個別最適な学びは要らない
昨今教育現場において『個別最適な学び』の実現はトレンドの一つと言える。
『個別最適な学び』とは、
児童生徒の学習深度や個性に合わせて学びを深めることであり、
能力に応じて学習を進めることで、個々の可能性を最大限に引き出すことが目的であるとのことだ。
この言葉がトレンドになったきっかけは
GIGAスクール構想による1人一台端末の配布だ。
そのおかげで、昨今の日本の全ての公立学校は、この大きな予算が割かれた国の一大事業のプレッシャーにより、ICTの活用に奔走させられている。
今や『ICTの活用』と『個別最適な学び』はどの学校の経営方針にも盛り込まれている。
もちろん問題だらけであることは、GIGAスクール構想が始まって5年目となる現在においても、大きな成果をあげていないことからも明白だ。
最近では、ICTを使うことで学力が下がるなどという意見を唱える者すらいるくらいだ。
わたしの感覚として『学び』はそもそも個別最適されているものだ。
学びとは、自分の興味関心のあることについて自ら楽しんで探究することであるからだ。
そして、今も昔も学校にあるのは学びではない、学校にあるのは勉学だ。
勉学とは、あらかじめ決められたカリキュラムを上手に身につけさせることである。
このズレが真の問題なのだ。
勉学と学びは似て非なるものであり、
どちらも教育にとって必要なものだ。
しかし、この違いを理解していない教員が多い。
むしろ、積極的に混同しようとしているようにすら思える。
1人一台端末の配布により、昨今声高に唱えられるようになったこの『個別最適な学び』だが、そもそもピントがずれているのだ。
子ども一人ひとりの勉学を個別に最適化することが目的になってしまっている。
これは大きな間違いである。
『個別最適な学び』を目指すというのは、子どもが自らICTを活用し、自分の興味関心のある事柄について主体的に探究できるようにすることである。
子ども一人ひとりのポートフォリオを作成し、習熟に合わせて効率的に個別の課題を出すことではないし、そんなことはアナログ時代から教員たちはやってきている。
もちろんICTによって飛躍的に効率化され、昔に比べて更に成果が上がることは期待できる。
がしかし、それではベクトルは変わらない。
根本から方向性を変えなければならない現代の日本の教育に置いて、必要な考え方は前者である。
勉学はもちろん今も昔も大切である。
しかし、これからは個々の興味関心や個性にあわせた学びなのである。
それを学校内の活動ベースで使い分けていかなければ、真の最適な学びにはいつまで経っても辿り着くことはないだろう。