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*境界と輪郭*

・前回のnoteつづき

ひき続き、経験を通して学び
考えたこと(解釈)を綴っていきます。

以前のわたしは
自分の「境界(boundary)や輪郭」が曖昧でした。(というか無自覚)

それに気がつき始めたのはアレクサンダー・テクニークの実践をしていくなかで、自分の「境界や輪郭」がクリアになってきたから。

アレクサンダー・テクニークのトレーニングクラスでは、トレーニー同士で、互いに相手に手で触れて(ハンズ・オン)ワークの練習をします。

わたしは初めの頃、相手に手で触れると
自分か相手か分からなくなることがありました。それは、相手と共鳴するのではなく、
一体化して、自分の情報か、相手の情報かが
分からなくなる状態です。

感覚的にはイヤなものでもないので、
どうしたものかと思っていました。

(わたしの場合)自分の境界や輪郭がクリアになったことの一つに”足裏“に「自身の重さ」が感じるようになったことにあります。

以前のわたしは、
あまり「自分の重さ」を感じられませんでした。それは「自分の重さ」を引き上げる
又は、留めているとも言えます。

歩くときには、脚/足を持ち上げないで
踵を上げて、足首を使い、足指までタラタラタラ〜と“足裏”と床が触れるように歩きます。

立っているときも、股関節を前に出して
上半身と下半身との「流れ」(協調作用)を
留めないで、それをやめていくと、
”足裏“に「自分の重さ」を感じるようになってきました。

“足裏”を通して「自分の重さ」が下へと落ちていくことで、重さは反重力で上へとあがっていきます。重力と反重力が拮抗して、無重力状態となります。

以前のわたしは、人混みに酔うことも多く、感覚的には浮足立った感じ、所在ない感じ、常に未来のことばかり考えて、今に焦る感じでした。「今この瞬間」にいることができないとも言えます。

今のわたしは「自分の重さ」を足裏で感じられることで、自分の「境界や輪郭」がクリアになってきたように感じます。

いつかのみどりさん(今の先生)が
「それを“存在”というのはどうでしょうか」
と言ったのが思い出されます。

当時は、あまりピンと来なかったのだけど、ああ、わたしの「境界や輪郭」が曖昧だったり、所在ない感じがあったのは、そこに繋がっていたのか!と気がつきました。

からだとこころのつながり(心身統一性)

それを経験して、学んだように思います。
とても興味深いことです。

いっしょ探求しませんか🌱

2024/2/26/mayumi@Kyoto




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