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【小説de俳句】『蜻蛉日記』藤原道綱母

いはくだく望みも失せし蜻蛉かげろふ

また、二日ばかりありて、「心の怠りはあれど、いとこと繁きころにてなむ。夜さりものせむにいかならむ、恐ろしさに」などあり。「ここち悪しきほどにて、え聞こえず」とものして思ひ絶えぬるに、つれなく見えたり。「あさまし」と思ふに、うらもなくたはぶるれば、いとねたさに、ここらの月ごろ念じつることを言ふに、「いかなるもの」と絶えていらへもなくて、寝たるさましたり。聞き聞きて寝たるが、うち驚くさまにて、「いづら、はや寝たまへる」と言ひ笑ひて、人悪げなるまでもあれど、石木いはきのごとして明かしつれば、つとめて、ものも言はで帰りぬ。

(また、二日ばかりたって、(兼家)「私の思いやりが不足しているのは分かるけれど、ひどく忙しい時期でね。今晩あたり伺おうと思うが、いかがかね。あなたが恨んでいると思うと恐しくって」などと便りがあります。(道綱母)「気分が悪いのでお返事できません」と突っぱねて、すっかり諦めきっていたら、あの人は平然とやって来ました。「あきれたこと」と私は思っているのに平気でふざけるので、ひどく憎らしく思って、ここ何か月もの間、我慢してきたことをすべてぶちまけたのですが、それでもあの人は「どういうわけか」などという返事も全くなくて、寝たふりをしていたのです。ずっと聞きながら寝ていたのが急に目を覚ました、という様子で、(兼家)「どうしたの、もうお休みですか」などと言いながら笑い、こちらがきまりが悪くなるほどふざけかかるけれど、私は石木のように身も心も固くして夜を明かしました。翌朝、あの人は、物も言わずに帰って行きました。)
『蜻蛉日記』藤原道綱母〈100 石木のように〉
川村裕子訳注(角川ソフィア文庫)

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