【なぜ沈黙が怖いのか】カウンセリングから見る日常会話の「沈黙」
お久しぶりです、カウンセライターを目指すやよいです。
今日は、産業カウンセラー養成講座に通って考えた、「沈黙」をテーマに文章を書きたいと思います。
みなさんは、「沈黙」、怖くありませんか?
どんな場合であっても気にならない方、場合によっては気まずく感じる方、誰が相手であっても耐えられない方、様々だと思います。
この記事にたどり着いた方は、どちらかというと沈黙が怖い・気まずいと感じる方が多いのではないでしょうか。
私も今まで、誰が相手であっても沈黙が耐えられませんでした。今はカウンセリングを学ぶ上で沈黙に対する考えが和らぎはしましたが、それでも得意ではありません。
なんだか、相手の反応が読み取れない不安があるような気がして。
日常会話とカウンセリングにおける沈黙は異なるのですが、カウンセリングにおける沈黙から日常会話の沈黙について考えることもできるのではないかと思い、今回この記事を書くに至りました。
日常会話の沈黙
私が考えた日常会話の沈黙の背景は、このような理由だと思います。
私はよく沈黙に遭遇すると、「楽しくないのかな?」「興味を持たれていないのかな?」「もしかして嫌われているのかな!?」と考えてしまいます。
それはきっと、
・①に対する過度な不安を抱いている
・②〜④に対して好ましくない状況だと考えている
・②〜④の状況に対して①だと思い込んでいる
のだと思います。
カウンセリングにおける沈黙
一方で、カウンセリングにおける沈黙の種類はこのようになっています。
これは私の考えではなく、実際に定義されている内容です。
日常会話で沈黙を嫌なものと感じることはごく自然と言えますが、カウンセリングでは実は少し違います。「沈黙」も、一つの応答なのです。
カウンセリングをする上では、①〜④のどの沈黙なのかを非言語の態度から読み取り、向き合っていきます。
カウンセリングから見る日常会話の沈黙
カウンセリングの場合は、沈黙も一つの応答だと思えば、それ以上の意味を見出すことはなく、対応を考える方向に流れが向きます。「嫌われているかな」と気にするよりも相手がどういう状態なのかに目を向けるのです。
では日常会話だと、なぜ奥にある相手の気持ちを考えてしまうのでしょうか。
それは、カウンセリングと日常会話そのものの性質の違いにあります。
カウンセリングは対話と傾聴が担保された空間で信頼感がありますが、
日常会話だと選択肢②〜④だったとしても双方向のやりとりができていることが確認しづらいからだと思うのです。
例えば、パートナー間で会話が少なくなり沈黙が多くなると、多少なりとも不安な気持ちになりますよね。
それは、コミュニケーションが取れていないことによって人によって様々な背景の不安の元が想起されてしまうからです。
私の場合は幼い頃周りの大人に無視され続けたことが想起され、急激に不安になります。
自身の不安の元を探ることが、沈黙の気まずさ・怖さを乗り越える第一歩になるのではないでしょうか。
そのような作業は時に苦痛を伴うこともあると思います。
そういった時に、伴走できるカウンセラーに早くなりたいと私は願っています。
沈黙を打破したり気にしないようにする心の持ちようなどの具体的な方法はネットで検索するといくつもでてきますが、沈黙そのものの意味を考えるというのは新しい見方なのではないかと思います。
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