柳美里『JR上野駅公園口』を再読する
※※ヘッド画像は mitsuki sora さまより。写真は不忍池の蓮の花。
※過去の記事を纏め、加筆・修正したものです。
※本作の核心的な部分に触れるので、未読の方はご注意ください。
扱う作品は、柳美里『JR上野駅公園口』。主人公と〈天皇〉の関係性は多くの方がすでに考察されている。本作の社会的意義も別の方が言及しているだろう。この点については割愛したい。
むしろ、本作について語りたいのは技巧的な部分だ。社会派小説だからといって技巧が甘いわけではない。むしろ、表現技法がテーマの深刻さをより明確に伝えている。
まずは、全体的なあらすじを振り返りたい。
あらすじ
一人称小説か、三人称小説か?
一人称小説か、三人称小説か?――小説を読むうえで基本的な事柄である。読者は真っ先にチェックする部分でもあろう。人称がはっきりしなければ読み進めていくことが難しい。
しかし、本作を最初に読んだとき、どちらか判らなかった。方言で語っている場面は一人称で進行していることがわかる。プライベートな言語で自分の体験を物語っている。すべての文章が、一人称小説だとラベリングされているように感じられる。
けれども、標準語で語っている場面では、何が一人称なのかわからない。読者の私が見落としているだけかもしれない。しかし「僕」も「私」も出てこない。万が一、標準語で語られている部分は、三人称小説になっている可能性もある。
「自分」という一人称
かろうじて一人称になりそうなのは「自分」である。
ただし「自分」という一人称が小説で用いられることは少ないだろう。「彼女は自分で花を買ってきた」など、自分が何を指示しているのか、パッと判断しづらいためである。この場合「彼女=自分」であり、「自分=語り手」ではない。
つまり「自分」という一人称は、人称をあいまいにしてしまう。さらに言えば、一人称が無いように見せかけることもできる。一人称が無くなれば、公私のうちの私にあたる発言ができなくなってしまう。プライベートな人間はそこにはいないのだ。
標準語が用いられる”公的な場面”において、主人公は一人称をほぼ失っている。本作を引用しながら、この点を示してみたいと思う。
パレードの記憶
主人公のパレードに関する記憶を読むと、なにか不気味な心持になる。一人分の記憶としては、覚えていることが多すぎるのだ。この点を詳細に言及したいので、主人公が観た二つのパレードの記述を例に出したい。
一つ目は、昭和二十二年八月五日のパレードにて。主人公は福島県相馬郡(現・南相馬市)出身であり、原ノ町駅は福島県にある。主人公が小名浜での出稼ぎから戻ってきた直後のことである。
空の圧迫感に、ミンミンゼミの鳴き声にゆれる本陣山。目も開けられないほど眩しい太陽。脱帽し、身じろぎもせずに〈天皇〉を待っている人々。風景描写には〈天皇〉への尊敬と主人公の恍惚が反映されている。しかしながら、個人的な感情と結びついていないようにも見える点が、なにか不気味である。
時刻や人数といった、客観的な情報が含まれている点にも注意したい。個人の記憶にしては随分と細かい。後から新聞やラジオで得た情報なのかもしれない。(また、このような客観的な情報が並ぶと、三人称小説だと勘違いしそうになる。一種のミスリードを狙っているのかもしれない。)
二つ目は、ホームレスになった後、上野公園のパレード(行幸啓)にて。平成十八年十一月二十二日、午後十二時五十三分。
本来はもっと描写は長かったのだが、一部省略している。
注目すべきは、時刻と衣裳の説明のこまかさである。装束の説明に用いられる語彙も豊かである。私にはとうてい浮かびそうにない。馬鹿にしているわけではないが、主人公にも思い浮かびそうな説明とは思えない。しかしながら、主人公の感情はいっさい述べられていない。ひどく説明的である。
どちらも個人の記憶としては、細緻で客観的すぎる。感情のともなわない恍惚すら見られる。主人公の語りはあまりにも説明的だ。そこには私的なものが一切みられない。
※そもそも、「パレードの記憶は本当に主人公が語ったものであるのか?」という疑問はここでは考慮しないことにする。”誰か別人が語ったもの”かもしれないし、”主人公が語らされたもの”かもしれない。
家族との記憶
パレードについては細緻に記憶している主人公であるが、家庭の記憶は随分と薄い。欠如している記憶があまりにも多いのだ。出稼ぎのために家族と過ごした時間が少ないにもかかわらず。
赤紙とは、税務署からの差し押さえを示す紙である。しかし気になるのは、「差し押さえが息子の生まれる前後のどちらにあったのか?」を主人公が思い出せないことである。差し押さえも息子の出産も、本人には重大な出来事であったはずなのに「思い出せない」と言うのだ。
また、主人公の嫁である節子と祝言をあげたときの話を振り返るのだが、その際も記憶の欠如が見られる。
祝言をあげた際の節子の衣装が思い出せないらしい。また、パレードの描写は標準語であった一方で、こちらでは方言が用いられる。つまり「語り」が主観的なものになる。
主人公の記憶に関するまとめ
ここで、パレードの記憶と家庭での記憶とを比較してみたい。
パレードの記憶は、精細で客観的であった。そして標準語で語られている。一方、家庭の記憶は、ぼんやりとしていて主観的である。主人公の体験が方言で語られていたことにも注意したい。
では、どうして前者の記憶は鮮明で、後者の記憶は朧気なのだろうか?
以降ははその点を考えていきたい。
記憶の鮮明さの差異
どうしてパレードの記憶は鮮明で、家族との記憶は曖昧なのか?――この疑問に明確な答えはないのだろう。ただ、万が一そんなものがあるとすれば、それはこの文章に集約されるであろうと思う。
暦とは、パレードの記述の中で度々登場してきた、まさに日付や時刻のことである。つまり主人公にとって、パレードの記憶とは標準語で語られるべき「線の引かれた」記憶なのだ。あるいは公的な記憶・パブリックな記憶と言い換えてもよい。
一方で、主人公の人生体験が語られるとき、暦(日付、時刻)が明示されることは少ない。線が引かれることのない、私的な記憶・プライベートな記憶であるからだ。そして、記憶の曖昧な部分は「抱え切れなかった時間」として秘められていくことになる。
さて、引用部だけを取り出してみると、「これらの文章が本当に一つの小説の中に納まっていたのか?」と不思議に感じる。書き方が全く異なるためである。これを実現するには、一人称・三人称をぼかす必要があっただろう。最後に、今までの話をまとめつつ、その点について語ってみたい。
むすびに:この小説の人称について
雰囲気の異なる「語り」を違和感をなく落とし込むには、一人称を「自分」にする必要があっただろう。また、一人称である「自分」自体も最低限にしか用いられていない。
一人称を頻繁に用いれば、パレードの記憶の細かさが目立ち、主人公が作り物のように映ってしまっただろう。パレードの日付、時間、会場の様子、衣裳。普通はそこまで記憶しているだろうか?、と疑いたくなってしまう。
一方で、三人称を設定すれば、主人公の私的な記憶が語れなくなってしまうだろう。方言を用いる必要性が無くなってしまうからだ。しかし方言を用いなければ、あそこまで主人公の体験には接近はできない。
公的な記憶・私的な記憶の両方を語るには、やはり人称をぼかしておく必要があったと感じる。また、最後の震災の光景は一人称で語りきれなかっただろう。私的で、公的な記憶だからである。あの光景は確かに主人公が見たものであるが、主人公だけが見たものではないのだ。
この小説は社会的な面から称賛されることの多い小説であるが、用いられた文学的手法も見事なものである。しかも、それが社会的意義としっかり結びついている点も見逃したくない。
文献案内:「自分」という一人称について
最後に、「自分」あるいは「じぶん」という一人称について、興味深いエッセイがあったので、リンクを貼っておく。