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千葉to神奈川、工業地帯を見てみよう②
京浜工業地帯から京葉工業地域へ。
前回は、千葉市を訪問して千葉市の歴史と工業化について見ていきました。
今回は千葉から、京浜工業地帯の中心地である神奈川県のほうまで行ってみよう!
①千葉県、再び。石油化学の町「市原」へ。
前回記事。相変わらず長い能書きをgdgdと長文で描写して申し訳ありませんでしたが、チーバ君の喉元がフルメタル(鋼)化していく様子が見てとっていただければ幸いです。
こんなチーバ君、実は胸元の市原ってところで「石油溜まり」があるらしく。フルメタルの喉から、胸元で燃え滾る炎を吹くチーバ君。想像するとカッコいいですよね。
(口は梨の栽培がさかんな市川市、ベロはディズニーランドがある浦安市)
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胸元の市原市は石油溜まり化
デベソのすぐ上の君津市もフルメタル(鋼)化
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この市原、石油化学工業が発達し、国内最大の石油化学コンビナート群があるのです。石油を熱処理で化学変化させ、重油や軽油やガソリン、そしてプラスチックやビニールなどの原材料になるナフサに加工し工業製品をつくっていく工業ですね。
僕も千葉の旅(これまで描いてきた記事「くるくる、くるり」シリーズなど)の一環で、ついに市原のコンビナートに出会ってきました。
…思えば、僕と初めて市原の石油化学コンビナートの出会いはこんな凄惨なもので。
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2011年3月11日の東日本大震災による爆発事故でした。
関東を描く者として工業地帯は描写しないといけないと思い、去年の9月ごろ、仕事が12連勤でヤバイということで初めて有給をとったときです。
この日は江東区デルタ回った夜に千葉で宿泊し、翌日に千葉市の県立中央博物館と、市原の郷土資料館が館内整理のため閉館中だったため木更津の郷土資料館に向かった帰りですね。もう日が沈んでいたため夜になりました。
あ、ちなみに市原の郷土資料館も後日行ってまいりましたので、まずはここで市原の歴史を見て行きながら、夜の工場の様子を見ていく体で紹介しましょう!
市原の歴史を市原市郷土資料館にて
内房線の五井駅からバスで郷土資料館に行きます。屋内と屋外にあり、屋内の展示品はていねいで勉強になり、考古の出土品は3Dプリントによるレプリカで触れます!
屋外の施設には竪穴住居などが復元、さまざまな体験ができるよう。
表は海、背後は山が迫り、海の幸と山の幸に恵まれていただろう原始時代。
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やがて、麻がとれることから、麻の古語である「総(ふさ↓下の年表に正しい字がある)」と呼ばれるようになった。
その地域が「上総(かみつ・ふさ)」と「下総(しもつ・ふさ)」となり、訛ったうえで「上総」「下総」となる。
国司は天皇の子である親王がなったが、地元に任せていたようなので、実際は次官である「上総介」が支配していた。
上総介というと広常。源頼朝とともに平氏と戦った御家人。出身は房総半島の市原(上総国府)の背後の山の裏側にある「いすみ市」と言われ調査が進んでいる。
上総広常が頼朝らに誅殺されると、所領は三浦氏や千葉氏に与えられる。
その後は、甲斐武田氏の子孫である武田信長が上総に進出して上総武田氏(分家は真里谷氏)として拡大。千葉氏や里見氏や北条氏(小田原中心に関東を支配する)らと国府台合戦(市川市)などで抗争していく。
やがて徳川家康が関東を支配すると本多氏らが藩(久留里藩など)をつくり支配していく。以上、権力者の移り変わりの説明。
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また、点字をつくった人も市原出身だ。
次に、人々の生業。集落の存続には、食料と水の確保が欠かせない。
海のすぐ背後に丘陵地が広がる房総半島では、井戸が欠かせないようです。
人々は、農業と漁業、林業なども行い豊かな土地の恵みで生活してきたのでしょうか。
以下、井戸、稲作、水産、そして手工業です。
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これは、近くに街道があり大都市部に出荷するためのものでもあるだろう。
現在でも続く農業。そして、戦後の高度経済成長期に、市原の海が埋め立てられることで、産業のしくみが変化していく! 行きますよ、ケミカル化します!はいどーん!!
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市原の工業地域を見に行こう
ところで、これは木更津市郷土資料館のある高台から、市原市と君津市の工業地域らしきものを撮影したものです。さあ、市原市郷土資料館から夜景を撮りに行った日に飛びましょう。
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先述の通り前日に木更津から五井駅へ。いつか小湊鉄道にも乗りたいものです。
(ちなみに、市原市郷土資料館に行った日は、国府国分寺を探しに行ったので、また後日に「国府国分寺シリーズ」記事を描き特集します。同じネタで被ったらゴメンナサイ、なので工場話は置いといて割と国府ネタを長々と書いてしまった…)
五井駅から片道半時以上かな、けっこう遠くの海沿いまで歩いてきました。
トイレ(が無いと辛い恐怖症です)もコンビニも少ないし、知らない遠い土地を夜6~7時頃に工場周辺を歩くのはしんどいけど、それなりにお宝な景色が見れた気がします!
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右下に「五井化成」という案内があり、石油化学を感じます。
日本11大工場夜景に数えられる市原五井地区で撮影したコンビナートの一部です。スマホの撮影で粗くてすいません。下にWIKIのヤツも載せておきます。
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②神奈川県川崎市へ
「かわさき宿 交流館」で川崎の歴史展示を見よう
東京の羽田空港がある大田区、蒲田から多摩川を超えると、そこは神奈川県川崎。
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京浜工業地帯の中心地となった川崎。千葉からすごく遠そうだが、房総半島のチーバ君のデベソが異様に勃〇した…モトイ…峠が三浦半島に伸びたためか、意外と近さを感じます。
(たとえば幕末、幕府は外国船の接近に備え川越藩など武蔵国諸藩に、房総半島と三浦半島両サイドで監視させている。
頼朝が神奈川県の石橋山の戦いで敗れ船を漕いで房総半島に渡れたし、船乗り界隈ではこの2つは近場なのだろう。
近年、川崎と木更津はアクアラインで結ばれた。近い将来鉄道もできる流れか、体感果てしなく遠い内房→総武線→横須賀線の両県も「房総半島と三浦半島の結婚」のように短距離で結ばれることもあるだろう。)
そんな川崎。東京から行くときはちょっと注意。ひとえに川崎といっても、南北に長い。北は世田谷区と調布市に隣接する登戸と百合丘のある麻生区。多摩川沿いに南下すると溝ノ口がある高津区、さらに新丸子や武蔵小杉のある中原区。
そこから新川崎という駅名があるが、川崎駅とは近いと思うなかれ。徒歩で川崎駅に向かおうとすると1時間はかかるだろう。
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北は登戸から黄色いラインが多摩川沿いに南武線。東急東横線と南武線などがぶつかるところが武蔵小杉。
そのちょい南が新川崎。埋め立て地につながる川崎駅(JR川崎駅や京急川崎駅に南武線浜川崎駅)まではほど遠い。
溝ノ口には江戸時代に大山道が通っており、その南の川崎駅周辺は東海道の川崎宿。まずは僕が去年の10月に行った「かわさき宿 交流館」で撮影した江戸時代の東海道・川崎宿の様子をご覧ください。
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川崎の工業地帯を見に行こう
では、実際の川崎の景色へ。駅周辺の繁華街(右下)から埋め立て地地域を目指します。果たして、下にある「かわさき宿 交流館」のお菓子のパッケージにあるような、美しい景色を見ることができるでしょうか!?
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時は移ろい。
昨日、2024年の2月末日ですね。やっと川崎の工場夜景を撮ってきた次第です。先述の去年10月は、結局建物によって海沿いの工業地帯は見れず、京急の子安あたりからトマトケチャップ発祥の地やキリンビール横浜工場の脇にある生麦事件の碑を見て生麦から帰宅しました。
一応、もうちょいだけ川崎は続きますが(浅野セメントで京浜運河を開いた浅野総一郎や田中久重らの東芝関連の話)、昨日やっと川崎の製鉄所か石油化学コンビナートかの工場夜景を見ることができました。
前回の記事(①)からこの記事(②)までかなり遅れてしまいましたが、ちゃんと忘れずにリベンジしましたよ!
今回は地図にありましたいくつかの京浜運河の埋め立て地帯の1つを、京急「小島新田駅」から歩いて片道30分程度で見てきました。
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人が使える鉄道は小島新田駅までですが、実は建物脇と歩道の所々に線路があります。工場へ様々な物資を運搬する貨物列車専用でしょう。小島新田駅前の陸橋を渡り、右折して千鳥運河あたりから見える工場夜景を目指していきます。
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市原と同じく、夜知らない町を歩きトイレもコンビニもない(市原より人通りとコンビニは多かったような)恐怖と戦いながら歩き続け、千鳥運河の端を超えたあたりに、遠景ですが美しい工場夜景の光が見えてきました。
目的地であるGoogleMapにある「千鳥運河の工場絶景スポット」まで行くのが怖くなり(主にトイレがない恐怖と帰りが遅くなる恐怖)、この埋め立て地域の入口辺りで引き返しましたが、それなりのキレイな夜景は撮れたと思います。
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帰りは、川崎のちょっと良さげな目当てのスーパー「かわさき市場」は21時過ぎてしまい諦めましたが、京急ストアで生ホタルイカ刺身(肝醤油つき)とサーモンの刺身、タラ鍋用2キレとジャガイモとネギを買いました。
ダイエットのため、夜は鍋とイモと魚に絞ってますが晩御飯と晩酌もそれなりに楽しめました。(この日、朝ごはんのうどん以外に横須賀のマグロメンチカツとカレーせんべい食べちった…)
いかがでしたでしょうか。実は、この日は横須賀方面に行きまして。
川崎の東芝の資料館を覗いたあと、やっぱ横須賀見たくてちょっと歩いてきました。
日本初のカレーである海軍カレー発祥の地、日露戦争でロシア軍を倒し今でも海外で「丁字戦法」が研究されている東郷平八郎ら「坂の上の雲」という小説でも有名な戦艦三笠、アニメ「スローループ」の聖地巡礼、米軍基地を撮影しようとしてアメリカ人係員に「No!No!」と怒鳴られる、夜に川崎に戻り上記の撮影。
横須賀は三浦大根に春キャベツ、美味しそうなマグロ(脳天や胃袋など様々な部位)などの鮮魚が売ってましたが、特にマグロはお高いのでコンニャクとカレーせんべいだけ買って帰りました。
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京急線はもう電車の中吊りで拡散中です!
これはまた後日「工業地帯を見てみよう!③」にて、横浜~横須賀編にて、そうそう「続・川崎」もふくめ描いていきます。
幕末に寒村だった横浜の開発と開港の歴史は押さえたけど、工業はどうだろうなぁ、横浜と横須賀というと日産、追浜工場は時間とコストと労力で見送ったし、横浜に日産自動車エンジンミュージアムがあるけど、エンジンに知識も興味もない…
はぁう、浅野総一郎をどう調べようか、未定だ。まったく撮れ高がゼロなんですけど。
なんか次の横須賀、スローループの聖地巡礼だけで終わりそう。