自分たちの絶対的価値
子ども達は、未だ、この世の方便としての価値尺度による評価選別にどっぷりとはさらされてはいない。このため、自分たちが絶対価値そのものの存在であることを忘れていない。というか、体感的に、自分たちには絶対的に価値があるとしか考えていない。このため、子ども達はとてもとても幸せである。
しかし、成長するにつれて現実世界の方便としての価値尺度で評価され続けると、絶対価値そのものである自己や他者の存在を有限の仮の物差しで計るようになる。すると、自己の価値や他者の価値に疑念を抱くようになり、自他を物差し上の上下感覚で観ることになる。
すると、パンドラの箱が開いたようにして、ありとあらゆる絶望と不幸と悪相念と争いと破滅と悲劇とが生まれてくる。
この世の方便としての価値尺度による評価と優勝劣敗は、避けられないものであり、また必要なことでもある。
しかし、自他の価値は絶対である。
このことについては、子ども達に対しても、大人達に対しても、自分に対しても、他者に対しても常々フォローしていかねばならない。
これは人間の生存基盤として極めてたいせつな自尊感情(セルフエスティーム)の問題でもある。
こうしたことについて現代社会のなかで学ぶことや意識されることはほとんどない。
『おそろしいこと』である。
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