また、秩父に泊まった(秩父の「青」…ダムと長瀞と荒川と)
秩父へ向かう
新緑の 青が煌めく 秩父の山
都会のせまい箱の中で、喧騒の中で苦しむ毎日は、せまくみみっちい人間関係か、自分で勝手に箱を作り閉じこもっているのか。
そういうクサクサで、イジイジとしている自分、割とお金がある今。自分を癒してくれる旅、どこへ行くか思ったところ、僕の愛する隣町、秩父が呼んでくれた。決して面倒で「秩父で良くね?」と思ったわけじゃ、多分ない。
神様が、秩父が「きっと今、必要なんだよ」と言ってくれている筈。
僕はなじみの秩父第一ホテルに予約をし、日曜日の浦安の仕事が終えた後、各駅停車でゆっくりと秩父を目指す。
秩父のベルクというスーパーマーケットでお酒と刺身とおかずを買い、今日は朝五時起きだったためか、すぐに意識を失い、眠りにつく。
予定は1つしかない。「浦山口のダムを見よう」。
近辺のスポットはだいたい、いろいろ行っている。けど最近は郷土資料館で地域の歴史を知り、そしてダムにも興味を持ち、青梅も奥多摩湖(小河内ダム)、埼玉飯能の名栗湖(有間ダム)、埼玉所沢の狭山湖(山口ダム)東京多摩村山の多摩湖(村山ダム)、神奈川相模原の津久井湖(城山ダム)、神奈川相模原の相模湖(相模ダム)、すべて記事にしてきた。
ダム好きの僕は、いつか行こうか思っていたが、いざ今この時に誘われていると思った。結局秩父に着いたものの「行くところ、ここしか思いつかねーや」を上手くごまかしただけだが。
午前10時にホテルから追い出され(ただのチェックアウト時間です)。
ホテル目の前の秩父鉄道の秩父駅の物産展で買い物… いや買ったのは秩父の水(ペットボトルの秩父源流水)だけ。飲酒したため、体が渇いた状況で、染み入る秩父の水が美味いと思う。
午前10時10分、浦山口駅に行く秩父鉄道の時刻は10時30分。僕は徒歩15分くらいの秩父駅から隣の「御花畑駅」(西武秩父駅の近く)まで歩くようにした。
秩父の町は、歩くだけでも楽しく心弾む道が伸びている。
隣駅の御花畑駅(芝桜駅)に到着。秩父鉄道に乗り、次の影森、その次に浦山口駅がある。先に、以前荒川の郷土資料館や道の駅「あらかわ」を楽しんだ日野武州や、パワースポットで有名な三峯神社がある秩父鉄道終点の三峰口駅。
(復路にて、秩父駅の先に長瀞駅、寄居駅、熊谷駅に行田駅に終点の羽生駅、埼玉の西端と東端を結ぶ秩父鉄道)
秩父鉄道など、特定の鉄道会社が進めている、鉄道利用促進、観光資源としてのキャラで彩る「鉄道むすめ」シリーズ、秩父鉄道の「桜沢みなの」がほとんどの駅でみんなをお出迎えしています。
秩父で好きな食は、くるみそばなどありますが、もう「しゃくしな漬け」はこの世界で大好きな漬物と言えよう。
乳酸発酵臭が強い漬物、香る乳酸の香り(ヨーグルトや無濾過ビールの酵母の香り)によるほどよい酸味、しかし塩分は控えめ。
以前しゃくしな漬けを姪っ子の家に行ったとき土産として買いに行き、その味と効能を力説したのだが、イマイチ伝わらず、「めんどくさいもの」という印象しか無かったろうな。僕には人の心を揺り動かす話はできない。
しゃくしな漬けは、そのままで美味しいし、油いためも、揚げ物などの中に刻んで入れても、納豆に入れても、秩父のお店に売っている「しゃくしなタルタルソース」は滅茶苦茶美味そう。しゃくしな漬けを刻んで炊いた「しゃくし菜ごはん」も美味しいと聞く。なんにでも合う万能漬物だと思う。
影森駅がこの電車の終点だった。10時半過ぎくらいかな。次の電車が11時半くらいなので、歩いて隣駅の浦山口駅を目指す。
徒歩25分ぐらい、郷土資料館と、浦山ダムが目的だ。
僕の今年の休みは月曜日、僕の趣味である郷土資料館巡りや博物館巡りが、ほとんどが月曜閉館のためできない。しかし、この浦山歴史民俗資料館は幸運にも開館しているようだ。
浦山ダムを目指す(いつものv.s.トイレ)
影森駅からしばらく。僕にいつもの恐怖症が訪れる。
腸過敏症候群の1つらしい、「トイレがないとすぐに脂汗が流れてしまう恐怖症」だ。僕は急行電車などに閉じ込められると、心中パニックを起こし手に汗をにじませながら思考が吹っ飛び眩暈に至りそうになる。およそ旅人には不向きだ(旅は好きだから続けるが)。
しかし、僕は元旦の秩父の旅にて必殺技を覚えた。
常に使っているグーグルマップの地図アプリに「公衆トイレ」を検索してみる。
行く途中に、お寺にて公衆トイレがあるのが見つかる。徒歩10分ぐらいだ。
近くに確実にトイレがあるという情報は、僕にとり大きな安心材料になる。今は「安心」を得たく、遠回りだがこのお寺を目指す。
到着。便意は無いが出しておこうとする。
しかし、用を足して気づく恐怖。「トイレットペーパーが、無い。」
嘘だろ…!? 僕は人がいないのを確認し、お尻丸出しで使用していた「誰でもトイレ」を出て、併設しているゴミ箱グチャグチャで散らかった男子トイレの和式に入り込む。
嘘だろ…!? 無いんだぜ、ここにも一切トイレットペーパーが!
予備も無ければ、用具入れも鍵で扉が閉まっている。
無造作に転がっていたトイレットペーパーの芯で軽くお尻を拭いて、ポケットティッシュの残骸や数本の芯にレシートなどがぶち込まれたゴミ箱の奥に沈める。そうするしかなかったんや…
さっきの誰でもトイレをまた通り、さらに併設の女子トイレに入る。まわりは誰もいない。
トイレットペーパーは、やはり無い。嘘だろ…。
しかし、3枚くらい、割ときれいに丸まって捨てられているポケットティッシュがあった。これは便器でちゃんと流れた。
このまま、尻を拭かないと、痔になりそうなので、僕は寺務所に行く。
すると、秩父三十四霊場の巡礼場所を探すために、住職にいろいろと質問するおじちゃん。
ひたすら、待つ。自分の話を確かにするため、延々とくどいほど聞くのは同然だ。僕は、十分にお尻を拭けていない気持ち悪さに耐えれればいい。
15分後くらいか、その先客が去って後、やっと僕の番、「公衆トイレを使おうとしたのですが、どこにもトイレットペーパーがなくて…」
住職さん「ああ、またか! 正直言うとね、この辺りの登山客、本当に常識がない人ばかりなんで! ひどいひどい!!」。
確かにお寺様は仏事に勤しむべきで、ふつうのお店のような「トイレチェック」は本来の仕事ではない。
トイレットペーパーをいただき、思う存分、尻を拭いた。心地よい。
そういえば、トイレの傷跡が痛々しい。便器のレバーは欠け、ウォシュレット機能などはテーピングが巻かれ、いたるところが破壊されてるな。
サービスを利用する側、供給する側。その苦悩が垣間見える。
僕は浦山口駅を目指しながら、空に両手を伸ばし、「トイレに苦しまない万能感!!」とつぶやいた。腸過敏症候群、ひたすら付き合っていかないといけない恐怖症だ。
それから20分ほど歩き、「浦山歴史民俗資料館」を見学。
撮影は許可するが、SNSアップは禁止。けど、この地域の風土と、江戸時代に作られた民俗学と郷土史の最高傑作「新編武蔵風土記」の記述により明らかになる浦山の情景に心躍った。
荒川周辺に米はそこそことれるのか、コンニャクイモなど(檜原村もこんにゃく作ってた)の畑作がさかんだが、収穫の時期にシカなどの獣害で夜も眠れず。男は野良仕事に木材と薪や炭焼きで山小屋に籠ることもあり、女は養蚕や麻糸などをつくり、現金収入を得てきた。お山の生活はほかの地域とも類似するところがあるし、浦山ならではの風習もある。コンニャクづくりだけでなく、高山に生える岩スゲを編んだスカリという袋鞄、以前描いた飯能の名栗と東京の奥多摩に通じる美しい日本の山の原風景、「武蔵国の人情は武甲山の麓にある」と言われた古来日本人の穏やかな気性、埴輪や土偶にもみられるような髪結いにカラサン・タッツケと呼ばれる衣装。
僕のスマホに資料館の展示はほぼ完ぺきに保存される。勿論、公開はしないが。
ダムとお山の美しさを表現できたなら
さて、ここから徒歩20分、浦山ダムの資料館「うららぴあ」を目指す。
電話して、ちゃんと開いているか聞いてみる。残念ながら、ダムカレーやダムラーメンで有名な食堂はお休み。しかし、資料館は開館。僕は心躍る思いで山の坂道を登り始める。
トイレはだいたい出し切ったし、常備薬のストッパが効いてきたと思う。自信はついてきた。
しかし、だんだんと標高が高くなるにつれ、高所恐怖症が不安の闇を作っていく。
途中、橋立川にかかる高い橋が。
けっこうな強風が恐怖症を煽る。僕は歩道橋とかは基本、帽子とメガネとカバン、スマホを手で押さえたり、胸元に抱きしめて、気持ち身を低くしながら歩く、つまり極度の高所恐怖症。
まわりに人がいないためか、割とゼーハーと大きな声で呼吸をしながら通る。たまに立ち止まり目をつぶり、たまに座り込む。
スッスーハー!! スッスーハー!!
何とか橋を渡り、急こう配の道路をつづら折りに往復したあと。
ふと曇に遮られた光が、雲が晴れたせいで、一斉に周囲を彩りはじめる。
サァっと光があたりを照らし、周囲の山々の新緑の青が光を放つだけでなく、近くの樹木に繁る葉も、キラキラと輝く宝石のように目の前に踊り出す。ただ、ひたすらキレイだと感動する。
思えば、僕の気持なんか、暗闇にどす黒く、黒い血だまりに沈む虫けらのようなものだった。しかし、この光の美しさに、我を忘れて心躍る!
…情緒不安定なのです。こんな山の光が美しいと思えるなんて。今までの辛さは、この一瞬の煌めきにあったのかと思ってみる。
着いたぁ!うららぴあ!!
怖かったよぉ。けど、これからどんなのが見えるのかな。あるステージをクリアし、次のステージに心躍る。
どっひゃー!! やっぱダムきれい!!!
僕の特殊な性癖かもしれません。過去にやった高尾山などの登山から山の景色が好きになり、現在試みている荒川など川をテーマにした調査から、川の景色も好きになり。
山の稜線の彩りが本当に美しく、そして川と川岸に煌めく水面が尊くて。
景色の美しさもあるが、歴史の思い入れもある。ダムはその需要の高まりにより関東で特に増えてきて、僕がこれまで見てきたダムの多くは、人里が破壊され、つまり村がダムに沈む悲劇などもあり。
浦山ダムの資料館へ
この「うららぴあ」、さまざまな映像作品、目立つのは仮面ライダーの撮影場所などで有名で、多くの著名人や偉大なクリエイターたちのサインがたくさん貼られています。
ダム式万歳。人がいないのでやってみようとしたけど、「弐」でさすがに年甲斐もなく、挫折。
さて。ここからしばし、僕の趣味。
荒川をひたすらたどっていくコーナーです。興味ない方は下までスキップしていこう!
※以前僕が描いたダム記事です。稚拙な文ですがよろしければお願いします。もし読んでくれたなら、感謝感激雨霰でございます。
浦山口駅に戻りましょう!
僕の関心は、ダムの底に昔、町があったのか。
ダムで町を沈めたなら、「とても怨念がこもRi」、いや「ロマンティックな場Syo」、いや、「歴史的な価値が高い遺産」、つまりそれは「遺跡」ともいうべきで。消えた集落。ダムの底が昔どうだったか気になるのです。
ダムカードマン、ちょっと不気味な。
僕はダムラーメンに興味あったのに。
さて、そろそろ下山しよう。名残惜しいので、もうちょい撮るが。
良い天気にも恵まれた。この山々の晩春の、きれいな花に新緑の緑、満ち足りた気持ちです。
秩父に来てよかった。当たりだ。いや、きっと神様や僕の愛する秩父が僕を呼んでくれたのだろう。
こんなコミュ障な僕が、生き辛い仕事をこれからやるにあたり、ちょっと癒しを作ってくれたのだろう。良い思い出だ。(しかし、まだ旅は続きます。そして追記、仕事はえもいわれぬほど辛かったです。いろいろ失敗して…)
橋立鍾乳洞と秩父の蕎麦
帰路、再び山々の景色。面白い形だなあとか、楽しませてくれる。
あと、やっぱ石灰石の産出、セメント工業で日本の産業を支えながら近代化した秩父。やっぱ石灰岩が多い!
まだ時間は13時過ぎで早い。なので、この後の旅の構想を固めつつ。西武秩父駅で、恒例のくるみそばを食べるか(朝食は朝8時半、お腹もへった)、それともやっぱ秩父鉄道を横断し、熊谷、いや羽生まで行って引っ越す前に住民として馴染み深い東武伊勢崎線を使ってグルリ巡って帰るか。
コミュ障でぼっちな僕は、逆に思い思いに、思い付きで行動が変えれる利点がある。
そんな道すがら、橋立鍾乳洞の看板があり。行けるときに、行っておこう!
お寺内に、橋立鍾乳洞と蕎麦屋もある! 西武秩父のくるみそばを諦めて、ここの蕎麦を食べてみよう。
入場料は200円。そういえば、財布に今1000円札しか入ってなかったな。ATMがほとんどなかったし。いや、4月から異様に手数料が高くなり、最近は引き出すのも億劫になっていたせいかも。
ちなみに、鍾乳洞内部は撮影禁止。外観まで。
参考に、こんな石灰岩の狭い洞窟を潜り抜けていくイメージ。
ちょっと狭すぎる、そして低すぎたり直角の梯子のような階段を何本も登ったり。
特に、せまくて低いのが難儀して、多くは座りながら歩かないと、いたるところに出っ張った天井の岩に頭をぶつけて怪我しそうで。
10分、ひたすら「潜り抜ける」。正直、ひたすら苦痛でした。
う~ん。浦山ダムまで登る高所恐怖症のほうがまだ快適だったかも。
息は相当あがり、疲れ果てて気持ち悪い…
けど、出てからのこの石灰岩の巨大さに圧倒される。てか、相当低いところに入り、高いところまで僕は洞窟を這いつくばって登っていたのか。
頑張ったご褒美の、蕎麦!!
手打ちそば、普通盛850円。大盛は1050円なので念のために普通で行く。水や食器の片づけはセルフサービスだが、吹き抜けの広いスペース、快適です。水も美味しいが、紙コップ小さすぎたため、最初に買った秩父源流水を飲む。
店内のやや暗がりだったためか、蕎麦は緑色がかって、とても新鮮で良い蕎麦に見えました。画像からは緑は見えないが、透き通るほどの綺麗な蕎麦。
徒歩10分ぐらいで駅へ。近くには、ATMどころではなく、浦山口駅自体がこんな感じ。
近くに、歴史民俗資料館で見た人々の共有地のような、湧水がパイプから大量に下の洗面器に流れていた場所があり。手と顔を洗い、これまでの体の熱に冷たさが染みわたる。
こんな些細なことも幸せ、もちろん先には不幸があるだろうが、探せばたくさん幸せがあるものです。すいません、何度も何度も情緒不安定なんです。
どうやら、往路は御花畑駅(芝桜駅)から隣の影森駅が終点だったように、復路も影森駅でいったん止まり、かなり次の電車を待つかと思いきや。
そのまま羽生まで行く電車が駅到着7分ほどで来るようで。
これは、旅の計画を、西武秩父駅に寄るのではなく、せめて寄居まで行くプランに変更せねば。
トイレをゆっくりすませながら、「寄居駅で東上線に乗ってまわるか、いや、熊谷や羽生目指しつつ、途中の【道の駅】の『かわもと』や『はなぞの』(ともに深谷市)で今日の晩飯で食べる地元野菜などを買いに行くか…」プランを作っていく。
電車内にも、眠りたい衝動、撮り溜めた写真チェックしたい衝動、そして旅先を決めたい衝動、いろいろ考えるうち、影森~御花畑駅(西武秩父駅最寄り)間に、秩父のシンボル、僕の中で一番カッコイイ山、武甲山がどーん!!
やっぱりここに降りちゃいました!アユの名所です!
さて、ここはどこでしょう。
答えは、やはり僕の大好きな長瀞。
なんでか、衝動的に降りてしまった。やはり、神様が、長瀞が呼んだのか。
いや、正直、「ここで晩ごはんを買える、野菜は無くてもしゃくしな漬けと鮎のパックなどを買えばいい」という打算と計算です。
降りて正解、気づいたのが、たびたび長瀞は秩父よりも高嶺の花で、秩父より先で電車代も500円ぐらい余計にかかりお高い。
そして何より、いつも秩父観光後に立ち寄るため、16時ぐらいに来るため、いつも店は閉まっている。
今は15時近く、店はまだまだ開いているのだ!
さっき貼った画像と順番は前後しますが、駅を出てまず荒川の長瀞岩畳方面で目指したのが「丹一」さん。ここでずっと前に「アユ飯」を食べたのだが、今回は食べるチャンスが来たのだ。こないだの長瀞記事(上に貼っている記事、自然の博物館でパレパラたんを見に行ったとき)と違い、今日はあいにく月曜なので博物館は閉館中だが、逆に丹一さんにリベンジ戦できる!
長瀞でアユが食べたかったらぜひぜひ、丹一さんへ。アユ料理が豊富です。なるべく早く行かないと、夕方には閉まります。
塩焼きはありきたりなので、酒蒸しか、からあげか、迷う中、僕は「うるか」(内臓の塩辛)と田楽。
その後、岩畳のライン下り… はお金節約で、乗る人を眺め見ることを楽しみ。やっぱり川の景色はきれいなのにうっとりして。
長瀞で降りてやはり正解のようで。しかし、次の電車が30分以上待つ。
どうしようかな、熊谷方面を目指し、道の駅で野菜買おうかな。いや、1駅前に「道の駅 みなの」があったな。けど、戻るのも嫌だし、いっそ寄居で東上線に乗り換えてグルリ回りながら帰るかな。
適当に時間をつぶし、長瀞駅へ。やはり秩父駅方面に戻らず、寄居方面へ行こう。寄居で降りるか、熊谷方面まで目指すかは迷っているが、地図を見ながら、寄居駅でのプランを考える。
鉢形城址。行ってみたかったけど、月曜だから博物館は閉まってるし。
けど、外観と、荒川を途中で渡るから、川見ていくかな。
なら、寄居から歩いて東武東上線鉢形駅まで。旅の結末は東上線で回る感じだな。
思考がまとまってきたけど、まだ電車来ない。駅に入り、いろいろ撮影。
埼玉の人々の生態を知る教科書的な漫画と僕が勝手に位置付けている「埼玉の女子高生ってどう思いますか?」の最終巻5巻の表紙が長瀞駅であるのが、ポスターにあった。駅の再現度カンペキ!
あと、鉄道むすめは秩父鉄道の「桜沢みなの」しか知らなかった。
西武鉄道(新宿線)に「川越いぶき」っていたのな。
ええー…? 川越よく行くけど、あまり存在を感じんよ?
そのせいか、やっぱ「みなの」が一番推し。秩父鉄道のだいたいどこにもいるし。
寄居から鉢形にて、きれいな荒川と石を磨く
心に余裕ができたせいか、ウトウトとしているうちに寄居駅。
寄居には、一度は荒川を研究に東上線沿いに来て、夜になったため真っ暗。
2度目は、東上線沿いの郷土資料館を記事にするため、それらをめぐったついでについに夕方に来て、そのまま素通り。
寄居に降りるのは初めてで。
ちなみに、東上線は東京と上野こと群馬を結ぶ路線だったはずで「東(京)上(野)線」だったが、八高線(東京の八王子と群馬の高崎)の開通で存在意義を奪われてしまい、終着駅は寄居となった。
徒歩、しばらくしてスーパーのヤオコーやダイソーなどが並ぶショッピングモール。ヤオコーで晩御飯の野菜などを調達し、トイレも済ませて出て、しばらくして荒川を橋で渡る。
川の美しさが伝わるでしょうか。
鉢形城。戦国時代の後北条氏が建てた城だ。5月20日くらいから「北條まつり」をやるようだが、どんな祭りなのだろう。
現在いる荒川が見渡せるきれいな景色の公園だけでなく、かなり広い敷地。
さすがに全体を歩いて回れない。もうすでに17kmくらい歩いていて疲れている。
現在位置の公園にて、モニュメントと案内板。
さて、鉢形駅に向かいます。道路一本道で行けるので、スマホの電池にも優しいです。鉢形城の敷地の端に来たか、石碑と塚が。
途中、鉢形河原といわれる河川敷へ。荒川を愛しているため下りますよ。
眺め見るだけでなく、触れるアイドル、荒川さま。
三峰口からさらに遠く甲武信ケ岳から、浦山ダムのふもとを流れ、秩父を流れ、長瀞の美しい岩畳をつくり、ここ寄居、さらに東へ進み埼玉の北の果ての熊谷からカーブして南下し、僕がこれまで取材してきた川越、大宮、浦和、志木、さらに蕨や戸田、川口。赤羽で隅田川を産み落とし、葛飾区、江戸川区、墨田区、そして葛西臨海公園で東のディズニーを見ながら東京湾へ流れ込む。歴戦を潜り抜けて今も人々をうるおす偉大な荒川。
しばらくたたずみ、きれいな石も探し出し、甲子園に来た高校球児のごとく、記念に石を持っていこうとするが、なかなか良き石に恵まれず。あげくの果てに、そこそこキレイな形の石を、僕は最近観たYouTuber「週末縄文人」を思い出し、石をひたすら研磨することを試み始める。大きな河原の石に水をかけて、すり合わせて磨くとちょっと緑色に見え、テンション上がる。「秩父で運ばれた石は、中世の関東で数多くの人の痕跡を残した考古学の重要資料『板碑』のもとになった、緑色片岩や! 今日は最後に、きれいな緑色片岩にして終わるんや!」遠くの橋で、車や人や自転車が通る向こうで、ひたすら謎の不審者が石を磨いています。
20分後。これ以上色が変わらなさそうなので、あきらめる。無事、陽が出ているうちに帰るのが目的だ(言い訳)。
東武東上線、鉢形駅に到着。
夕暮れ時。旅先で大好きな景色だ。
今日はいろんな景色を見せてくれ、鉢形にてこの強く暗みを帯びた光に、「お疲れさん」してくれた。
これから漆黒の闇をむかえ、明日がまた来るまでに、うまい酒とおいしいご飯で家でゆっくり過ごす。
はあ、酒クズ万歳。