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#304 世界は勝手に動いていて。

 世間一般はもう夏休みらしい。僕はというとたまたま早く起きられたからとぼーっとしていたらもう2時間経っていた。

 蓋付きのレッドブルに感動しながら今こうして文章を綴っている。今日は目一杯インプットの時間にしたいと思う。

 仕事のスマホをちらっと見て、見なかったことにする。来週はそれに向き合わねばならないんだろうな。

 僕は止まっていても。

 世界は平然と回っている。僕がいなくても会社は動くし、誰かは働く。是が非でも僕じゃなきゃいけないことなんてなくて、でも是が非でも僕がいいこともあって。

 そんなこんなで僕が止まっていても世界は回っている。

 じゃあ僕がこの世界にどうやって加わればいいのか。

 不思議なくらいに誰も教えてくれないんだよね。あれだけ授業授業って教えられてきたのに。

 誰かに生き方を教わることをずっと考えていた。

 誰かに働き方を教わることをずっと求めていた。

 誰かが教えてくれるんだろうと思っていた。

 多分そうで、多分違う。教えてくれることもあれば教えてくれないこともある。今、置かれた環境はどっちだ。

 僕は教えてもらえていないんじゃなくて、教えてもらおうとしていないんじゃないのか。

 「彼女欲しい〜」とかいいながら口に運ぶポテトチップスのような矛盾を孕んでいるんだと思う。

 自分でできる。自分がやる。自分は知っている。

 自分。

 また自分が大きくなっているんだと思う。プライド的にだ。そんくらい大きな自分は痛み伴わないと縮んでいかない。ここまで大きな腫れ物にしてしまったのだ。

 むしろ自分を軸にフリーで生きていくのも一つだろう。

 でも、こころのなかのどっかでそれを望んでいないのもわかる。

 前の記事に書いたかもしれないし、動画のどっかで言ってるかもしれないけれど、僕は「誰かと」を一番大切にしたいのだ。

 きっと寂しがり屋なんだと思う。

 一緒に飛び込んでくれたり、一緒に成長してくれたり、一緒に頑張ってくれる仲間が欲しくて、それを仕事にしたくて。

 大好きなやつらと何かに取り組んでいる時が一番好きで。

 誰かと創る。

 noteというプラットホームはそれを実現するのを手助けしてくれる。僕の文章をありがたいことに読んでくれる人がいるということ。

 それをもとにつながった人たちがいるということ。

 あたたかい言葉をかけてくれる人がいるということ。

 「創る」という行為が1人で黙々とやらなくてもよくなった時代になっている。つながって創る。これがしたい。

 やる。一緒にやってくれる人いるかな。そろそろ夜になるよ。

 おしまい。

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