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自分の本音に気づく事~純粋に安らぎと安心感、調和を感じたかった~



向き合いを振り返ってみました。
生まれて育ち、生きていく上で、家庭環境、親や養育者との関わりは子供にとって、本当に大きな影響という表現には留まらない程の影響を及ぼす物だったんだと改めて思いました。
親や養育者、まわりの人と子供の関わり方は本当に大切な物でした。


あってはならない心身共に虐待を受ける事はもちろん、あまり意識して行われない日々の何気ない全てのやりとり、無意識に交わされる様々なやりとり、家庭内やまわりの人達との関わり等、全てが関わり合い影響して、子供の人格、思考回路、表現の仕方等、諸々が育ち形作られていく事を知りました。
極端な育てられ方を受けると極端な思い込みをしやすくなり、そのまま育っていってしまう。幼少期に思い込みを作っていると、その上に更に思い込みを重ねて成長してしまう。


私はこの極端な育てられ方、育ち方を体験した1人だったと思います。
私を育てた両親もまたそのように育ってきた人達だったと思います。
父親、母親それぞれの育った家庭には、機能不全家族という家系代々に渡る家族連鎖があった。家族の誰も気づかずに続いていた連鎖だった。
それは本当に嘆き悲しむ、心痛む一面を持つ連鎖でしたが、誰も悪くなかった、と私は思います。

自分と向き合い、自分の事を知っていくうちに、わかった事は、
幼少期に思い込みをした私も、学生時代の私も、大人になってからの私も、無意識に、純粋に、シンプルに、安らぎと安心感を求めて生きていた、という事でした。

私は人一倍強く、日々の生活の中の出来事から色々な事を繊細に感じ取り、他の人より極端に受け取ってしまう、そういう気質を両親からの遺伝で受け継ぎ、また幼い頃の育てられ方で身に着けたのではないかなと思います。
その気質の為に、様々な物事を強く印象付けて感じ受け取って記憶してしまう。
時に受け取った事を、自分が安らぎ安心感を感じ得る為に、無意識に変換したり、強く思い込む事があったと思います。
似ている気質を持っている方は一定数いらっしゃるのでは...と思います。
私は特定の体質気質特性について、それが良いとか良くないとか、優劣とか、そういう事をお伝えしたいのではありません。
人がそれぞれ持っている体質気質特性含む人格は、1人1人顔が違うように、1人1人魂が違うように、それぞれみんなが異なるものだと思います。
1人1人の命が個として貴重な事と同じように、どんな体質、気質、特性を持っていても、持っていなくても、それぞれが善悪や正誤や何の優劣等もなく個々が貴重で、素晴らしい存在なんだと思っています。



私の育った家庭は、平穏ではなく、私は常時親の顔色を読み、家庭内の空気を読み、察知し、親に安心感を与えるように動く側でした。
親の機嫌が安定している事が、私の安心感に繋がっていました。
親から体罰を受けているその時やその後、自分の身に起こった事を自分なりに飲み込み消化するには、
日常的に体罰を受けて愛されているとは、幼心にも到底思えない事で、
「過度な体罰を受ける→私は親に愛されていないから。」
そう捉える事が自然で、自分で自分を納得させて、それが自分の中での安らぎを得る思考回路でした。
体罰が繰り返される程、その思考回路で心身に刷り込まれ、自分は愛されていない、という強い思い込みになりました。
自分の中で安らぎを得る為に、
唯一自分が自分を肯定して安らいで安心する為に、本来の安らぎ(愛されている)とは真逆の矛盾した、安らがない(愛されていないという)受け取り方をしました。
体罰に傷つきながらも、自分自身の心が安らぎと安心感を感じて自分で自分を支えて生きていく為に、私は愛されていないからと、そう受け取るしかありませんでした。


自分の嫌な物事を知る事は、自分の好きな物事を知る事。
幼少期の体験の記憶から無意識に、痛み(危険)、不調和、争い事が嫌だった私は、無意識に安全で、調和した平穏で平和な場が好きで、強くそれを望み感じたいという本音があったと思います。

小学生の頃、友達にどう思われるかを気にするようになって、その後何も言わない子になった時も、高校生の頃(自分ではそんなつもりはないのに)本音を言わない人と同級生から思われる私になっていた時も、大人になってからも、
私の心の奥にずっと共通してあったのは、私はただその場で安らぎと安心感を感じていたい、という気持ちだったと思います。
その見えない無意識の本音本心があって、それが私の言動と表現度合いに繋がっていたと思います。私自身はそこまで気づいていませんでした。

職場でもそう。家族間でもそうでした。
同居の頃、家庭内で、時々聞こえる義父から義母へ向かう優しくない声に私は敏感に反応し、義父母間のギクシャクした空気を読みとりました。
2人にとってみれば、長年の慣れたやり取りだったのかもしれませんが、私は幼少期の体験から、その声やその場の空気は怖い物だと受け取ると、放っておく事は不安で、無意識に何とかしようと心身が勝手に反応しました。
人の心の中の気持ちは汲み取れないのに、
自分の心の奥にある気持ちもわからなかったのに、私はその場の空気を読み、察知して、動いていました。(気づかずに無理をしている状態でした。)




次の記事に続きます。
お読み頂き、ありがとうございました。




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