津久井湖に沈んだ集落 ~タイムトリップの旅①(※史実をもとにした妄想です)
小分けにして書きます。2500字くらい?
津久井湖に沈んだ沼本集落を、タイムトリップしたつもりで歩いていきませんか?
道志川と相模川が合流するこの土地を沼本というらしい。
水田が広がる集落。川端を歩きながら目の前に見える丘。緑のむせ返るようなにおいに、自然豊かな田舎に戻ってきたように思える。
「喉かわいたなぁ。」汗まみれの手を引いて、さっきから口数が減った幼子に声をかけても、声無く頷くだけだった。さすがに上の坂を上り、丘の上は散策するのはつらい。僕は歩けるのだが、この子のことを思えば、ここをゆっくりのんびり歩くだけで十分だった。
「見てごらん、涼しそうだね。」
道志川で水遊びをしている子どもたちが楽しそうだ。
「君も水の中に入ってきなよ。」大人の道楽に付き合ってくれているこの子に、僕は本気で涼んで来てほしかったが、「いい。」と素っ気なく言われて、機嫌が悪いのかと余計に気がかりになってきた。
僕は靴下をぬぎ、水に入っていく。この子もチャプチャプと水に手を入れ、向こうの子供たちを見ていた。岩場から飛び込む子。ザブンと水しぶきが散り、まわりの子がそれを浴びて笑う。
さっきからこの子に笑顔がない。気まずい。
僕は冷たい水を顔にかぶり、ゆっくり歩きだす。この子もテクテクとついてくる。
水道タンクの近くに茶店があり、冷たいトコロテンと餅を買ってあげた。おいしそうに食べている。僕も名物の馬肉うどんを注文し、経営している老人に話を聞いた。
「ここは馬肉が名物なんですか?」
「ここは大山道や高尾道などの街道でね。人や馬の往来がねぇ、はげしいとこだんべよぉ。」
「馬を食べるんですか?」「そうよー。動けねぇ馬をごちそうにすんだべぇ。」
それを聞いてた子供の嫌な顔。僕はそれを見てほほ笑んだ。
「川を通るのは、やはり渡し舟ですか。」
「ここいらは、鮎とか川魚つかまえたり、昔は舟を使って渡っててな。そこの『落合の渡し』だ。沼本から三ケ木までな。
それで商売してた人が多かったんだが、道路と橋がつくられて仕事を失ったもんも多かったんだべ。」
上流のほうは林業もさかんであり、筏で木材を運んでいたが、道路の整備でトラック輸送になり、便利になれば人々の仕事も変わっていくものだ。
現在は三ケ木は中央線の相模湖駅と横浜線(京王線)橋本駅を結ぶバスのターミナルになっている。この時代はバス網は現在と比べさほど整備されてないながらも、バスがまだ舗装されてない道路を排気ガスと土埃を巻き上げながら走っていた。
「坂の上のほうはどんなところですか?」三ケ木から道志橋を渡り川沿いを歩いてきたため、右手にそびえたっていた段丘の上が気になっていた。
「ああ、このへんの水田の、2つのボッチ(勃地=小さい山)があるけんど、あそこは寺山と丸山て言ってお寺や墓地があんべ。このへんを囲んでいる段丘の上は田んぼや畑ばかりでよ。」
ここは養蚕業も行っていると聞いている。川沿いは水田が広がり、段丘の上は農業をやりながら養蚕農家が多いのか。
川は洪水も起こしやすい。窪地になっているこの辺りは、ふだんは田んぼを耕したり、業種によっては舟を使い人や荷物、木材などを運んだり、川魚をとって売ったり、そういう人々に酒や茶や飯や菓子を食わせる店を立てたり。
僕は近所の店に何があるか聞いてみた。農業、農漁業、織物や糸商、大工や製材、馬方や舟渡し。土地と川を利用して、さまざまな生業を立てている人がいるようだ。
「長男は田畑を継いで、次男以下はいろんな仕事に就いててな。開発が進めば、仕事も変わるから、いずれはここも寂れるべ。」
老人の笑いにつられ、僕は苦笑いだった。
僕は知っている。ここはやがて、ダムに沈むのだ。彼らの子や孫たちはこの周辺の相模原市や津久井町・相模湖町はまだしも、遠く東京や横浜に移ることとなる。
店を出て、川沿いをまた歩く。
餅とトコロテンがうまかったのか、子供は川沿いの材木置き場へ元気よく駆けていった。
近所の子供たちも田んぼの方で走っていく。ランドセルの中の筆箱の音。縦笛(リコーダー)を鳴らすもの。何が目的かわからないがダッシュで追いかけっこするもの。
巨大な榎や欅、杉の木が見える。この集落はどれほど前から存在し、人々は暮らしてきたのだろう。大きな榎に舟がつながれている。この先、南に行く、荒川地区の入り口にむけて、材木を中継する場所なのだろうか。
あとがき
このあと、いくつかの集落も物語上で歩いていきます。
「僕」は現在からタイムトリップして、ダム湖に沈む前の村を散策している設定です。「子供」は男の子。
手元にある本やネットの記事、そして津久井湖記念館で得たささやかな情報から物語をつくっていきます。
ダム湖に沈んだ町。人々の暮らしや生業。けっして日本史上の英雄などが生まれたような有名な場所というわけでなく、普通の町と人々の暮らしかもしれません。
しかし、そこに確かに歴史があり、喜怒哀楽、貧しさや豊かさ、わたしたちの住む町と共通していることや相違すること、人々のいろんなドラマがあったはずです。史実じゃなく創作ですが、歴史も多分に推測や創作も多い。
わたくしの妄想話に過ぎないかもしれませんが、ぜひ、湖底に沈んだこの町をわずかでも思ってくれればと思います。
くわしくは津久井湖記念館にて、より詳細な歴史を知ることになるでしょう。