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ノルウェーでデジタルデトックスしてみた② 身に起こった変化4選
どうもうつぬけサンダーバードです〜。
今回は「ノルウェーでデジタルデトックスしてみた」の続き。前回の記事は下記のリンクから。
ノルウェーにいる間は、ほとんどの起きている時間を本を読むか、自炊するか、山の中を歩くか、瞑想をして過ごした。
デジタルデトックス生活も7日が経ち、さてはてどんな変化が訪れたのか。まず率直な感想は、とてつもない平穏が私の心に訪れている、ということである。
具体的に感じた変化について、4パートに分けて書いて行く。
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SNSを断つことで得られる「考える」時間
SNSとYouTubeを絶ち、代わりに本を読む生活に切り替えてから、良い意味で「かんがえる」時間が増えた。
普段都会で生活している間は、InstagramとYouTubeがとんでもない私の可処分時間を取っている。その時間が丸々本を読む時間と入れ替わることで、私の内面でかんがえることの質が上がった。
例え話として、私はコンテンツ消費は食べものからいただく栄養と同じだと思っている。質の高いコンテンツは我々の内面世界を豊かにし、質のよろしくないコンテンツは内面世界に歪みと不安をもたらす。
よって良質なコンテンツ(=本、一概には言えないが)に切り替えてからは、内面世界がよりゆたかになり、その副産物として生産される思考も、より良質なものになる。実際に体験してみるといかに普段の都会でのSNS消費生活によって、私の脳内は歪みや不安で溢れているか、という事実に辟易とする。
ちなみにデトックス生活中に読んだ本は「禅とマインドフルネス」、「私とは何か 「個人」から「分人」へ」、「心療内科医が教える本当の休み方」、「愛するということ」。
余談だが、私は読書をする際は、前もってこれを読もうと決めることはせず、あらかじめ作っておいた読みたいものリストから興味のある一冊を引っ張り出す。私たちの興味関心ごとは日々変化し、その日その瞬間にバチッとハマる一冊というものも変化していくと思うからだ。そして、その瞬間に興味をそそる一冊を選べば、その本を起点に連鎖的に次に読みたい本も決まっていくだろうという放牧奔放スタイルである。
今回の興味ごとは瞑想、生きづらさ、マインドフルネス。一冊目として選んだ「禅とマインドフルネス」は、禅(瞑想)によっていかにして心の平穏を得るかという話であった。そこから関心事は、では人間関係において生きづらさを解消するにはどうすればよいかという問いに移り「私とは何か 「個人」から「分人」へ」が次書として決まる。
また他の機会で、それぞれについて思ったことも書いてみたい。
自分が自分であるという感覚を取り戻す
デトックスをしてみて感じたもうひとつの変化は、自分が自分であるという感覚(内受容感覚)がもどってきたことである。「内受容感覚」は読んだ本からそのまま引っ張った専門用語。きっと来週には忘れているだろう(笑)
都会にいる間は、私はヨガに通い、瞑想状態に入ることで、日々職場の乱気流に乱された心の平穏を取り戻す、ということをたびたびやっていた。それでも仕事や人間関係に忙殺され、段々と自分が自分であるという感覚を失っていく感じがした。
その自分が自分であるという感覚が薄まる結果として、まず内省する時間が減る。自分の内面に焦点を当てて感じる、かんがえるといったことが難しくなる。何が好きだったか。何をやりたいのか、という自分の声も聞こえなくなっていく。難しいのが、一度自分を見失うと、そこからもどってくるのにとても労力がかかる。私の場合は何らかの旅行などの大きなきっかけがないとこれが戻ってこない。
話を戻すと、ノルウェーでのデトックス生活中はこの内受容感覚が力強くもどってきた。瞑想しやすい環境にあったこともあり、自分の内面に対しての感度を取り戻した。そして日々関わる対象が自然と本のみのため、意識の対象が内面に向きやすいというのもあるだろう。
音のない世界
そしてコテージに籠もる間は興味深いことに音楽を聴くこともなくなった。聞こえてくるとすれば、雨の日に雨が屋根にあたる音、風がコテージに打ちつける音。だけれどもそれだけで満たされる。音楽がなくても寂しくならないし、満ち足りている。
私にとっての音楽は
メンタルが不調のときに整える、元気を奮い立たせるため
都会の音の途絶えない環境で静寂を得るため
の役割が大きかったのかもしれない。それが山の中でのデトックス環境では必要ない。
雨を愛でる
私が普段生活しているロンドンは雨が沢山降る。そして同じく現在いるノルウェーの湖畔地方もこれでもか、というほど雨が降る。
ロンドンにいる間は雨が嫌いだった。年がら年中雨がふり、どんよりとした気持ちになる。都会のゴミゴミとした(物理的にも比喩的にも)街に降る雨には美しさのかけらもない。けれどノルウェーにいる間にこの気持ちが少し変化した。
一日目だったろうか、雨が降る中、コテージの一階から倉庫のドアを開放し、シェルターのようになった倉庫の空間から濡れずに雨を眺めながら本を読んだ。その時間は格別に穏やかで美しい。
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コテージのホストが残した資料の中に、雨を「admire」するという表現が出てきた。私はこの表現がすごく好きだ。
この文脈でadmireを日本語に訳すと「愛でる」がいちばん近い表現だと思う。「雨を愛でる」。なんて素敵な響きだろうか。山々を前に湖の水面にうちつける雨を眺めていると、まるで低い雲と湖の水面が雨の作る細やかな線でつながったかのようで、ただただ自然の成す美しさに感嘆とする。
ノルウェーの湖畔地方には雨がとても似合う。
まとめ
スマホやSNSを全て封じるデジタルデトックスを7日間つづけてみて、改めて居住環境の大切さに気づく。「自分」と「自然」しか周囲に存在しないという環境において、SNSやYouTubeを見ようとなる方が不自然であり、私たちの日々の行動は、より自然に帰化するという方へと向かうのだろう。
きっとデジタルデトックスを数週間数カ月と続けていても、それはそれで「つながり」が恋しくなるだろう。私たちには「つながりをかんじられる時間」と「自分の内面と向き合える時間」の両方が必要で、人によってそのバランスの最適な比率は違うのだと思う。
私の場合は「つながり」に疲弊しきった心を癒やすため、それを断ち切れる環境を必要としていたから充足した時間を過ごせた。ぜひこのnoteを読まれているあなたも、短期間でも「つながり」を手放し、自然に身を置いてみる。そんな旅行はいかがだろうか。
また「つながり」に疲れたらもどってこよう、そう思えるノルウェー滞在だった。
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