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インディーズTシャツブームの勃興と終焉について(6)LESS北山友之

インディーズTシャツブームの勃興と終焉について(6)LESS北山友之

いきなりここに飛んだ方は(1)をどうぞ

ハドソンコラボでデザイナー参加してもらったハンバーグ009とさらに新作『ナッツ&ミルク』『ボンバーマン』を共作し、自信満々で僕の当時のブランドMARS16は渋谷のT-NOWに参加した。主催はハンバーグ009、共催は会場となったmiddle。middleはデザイナーでも知られる川田勝也氏(当時はランドマークというデザイン会社の取締役、現在S3 BRANDIN

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インディーズTシャツブームの勃興と終焉について(5)LESS北山友之

インディーズTシャツブームの勃興と終焉について(5)LESS北山友之

いきなりここに飛んだ方は(1)をどうぞ

僕がかつてやっていたMARS16というブランドは僕にとってレコードレーベルと同様のものだった。出すTシャツはすべて「~thシングル」と別名が入り、プロデューサー・デザイナーのクレジットはどんなものにも必ず入れた。北山が携わるものもあればないのもある。でも全体では間違いなく僕らの作品、そういう意識下のもと、製品を量産をしようと考えていた。これらは間違いなく音

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インディーズTシャツブームの勃興と終焉について(4)LESS北山友之

インディーズTシャツブームの勃興と終焉について(4)LESS北山友之

2003年7月20日(日)青山アミーホール。Tシャツラブサミットの第2回。僕にとって初めての東京での直売り(それまでスーパーフェスティバルや展示会イベントは参加していたが僕が東京で直接売ったことはなかった)の日。実はこの決戦に挑むまでに僕はタイトーとのコラボ話を進め、そして2002年中に契約を締結していた。nendo(草野剛氏、藤本健太郎氏によるデザイン集団)やデザフェスの8bit好きがブートで作

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インディーズTシャツブームの勃興と終焉について(3)LESS北山友之

インディーズTシャツブームの勃興と終焉について(3)LESS北山友之

2003年、中目黒ばん。僕は外様的感覚でこの飲み会に参加した。参加前はマシンガンを一人握りしめ戦地に赴くくらいの気分。おめおめ帰れないぞ!恥かく前に誰かの御首とってやるとか勝手な気合。だがそれは飲み会10分くらいで吹っ飛んだ。つまりはそう、会ったこともなかった同じようにTシャツを作ってきた人間が信じられないくらいいっぱいいて、もちろんWEB上では見ていたけれども、ああ、この独特のキャンバスに戦いを

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インディーズTシャツブームの勃興と終焉について(2)LESS北山友之

インディーズTシャツブームの勃興と終焉について(2)LESS北山友之

活動初期の1999年~2002年いわゆるインディーズTシャツブランドとの接点は僕には全くなかった。ただどんどん出てくるWEBサイトは逐一チェックしていた。このころの真夜中僕はずっとパソコンを見て、この乱造されつつあるシーンを眺めていて。そこで大いに刺激をもらい、自分たちの活動を確固たるものにしなければという意識がどんどん膨らんでいった。

僕がMARS16を始めた1999年、同じ年に立ち上がったハ

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2008年11月22日に書かれた北山コピー機物語

この文章は2008年11月22日に書かれた北山のサラリーマン時代をつづったものです。先日も唐突に載せましたが、これがのちにノイジーズで語られるコピー機物語「泣き女」の内容と同じになっています。とはいえ、2008年のほうが記憶が鮮明だったのかより克明に事象が語られています。事実は小説よりも奇なり。気になる方はお読みください。(LESS北山)

1998年
大学をでた僕はOA機器の販売メーカーに就職を

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2007年01月20日に書かれた北山コピー機物語

好評だったので、残っている日記から北山コピー機物語を探しまして、さらに掲載しておきます。またほかのエピソードを含め加筆も行い、電子書籍化しますので、気になった方はその日をお待ちください。(LESS北山)

98年夏。

西成を大きくぶち抜く国道の左側、玉出西のとあるビルを僕たちは「Cビル」と呼んでいた。

大学をでた僕はOA機器の販売メーカーに就職をして、研修後、住吉の営業所に配属された。任された

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インディーズTシャツブームの勃興と終焉について(1)LESS北山友之

インディーズTシャツブームの勃興と終焉について(1)LESS北山友之

時は2000年代初頭。アンダーグラウンドな活動をする個人的なブランドがインディーズブランドとして総括され、インターネットの普及とともに爆発的に増えた。「ネットでお店を作るならbase!」みたいな感覚はネットショップとして20年前にすでに存在していたし、競合が今のように天文学的にいる世界でもなかったので、ある種爆発とはいえ世間的には物珍しくもあった。フリマでしか販売できなかった自称ブランドが世界に発

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Before the noises 僕と小杉さんⅢ/LESS北山

Before the noises 僕と小杉さんⅢ/LESS北山

2008年~2009年ごろ(ここが少し曖昧)の話。小杉さんからザナドゥを辞めるという連絡をもらった僕に得も言われぬ寂しさが訪れた。仕事の話そっちのけで友人のように語り合ってはいたが、全てが仕事の関係であることは第一条件。従って仕事上で交わらない=もうやり取りは行われない。と、そんな感じに僕は捉えてしまっていた。直後に打ち合わせがしたくてザナドゥが獲得したX JAPANのYOSHIKIプロデュースの

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Before the noises 僕と小杉さんII/LESS北山

Before the noises 僕と小杉さんII/LESS北山

2008年。新宿某所喫茶店。僕と小杉さんはロブゾンビ版『ハロウィン』のTシャツプロモーション及び映画自体のプロモーションの打ち合わせをしていた。

時はそこから3週間ほど前にさかのぼる。僕に一本の電話が鳴った。珍しい番号だが、登録されているもの。新宿ロフトプラスワンプロデューサーの携帯電話番号だった。

「お久しぶりです!どうしたんですか??」と電話口に出たが、何かがないとかかってはこない番号なの

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Before the noises 僕と小杉さん/LESS北山

Before the noises 僕と小杉さん/LESS北山

『ザ・ノイジーズ』や『炎のディスクコマンドー』で知られるパッキー小林こと小杉さん、この方なくしてここまでロングランでノイジーズを続けることはできなかったであろうし、今や僕にとってかけがえのない友人の1人でもある。その小杉さんと出会った頃のことを少し今日は書きたい。

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僕と『妄想代理人』と今敏さんと/LESS北山

僕と『妄想代理人』と今敏さんと/LESS北山

最近は記憶がどんどんおぼろげになって来ていて、昔のドエライ出来事とか誰かに言われた貴重な話とか、ふと消しとんでいたりする。他人から指摘されて「ああ、あったな」なんてこともしばしばだ。ノイジーズという音で残すのは前からやっていたが、先日「ちゃんと文面にも残した方がいいよ」という家人の薦めがあり、noteという日記がせっかくあるのでそうすることにした。

なので、20年とか経ってノイジーズで違うことを

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ルンバに学ぶ/LESS北山

ルンバに学ぶ/LESS北山

ルンバというロボット型の掃除機がある。あまり僕には縁がないなと思っていたが、ふとしたことからルンバと仕事現場で身近になり、日々の掃除をしてくれるのを目の当たりにした。そして遠かった存在ルンバの凄さというのがようやく実感できた。当たり前だがルンバは優秀だ。だがその優秀さというのは一緒にならないとなかなかわからない。

彼(ルンバのことをこれ以降こう呼ぶ)が毎日一体どんな掃除を繰り返してくれているのか

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