大事なことはたいてい面倒くさい ②
めんどくさいー
という言葉を、子どもたちからよく聞くようになっている。
学校へ行くのがめんどうくさい。
宿題をするのがめんどうくさい。
課題をするのがめんどうくさい。
字を書くのがめんどうくさい。
教科書を開くのがめんどうくさい。
鉛筆を出すのがめんどうくさい。
「めんどうくさい」と、生徒に言われると
私は
生きるってことは、面倒くさいことばかりなのよ!
と、言ってみる。
だいたい、息をするのもめんどうじゃない?
なんて、続けると
逆にあきれられる。
めんどうくさくても、人生、しなければいけないことはたくさんある。めんどうくさいは、しない理由にはならない。
そして、大事なことはたいてい面倒くさい。
いつから、こんなに「めんどうくさいこと」に子どもたちが気が付くようになったのだろうかと思う。
私が子どものときは、わざわざ面倒なことをしていた気がする。そして、めんどうだと気が付いてはいなかった気がする。
一方で、彼らの「めんどうくさい」には、気を付けなければならない。
「わからない」と言い換えられることも、何かをごまかしていることもある。そして、もしかすると、本当は助けを必要としているのかもしれない。
「めんどうくさい」と言って学校に行けない子どもたちのお話を、今日、保護者の方から聞いたすぐあとに、PCの前に座ったら見つけた記事。
本当に、そう。
なんでも、コロナのせいにしたい人が多いみたいだけれど、コロナの前からあった問題で、コロナで顕在化しただけ。
そして、今、子どもたちの言動を見聞きすると、子どもたちの言うことやすることにイチイチ首を突っ込む「めんどくさい」大人が足りないのではないかと思うことが増えている。
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