小説探訪記04:世界の現代SF小説・沢木耕太郎の奥深く・司馬遼太郎の後継者
今日もまた小説探訪記。いわゆる雑談回である。基本的にはタイトルの3本立てでお話していきたい。他にも話せることがあれば話すかもしれない。
(1) 世界の現代SF小説
(1-1) 中国SFから日本SFにかけて読んできたSF
実は前回もSF小説について様々な意見を語った。取り上げた作品も劉慈欣『三体』、アンディ・ウィアー『プロジェクト・ヘイル・メアリー』、伊藤計劃『虐殺器官』、佐藤究『Ank: a mirroring ape』と多様であった。
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しかしながら、裏ではさらに読んでいる。ケン・リュウの短編集や中国人作家のアンソロジー『折りたたみ北京』、ニール・スティーヴンソン『スノウ・クラッシュ』、小川哲『ゲームの王国』、円城塔『ゴジラS.P』など。アンソロジーでは『異常論文』や『新しい世界を生きるための14のSF』も読んだ。短編小説は多くなるが、傑作が揃っていたように思う。
アメリカについてはアンディ・ウィアー『火星の人』、ロシアではウラジミール・ソローキン『青い脂』を読んだが、それ以上は手が回らなかった。
※閑話休題:ケン・リュウ『紙の動物園』について
ケン・リュウの短編小説『紙の動物園』を読んでいると、村上春樹的な深刻さを感じる。文化大革命の時代を生き延びた両親の沈黙。親しい人から尋ねられない過去を遠回りしながら探る、一種の途方もなさ。戦争について多くを語らなかった父親をもつ村上春樹の境遇とパラレルに感じる。これは劉慈欣『三体』の第一部でも似たような印象を抱いた。
(1-2) 現在こそがSF小説の最盛期なのかもしれない?
一度「SFは死んだ」と囁かれたかもしれないが、むしろ現在が最盛期なのかもしれない。もちろん、アイザック・アシモフを読んだときの刺激的な体験は還ってこないのかもしれない。『銀河英雄伝説』のような大長編のスペース・オペラは、出版事情ゆえに難しくなるのかもしれない。
だがしかし、21世紀に入って問題意識が多様化し、その結果、SF小説の多様性を拡張してきたのも事実である。iPhoneのような小型端末の普及や、自動運転の研究の進展、メタヴァースの登場、エヴェレットの多世界解釈の普及、ゲノム編集やiPS細胞といったバイオテクノロジーの発展、ビッグデータの活用、Tesla社が開発したSterlinkの登場……。
20世紀では漠然としていた機械や設定が、今世紀に入って身体的な具体性を伴うものになった。これらの発見・発明がSFの深度を高めていることは間違いないだろう。
ともあれ、古今東西、発掘できていないSF小説は多々ある。それらを総合してみないと新しい見地は明らかにならないだろう。これからも色んなSF小説を発掘していきたい。
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(2) 沢木耕太郎の源泉~金子光晴と小田実
『深夜特急』の作者である沢木耕太郎は誰にインスパイアされたのか? インタビューで時々名前が挙がるのは金子光晴である。詩人であり、また貧乏旅行と称して世界各地を巡った作家でもあった。その手の紀行文は中公文庫に取り揃えてあるので、ご一読をおすすめする。
(2-1) 小田実『何でも見てやろう』
もう一人。一度しか名前が挙がらなかったかもしれないが、小田実である。『何でも見てやろう』という紀行文で有名な作家だったらしいが、今は耳にすることもない。
しかし一体どんな本だったのだろうか? 石田衣良『夜の桃』にて、ネット広告業の経営者である主人公・雅人が、採用候補の女性を値踏みする際に、こんなシーンがあった。(三人称視点・中心は雅人)
なるほど。ある世代以上の男性は一般教養として読んでいた本なのかもしれない。タイトルとして最初に挙がってくることからも、強烈なインパクトを与えた紀行文だったのだろう。自分も読んでみたいと常々考えているが、これも手が回らない状況だ。特に小田実に関しては、『何でも見てやろう』だけでなく、全集にも目を通したいのだが……。なかなか時間が掛かりそうだ。
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(3) 司馬遼太郎の後継者は誰か?
長話が続いた。ここではサクッと済ませよう。小説手法としての司馬遼太郎の後継者は、原田マハになるのではないか。個人的にはそう予想している。
(3-1) 司馬遼太郎の小説の特徴
司馬遼太郎といえば、剣豪や武将をキャラクター的に描いていくことを得意としていた作家であった。会話重視で改行が多く、著者特有のうんちくを織り交ぜることも多かったので、長編シリーズの名手として記憶されていることだろう。
一方で、それは巻数が大きくなってしまうという弱点でもある。当時の人は気にしなかったかもしれないが、現代の若者が『坂の上の雲』を読み通してくれるのか? その点には厳しいものがあるだろう。
(3-2) 原田マハの小説の特徴
原田マハも司馬遼太郎と同様の手法で小説を書いているのではないか、と感じる。ゴッホや俵屋宗達、バーナード・リーチといった登場人物のキャラクターを、史料のすきまを縫いながら、決めていく。物語の展開やテンポよりもキャラクターの維持を重視している。文体も読みやすくなるように意識している。そんな作家であるように見受けられる。
会話とキャラクター重視。物語のテンポはあまり優先しない。時折入り込む作者の専門知識。司馬遼太郎と原田マハの小説の書き方は、似通っている気がする。そう考えると、手法的には、原田マハが司馬遼太郎の後継者になりそうだと、個人的には感じる。
(3-3) 原田マハの小説が抱えている課題?
しかしながら、原田マハの小説は、物語のスケールが壮大になりすぎているとも感じる。ゴッホ(『たゆたえども沈まず』)やピカソとドラ(『暗幕のゲルニカ』)、俵屋宗達(『風神雷神』)といった巨匠をモデルに、洋の東西をまたいで物語が展開していく。その分だけ登場人物も多くなる。読者に説明すべき知識の量も多くなる。展開したい物語の壮大さに、文体が追いついていないと感じる。そのままの文体では、小説が長くなりすぎるのではないかと危惧しているのだ。
これが一つのシリーズとして纏まってしまえば、面白いのかもしれない。だが、あれ以上のスケールで物語を展開した場合、単行本が何冊も必要になってしまうことだろう。そうすると新規の読者を獲得しづらくなっていくかもしれない。上中下巻で済むのだろうか。
あるいは、ここを転換点に、新しい文体を獲得したら……。かなり面白いことが起きるかもしれない。
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