寺子屋の目指すもの
木曜日ー中学3年生の男の子が
ー先生、昨日、マジギレしとったな。本当に親と面談するの?
と、笑いながら、聞いてきた。
うちの生徒たちは、他の人が叱られるのを楽しんでいる節があるー
特に、私に誰かが叱られていると・・・。笑
私の返事は、もちろん
ーするよ。
だったのだけれど、
確かに、
私は、先週の水曜日ー生徒たちの言葉を借りれば、「マジギレ」したと思う。それは、25年目にして、初めて感じたー非常に虚しく、激しい怒りだった。
その理由は、私に対するというより、「学ぶこと」に対しての高校生の何とも言えない情けなく、失礼な態度だった。
「わからない」は、わかる努力をした人が使う言葉だ。
誰にだって、出来ないことはあるし、してみて「無駄になる」ことはあるけれど、「出来ない」「無駄」はする努力をしてから言え!
私は、日頃、それを言葉や態度に表して、生徒たちに伝え続けている。
それが伝わらない
今までの彼女と過ごした時間に、全く伝わっていなかった虚しさと
高校生にもなって
進学校に行っているくせに
勉強を自分事として捉えられない情けなさに語気を強めた。
というか、自然に語気が強くなってしまった。
けれど、彼女はまだ、へらへらしていた。
本当に腹が立ったからか、翌日、私はお腹を壊した 笑
そして、いろいろ考えて、私は、敢えて彼女のクラスを全て担当することにした。授業中には、授業の内容以外の話には乗ってやらないことにして・・・。
寺子屋の授業は、生徒たちがかなり頻繁に自分たちの日常の思いー良いことも悪いこともーを吐露、生活の報告をしながら進められる。その中にも真理や学びが散らばっている。だから、敢えて私たちも乗っていくし、それを促すことも多い。
集中するときやあまりに邪魔になるときは、黙って取り組んでもらうけれどー
だから、授業はかなりにぎやかだ。
そして、横のつながりー見えない絆のようなものーが自然に作られている。
木曜日に声をかけてきた中学3年生にとって、叱られた彼女も仲間だ。
仲間の失敗は、心配だけれど、面白いーそんな若い頃の友情がそこにはあると私は信じている。
まずは子どもたちが自然に学ぶ姿勢を整えていくのを待つのが私たちのスタイルだ。彼らの安心して過ごせる場所であってほしいと願っているからでもある。
でも、彼女には、とりあえず、「学ぶ姿勢」を取り戻すことが必要だと考えたー
私は、いつも、寺子屋に通う子どもたちにとって最初の砦であり、最後の砦でありたい。
そう、これは、最後の砦だ。
それが、彼女に伝わることを願っている。いや、伝わると信じている。