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親は子供と一緒に成長する

よく耳にする、
子供と一緒に成長する
という言葉。

まさに、
その言葉を忠実にドラマにしたような
そんなエッセイに出会えました。

最近2作目が出たことで
話題になっている、
ブレイディみかこさんの、
ぼくはイエローでホワイトで、
ちょっとブルー
』です。


ブレイディみかこさんご本人と、
アイルランド人の旦那さんとの
間に生まれたお子さんがと
ブレイディさんご本人が、

人種差別、貧困、ジェンダーといった
社会的な問題と格闘し、
悩みながらも、前向きに、
大きく成長していくお話です。


息子さんが通われている中学校は、
「元・底辺中学校」で、
裕福な人が集まる地域の学校ではなく、

いわゆる「取り残された人々」
が集まる地域の学校。
そこでは、変わらない・変われない
価値観が残っている現実がありました。

過去にイギリスへ留学した
イメージと、私の想像で
作られたイギリスのイメージとは
全く異なるもので、
良い意味でリアルを知ることができました。

ハッ!
とさせられる言葉も
いくつかありましたので、
その言葉を紹介したいと思います。



他人の感情を読み取れないこども

他人に自分の感情を
伝えられない子どもは、
他人の感情を
読み取ることもできない。

他者がつらそうな顔をしていたり、
嫌がって泣き始めても、
それが
彼らに痛みを与えている自分に対する
「ストップ」のサインなのだ
とわからない。


ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』より引用

恥ずかしながら、
このような現実があることを、
私は知りませんでした。

意地悪する子は全員、
「わかっていて」
わざと意地悪しているのだと。

しかし、現実は、
コミュニケーション面での
発育が不十分だったと知ると、
家庭での環境による影響が
非常に重要だと感じました。

イギリスでは、
そのような現実があるからこそ、
「演劇的」な要素を入れた
遊びやゲームを取り入れた教育が
なされているようです。



分断とは

分断とは、
そのどれか一つを他者の身にまとわせ、
自分のほうが上にいるのだ
と思えるアイデンティティ
を選んで身にまとうときに
起こるものなのかもしれない。


ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』より引用

アイデンティティは、
誰もが1つだけを
持っているわけではないです。

なのに、1つのアイデンティティを
人に押し付け、否定してしまう。
その結果、分断が起きてしまうのです。

アイデンティティは1つじゃない、
そう思うことが、
分断を無くす最初の一歩だと感じました。



親の資本によるリアリティ

いまや親に資本がなければ、
子どもが何かに 秀でることは難しい。
そのリアリティーが
目の前で展開されているのを見ると、
なんとも暗い気分になった。


ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』より引用

地域の水泳大会で、
ミドルクラスの学校に通う子供たちは、
スイミングスクールに通い、
華麗な泳ぎを繰り広げ、

「元底辺中学校」に通う子供は、
夏に少し遊ぶ程度で、
ミドルクラスの子供たちの泳ぎとは
歴然とした差がありました。

本の中では、
ブレイディさんの息子さんと、
もう1名の男の子が、
その差を覆すような泳ぎをするため、
それほど酷い現実でないように
感じられてもしまいそうですが、

日本でも同様に、
親の資本による子供の教育への影響は
非常に大きいと思います。

ある研究では、
親の収入と子供の学力に
相関関係があるとも示されています。

お金がある方が良い、悪い、
と判断するのは間違っていますが、
そのような現実があることを
受け入れるべきだと感じました。



ファクトを冷静に受け入れる子どもたち

EU残留派も離脱派も、
自分と反対の考えを
持つ人々がこの国に存在する
ということをなかなか許すことが
できずにいるが、

英国には両方の考え方の人たちが
生きているのだというファクトを 
醒めた目で冷静に受け入れ、
その現実とともに暮らしているのは
実は子どもたちかもしれない。


ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』より引用

大人の世界にしか、
格差や人種、階級による差別が
あるのだと錯覚してしまいがちですが

子供の世界にも同様に
差別があり格差もあります。

子供の方が実は、
その現実をなんとかして受け止め、
前に進もうとしているのかもしれません。

社会は、大人も子供も
同じように進んでいることに
気付かされました。



「こうでなくちゃいけない」の鋳型 

子どもたちには
「こうでなくちゃいけない」
の 鋳型 がなかった。

男と女、夫婦、親子、家庭。
「この形がふつう」とか
「これはおかしい」の概念や、

もっと言えば「この形は自分は嫌いだ」
みたいな好き嫌いの
 嗜好性さえなかった。

そうしたものは、
成長するとともに何処からか、
誰かからの影響が入ってきて
形成されるものであり、
小さな子どもにはそんなものはない。

あるものを、
あるがままに受容する。
幼児は禅のこころを持つアナキストだ。 

しかし、成長するに従って、
子どもたちも
社会にはいろいろな
鋳型があることに気づく。

あれほど自由だった、
というか世の中のあれこれに
無頓着だった朗らかな存在では
いられなくなる。


ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』より引用

悲しくなってしまうような、
世の常ですよね・・・

出産の際に、
「汚れのない世界から誕生する」
とも言われますが、
本当に子供は無垢です。

成長していく環境、
周囲の人たちが話す言葉、
手に取る絵本、遊び・・・

それらのもので、
人格が形成されていきます。

親の責任は重大です。



最後に

このエッセイの主人公である、
ブレイディさんの息子さんは、
ミドルクラスが通う小学校から
「元底辺中学校」へ進学されたそうで、

その進路は、
ミドルクラスの小学校の生徒では
異例の進路選択だったようです。

ミドルクラスの中学校に通えば、
いわゆる「良い育ち」の友達が
多くおり、悩んだり苦しんだり
することもなかったのかもしれません。

しかし、「元底辺中学校」を
選んだことで、
様々な背景、環境を持つ友達と
一緒に過ごすことになりました。

日本の小学校→中学校の進学でも
似たようなことがありますよね。

地元の中学は、ヤンキーが多いから、
(ヤンキーってもう死語・・・?)
私立中学へ行かせるような事例です。

そんなことをイメージしながら
読んでいましたが、イギリスでは、
それ以上に階級間の差が大きい
強く感じました。

本の随所に描写が出てくるので、
細かい部分は割愛しますが、

階級が違えば、
そもそも親が平気で差別をしたり、
階級、人種が違う家族のことを
否定したりするんですよね。

そして、それを見て、
子供もそう思うようになる。

子供は良くも悪くも
親の姿を見て育つわけですから、
差別発言をバンバンするような
親と一緒にすごせばそうなりますよね。

多様性が叫ばれる現代ですが、
まだまだ現実は、
テレビで放送されているほど
多様性に溢れていません。

そんな現実と、
多様性を受け入れる気持ち、
他人を思いやれる気持ちを
子供と一緒に育てていきたいですね。

子供は親の鏡です。
しかし、親もまた人間で、
まだまだ変わることができます

一緒に成長するということは、
こういうことだと感じました。




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