われて「そうですね」となれるか?
なれるわけがない。
それどころか
伝えるべき歴史が改竄されまくっている。
その改竄されまくった歴史を盲信することを「愛国者」とし、正義とする、そんな国同士が出会ったら簡単に戦争は起きる。
マスコミも一切歴史の改竄について口をつぐんでいる。
危険だ。
日本以外の多くの国では
原爆投下は正しかった、という見解がはびこっている。
「日本は着地地点がみつからなくて、戦争をやめたくてももう自分ではやめられなくなっていた。そこで原爆を投下されて、ようやく負けを認めることができ、戦争をやめられた」
そんなスタンスだ。
「原爆は、いかなる理由があろうとダメなんだ!」
それを声を大にして言えるのは日本だけだ。
その国の代表が「核兵器廃絶」に後ろ向きな姿勢を取り続けている。
異常だ。
みえない道を歩み続けると人間は恐怖を感じる。
むりやりににゴール地点を作り出す。
焦って。
そしてまちがう。
どこに向かおうとしているのかが
道を作っている人間自身がまったくわからない。
裕福であること
勝ち組であること
損をしないことが善であるとばかりに
他者を排斥し
自分の欲を満たすことに盲進している。
平和のための戦争を是とする。
自分の欲が満たされること
自分の思い通りになること
自分の価値観の絶対肯定が
平和だと思いこんで
平和獲得の争いが始まる。
たちどまり
歩んできた道をもう一度確認してください。
そして
歩んでいく道は
あなた自身の一歩一歩で作られていくのです。
どうか
もう一度
確かめてください。
そんな願いが聞こえてくる。
目を覚ませという叫び声が聞こえてくる。
戦争は悪だ。
戦争を起こしたことのない国はない。
その戦争の上に今がある。
全ての人間の今は悪の上にある。
だからこそ
この時期に
あらためて
自らの悪を確かめる必要がある。
そこを無視して
平和はない!
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