本当にそうなのかー⑩
本当にそうなのかー
この25年足らずの間、そう問い続けている。
先日、高校生が、テストで単語や成句などでたくさん点数を落としていることを指摘されて言った
ー暗記、苦手なんです。
という言葉・・・
最近、生徒からはよく聞く言葉だ。
正直なところ、私はそれを聞く度「だからなんだ?」と思う。
苦手だからしなくて良いわけじゃないし
苦手だから、できなくて良いということでもない。
もちろん、人には得手不得手があり、社会に出たら、下手だからしなくて良いことも
できないことを無理してする必要のないこともある。
でも、学校でテストに出ることを「覚えられないなら覚えなくて良い」とは誰も言ってくれない。
むしろ、暗記が苦手だとわかっているなら、自分なりに対処する方法を考えろという話で、苦手なんです!で済ませるなら、その結果もそのまま受け止めるしかないので、わざわざ言う必要はない。
ここのところ
高校生に、何度も覚えるということに対する考え方を変えてみようという話をしている。
本当は、多くの場合、「暗記」はする必要はない。
全てを覚える必要もなければ、スラスラと言える必要もないのだから。
1つの言葉、出来事、繋がりなどに、いろんなひもをつけて繋げ、そのひもを引っ張って、考えて記憶をたどるシステムを頭の中に作る努力をすることが大切で、
ときどきうっかりすることはあっても、いつも思い出せるようにすることが
学習だと私は思っている。
暗記ではなく、ダンスの振付を自分のものにしていつの間にか体で覚えるように、いろんな知識を自分のものにして自然に身に着けていくことを、
「覚える」と言い、そのシステムを作る勉強の過程を人によっては、「暗記」というのだと思う。
実際には、学校の試験や入試問題には、そのもの自体を覚えていなくても解ける問題もある。
私が受験した大学の1つの問題に
イグナティウス・ロヨラの生年を問うものがあった。
一瞬、教科書では、名前の下に小さく書かれているものを、そんなの覚えているわけがないだろう・・・と思ったけれど
よく考えれば、4択の問題。
イグナティウス・ロヨラと言えば
→ 反宗教改革の旗手、イエズス会の創設者の1人。
→ 反宗教改革は、宗教改革の後に出てきた運動
→ ルターの宗教改革は1517年
ということは、そのころ、成人で20代か30代のはず
だから・・・と、選択肢を1490~1500年あたりのものに絞ると
1491年というものがあり、これが、私の受験の年の500年前
と、いうことは生誕500周年で、この設問だなとその選択肢を選んだ。
正解だった。
4択だからとか、詰め込みだとか、年号なんて覚えたってとか、こんな問題解けたって・・・などなど
いろんな意見はあるのだろうけれど、「考える力」、歴史の出来事が人間の営みであることを実感として持っているかどうかを問われた問題だと、私は思っている。
暗記、苦手なんです!とか
年号はテストには出ません!とか
という、最近の中学生、高校生の主張には、大人たちのー私たち世代のー「暗記したって」、「詰め込み学習なんて」
というような発想が見え隠れする。
でも、どんな題材を使っても、きちんと学ぶ人は学び、考える人は考える。逆に言えば、きちんと学ばない人は学ばないし、考えない人は考えないのだ。
私は、寺子屋の生徒たちには、「考える」「学べる」人に育ってほしいと願っている。
だから、自分の今持っている考えを、ときどき疑って、別の見方がないか考えてほしいと思っている。
その上で、最初の意見に戻るもよしーーー
そう言って、語り掛ける大人でありたい。