本当にそうなのかー⑪
本当にそうなのかー
この25年足らずの間、そう問い続けている。
寺子屋では、まんが部屋なるものを作っている。
父が「まんがも書物」というスタンスで、子どもたちがきちんと頼めば、毎週のように届けられる彼の勉強、仕事や趣味の書物ともに、まんがも配達してもらうように手配してくれた。
父の塾でも、コロナ禍では閉鎖せざるを得ないであろう換気の悪い小さな部屋に、週刊少年ジャンプなどの週刊誌も含めまんががところせましと並んでいた。
なので、我が家の書庫にも、寺子屋の部屋にもまんががたくさん並んでいる。寺子屋には週刊誌はないけれど、、、
お迎え待ちの時間、休憩時間、早く来てしまって持て余す時間などに、子どもたちが、きちんと授業を受ける、宿題をしてきている、授業態度や姿勢が整っていることなどを条件に、まんが部屋の使用を許可している。
子どもたちがそんな風に過ごす時間を、私たちは無駄な時間だとは思ってはいない。それがダラダラ1時間も2時間も続くなら、無駄にしている可能性もあるけれど、長くても30分くらい、息抜き、気晴らしなど、むしろ必要な時間だと考える。
1,2時間であったとしても集中して、人に面白さを語れるほど理解して読んでいるのであれば、問題がないかもしれないとさえ、思っている。
今、分刻みのスケジュールで習い事などに通う小学生たちがいるー
そして、そのためにあちらに、こちらにと車で送迎する親御さんたちー
あっち、こっちと送迎してもらっている本人たちにスケジュールを確認しても、把握できていないことが多い。
数分の遅刻など当たり前だというかのように、何も言わずに教室に入ってきては、ダラダラと準備を始める子も少なくはない。
時間きっちりに来て、時間通りに終わったらお迎えの車に乗り込み、次のスケジュールをこなすー
自分たちは時間を無駄にしていないつもりかもしれないけれど
遅刻したときのその数分のロスほど無駄な時間はないと思う。
そして、授業開始時間は、そこから授業をしたい時間で、そこから準備をするのであればそれもロスである。
そのロスタイムは
実質的に何もできず、無駄な時間ということだけではなく、
自分たちの信頼を貶め、同時に、ほかの人の時間を無駄にしている。
そして
次のスケジュールの時間を気にして解く問題や聞く解説が、自分の中にしみこんでほかの思考へとつながっていく可能性は低いー
また、ロスタイムではなく、生産性がないように見える、無駄に見える時間の方が、何かに気づき、次につながるアイディアを思いつく可能性が高い時間だと言われている。
最近の子どもたちは、ボーっを考える時間が少ないと言われる。
それが、机上の勉強が経験を伴う思考へと移行していかない理由だと私も思っている。
ボーっをする時間は多いと思うけれど・・・
ポイントは、考える時間、ボーっ「考える」時間なのだ。
無駄に見える時間は、本当に「無駄」だろうか。
詰め詰めのスケジュール、それは本当に「有意義」なのだろうか。
そんなこと考える日々が増えている。