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柳美里『JR上野駅公園口』を再読する

※※ヘッド画像は mitsuki sora さまより。写真は不忍池の蓮の花。
※過去の記事を纏め、加筆・修正したものです。
※本作の核心的な部分に触れるので、未読の方はご注意ください。

扱う作品は、柳美里『JR上野駅公園口』。主人公と〈天皇〉の関係性は多くの方がすでに考察されている。本作の社会的意義も別の方が言及しているだろう。この点については割愛したい。

むしろ、本作について語りたいのは技巧的な部分だ。社会派小説だからといって技巧が甘いわけではない。むしろ、表現技法がテーマの深刻さをより明確に伝えている。

まずは、全体的なあらすじを振り返りたい。

あらすじ

主人公は〈天皇〉と同じ日に生まれたことから〈天皇〉を慕っている。それも、なかば信仰に近いものである。しかし主人公には運がなかった。貧困と飢餓の中で、漁港に出稼ぎしていた。所帯を持ち、息子が生れてもなお、貧困には変わりなかった。それから20年あまり、息子も独立した。それでも生活は楽にならず、東京に出稼ぎをしていた。オリンピックの前後、日本が建設ラッシュに沸いていた頃である。

そんなある日、主人公は息子の死を知らされる。死因は”病死及び自然死”。やがて妻も亡くなる。独立した娘夫婦を邪魔をするわけにもいかない。彼は居場所を失った。誰かのために稼ぐ必要もなくなった。だから二度目の上京をした。生活拠点は上野公園。ホームレスになった。

冬の雨の日――息子が亡くなったのも雨の日だった。主人公は上野公園の張り紙を見た。山狩り、すなわち「特別清掃」の知らせであった。彼は上野公園を追い出されることになった。〈天皇〉のパレード、行幸啓ぎょうこうけいにかこつけて。

主人公はパレードを遠くから見た。こみあげる涙。パレードは終わった。なけなしの700円をかき集め、上野駅の改札に入る。2番線ホーム。主人公は飛び込む。

轟音とともに浮かんでくるのは、あの津波の光景であった。

一人称小説か、三人称小説か?

一人称小説か、三人称小説か?――小説を読むうえで基本的な事柄である。読者は真っ先にチェックする部分でもあろう。人称がはっきりしなければ読み進めていくことが難しい。

しかし、本作を最初に読んだとき、どちらか判らなかった。方言で語っている場面は一人称で進行していることがわかる。プライベートな言語で自分の体験を物語っている。すべての文章が、一人称小説だとラベリングされているように感じられる。

けれども、標準語で語っている場面では、何が一人称なのかわからない。読者の私が見落としているだけかもしれない。しかし「僕」も「私」も出てこない。万が一、標準語で語られている部分は、三人称小説になっている可能性もある。

「自分」という一人称

かろうじて一人称になりそうなのは「自分」である。

ただし「自分」という一人称が小説で用いられることは少ないだろう。「彼女は自分で花を買ってきた」など、自分が何を指示しているのか、パッと判断しづらいためである。この場合「彼女=自分」であり、「自分=語り手」ではない。

つまり「自分」という一人称は、人称をあいまいにしてしまう。さらに言えば、一人称が無いように見せかけることもできる。一人称が無くなれば、公私のうちの私にあたる発言ができなくなってしまう。プライベートな人間はそこにはいないのだ。

標準語が用いられる”公的な場面”において、主人公は一人称をほぼ失っている。本作を引用しながら、この点を示してみたいと思う。

パレードの記憶

主人公のパレードに関する記憶を読むと、なにか不気味な心持になる。一人分の記憶としては、覚えていることが多すぎるのだ。この点を詳細に言及したいので、主人公が観た二つのパレードの記述を例に出したい。

一つ目は、昭和二十二年八月五日のパレードにて。主人公は福島県相馬郡(現・南相馬市)出身であり、原ノ町駅は福島県にある。主人公が小名浜での出稼ぎから戻ってきた直後のことである。

 昭和二十二年八月五日午後三時三十五分、お召し列車が原ノ町駅に停まり、天皇陛下は駅前に下車されて七分間滞在された
 小名浜漁港での出稼ぎから帰ってきた直後の出来事だった。
 圧迫感を覚えるような真っ青な空だった。アブラゼミの鳴き声が本陣山全体を震わせ、その鳴き声から押し出されるようにミンミンゼミが鳴きしきっていた。太陽を融かしたような陽射しがめらめらと揺らめいて、人々の白いシャツも緑の葉も、何もかも眩しくて目を開けていられなかったが、駅前に集まった二万五千人の一人として、帽子を被らず、身じろぎもしないで、天皇陛下を待っていた。
 お召し列車から降りられたスーツ姿の天皇陛下が、中折れ帽のつばに手を掛けられ会釈をされた瞬間、誰かが絞るような大声で「天皇陛下、万歳!」と叫んで両手を振り上げ、一面に万歳の波が湧き起こった。

柳美里『JR上野駅公園口』河出文庫 第9刷 p.33 引用者太字

空の圧迫感に、ミンミンゼミの鳴き声にゆれる本陣山。目も開けられないほど眩しい太陽。脱帽し、身じろぎもせずに〈天皇〉を待っている人々。風景描写には〈天皇〉への尊敬と主人公の恍惚が反映されている。しかしながら、個人的な感情と結びついていないようにも見える点が、なにか不気味である。

時刻や人数といった、客観的な情報が含まれている点にも注意したい。個人の記憶にしては随分と細かい。後から新聞やラジオで得た情報なのかもしれない。(また、このような客観的な情報が並ぶと、三人称小説だと勘違いしそうになる。一種のミスリードを狙っているのかもしれない。)

二つ目は、ホームレスになった後、上野公園のパレード(行幸啓)にて。平成十八年十一月二十二日、午後十二時五十三分。

――十二時五十三分だった。
(中略)
 てのひらをこちらに向け、揺らすように振っているのは天皇陛下だった。
 駅側の人々に手を振っていた皇后陛下もシートから背中を離してこちらに会釈をし、きれいに指を揃えた白いてのひらを揺らした。皇后陛下のお召し物は、白や薄紅色や鴇色ときいろや茜色の散り紅葉が肩山から共衿ともえりを流れる灰桜色の染め小紋だった。

同書 pp.153-155 引用者太字

本来はもっと描写は長かったのだが、一部省略している。

注目すべきは、時刻と衣裳の説明のこまかさである。装束の説明に用いられる語彙も豊かである。私にはとうてい浮かびそうにない。馬鹿にしているわけではないが、主人公にも思い浮かびそうな説明とは思えない。しかしながら、主人公の感情はいっさい述べられていない。ひどく説明的である。

どちらも個人の記憶としては、細緻で客観的すぎる。感情のともなわない恍惚すら見られる。主人公の語りはあまりにも説明的だ。そこには私的なものが一切みられない。

※そもそも、「パレードの記憶は本当に主人公が語ったものであるのか?」という疑問はここでは考慮しないことにする。”誰か別人が語ったもの”かもしれないし、”主人公が語らされたもの”かもしれない。

家族との記憶

パレードについては細緻に記憶している主人公であるが、家庭の記憶は随分と薄い。欠如している記憶があまりにも多いのだ。出稼ぎのために家族と過ごした時間が少ないにもかかわらず。

 あの日、浩一が生れた日、赤紙が付いた家財が残っていたのか、持っていかれたのかは、思い出せない。

同書 p.42

赤紙とは、税務署からの差し押さえを示す紙である。しかし気になるのは、「差し押さえが息子の生まれる前後のどちらにあったのか?」を主人公が思い出せないことである。差し押さえも息子の出産も、本人には重大な出来事であったはずなのに「思い出せない」と言うのだ。

また、主人公の嫁である節子と祝言をあげたときの話を振り返るのだが、その際も記憶の欠如が見られる。

 この家で節子と祝言をあげた日のことを思い出した。……(中略)……半里も離れていない家だったから、迎えに行って、白無垢の節子をもらって帰ってきても、一時間かからなかった。白無垢の……いや白ではねえどな……黒だったべ……確か白いのは着ねがったど、角隠しは白がったげんちょもな、花嫁衣装は白でねえべ……

同書 pp.57-58

祝言をあげた際の節子の衣装が思い出せないらしい。また、パレードの描写は標準語であった一方で、こちらでは方言が用いられる。つまり「語り」が主観的なものになる。

主人公の記憶に関するまとめ

ここで、パレードの記憶家庭での記憶とを比較してみたい。

パレードの記憶は、精細で客観的であった。そして標準語で語られている。一方、家庭の記憶は、ぼんやりとしていて主観的である。主人公の体験が方言で語られていたことにも注意したい。

では、どうして前者の記憶は鮮明で、後者の記憶は朧気なのだろうか?  
以降ははその点を考えていきたい。

記憶の鮮明さの差異

どうしてパレードの記憶は鮮明で、家族との記憶は曖昧なのか?――この疑問に明確な答えはないのだろう。ただ、万が一そんなものがあるとすれば、それはこの文章に集約されるであろうと思う。

こよみには昨日と今日と明日に線が引かれているが、人生には過去と現在と未来の分け隔てはない。誰もが、たった一人で抱え切れないほど膨大な時間を抱えて、生きて、死ぬ――。

同書 p.161

暦とは、パレードの記述の中で度々登場してきた、まさに日付や時刻のことである。つまり主人公にとって、パレードの記憶とは標準語で語られるべき「線の引かれた」記憶なのだ。あるいは公的な記憶・パブリックな記憶と言い換えてもよい。

一方で、主人公の人生体験が語られるとき、暦(日付、時刻)が明示されることは少ない。線が引かれることのない、私的な記憶・プライベートな記憶であるからだ。そして、記憶の曖昧な部分は「抱え切れなかった時間」として秘められていくことになる。

さて、引用部だけを取り出してみると、「これらの文章が本当に一つの小説の中に納まっていたのか?」と不思議に感じる。書き方が全く異なるためである。これを実現するには、一人称・三人称をぼかす必要があっただろう。最後に、今までの話をまとめつつ、その点について語ってみたい。

むすびに:この小説の人称について

雰囲気の異なる「語り」を違和感をなく落とし込むには、一人称を「自分」にする必要があっただろう。また、一人称である「自分」自体も最低限にしか用いられていない。

一人称を頻繁に用いれば、パレードの記憶の細かさが目立ち、主人公が作り物のように映ってしまっただろう。パレードの日付、時間、会場の様子、衣裳。普通はそこまで記憶しているだろうか?、と疑いたくなってしまう。

一方で、三人称を設定すれば、主人公の私的な記憶が語れなくなってしまうだろう。方言を用いる必要性が無くなってしまうからだ。しかし方言を用いなければ、あそこまで主人公の体験には接近はできない。

公的な記憶・私的な記憶の両方を語るには、やはり人称をぼかしておく必要があったと感じる。また、最後の震災の光景は一人称で語りきれなかっただろう。私的で、公的な記憶だからである。あの光景は確かに主人公が見たものであるが、主人公だけが見たものではないのだ。

この小説は社会的な面から称賛されることの多い小説であるが、用いられた文学的手法も見事なものである。しかも、それが社会的意義としっかり結びついている点も見逃したくない。

文献案内:「自分」という一人称について

最後に、「自分」あるいは「じぶん」という一人称について、興味深いエッセイがあったので、リンクを貼っておく。



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水石鉄二(みずいし)
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