ときどき考えること ㉑
昨日、寺子屋を始める前の教え子が誕生日プレゼントをもって訪ねてくれた。
誕生日プレゼントは中津川の川上屋の「柿の美きんとん」
そして、先日てらこや新聞とともにお知らせしたファンクラブの入会申込みをしにきてくれたのだった。
夏に、今、柔道整復師になるために勉強しているので、先生の体で練習させて!と連絡をもらっていたのだけれど、夏はスケジュールが合わず・・・。
今回のてらこや新聞を送っていた。
今年43歳になったという彼女、父と私の両方の教え子だったという珍しい教え子の1人。私が大学院留学中に父が頼まれて教えていた生徒を私が引き継いで、寺子屋を始める前に教えていたのだ。
彼女の三者面談にお姉さんのふりをして行ったこともある。 笑
いろいろな思い出のある生徒だけれど、もはや友だちのような関係で
嬉しそうに、「先生、お誕生日のお祝いと、ファンクラブの入会書持ってきたよ!」と玄関の扉を開けて入ってきたときの笑顔に、思わず、私も笑顔になり、話をしながらいろんな思い出が蘇った。
彼女らのときは、本当に長い時間かけて、いろいろな手伝いをした。
彼女の大学受験の準備の志望動機書の作成なんて、ファックスを使ってギリギリまで付き合ったし、彼女より少し下の生徒とは大学の講義のためのレポートやプレゼンの作成の手伝いもした。30代半ばの生徒の高専の卒業論文につける英文作成もした。
30代前半の生徒たちは、恋愛相談に付き合ったし、家出してきたときには寺子屋に泊めたり、親御さんの悩みに付き合ってのランチにも出かけたりした。
生徒のためにせっせとお弁当を作ったこともある。
でも、当時、人には「よくやるね」と言われても
それをした上で、しっかりと仕事を回していけたし、楽しんで、ときには自ら進んで手を貸した。彼らの抱える問題や、彼らとともに過ごす時間は、勉強以前の問題への対処ではなく、勉強+αのサービスとして提供できるものだったからだ。
それまでは、子どもたちとの差は単に私との「経験の違い」だったのが、今では「経験値の差」になってしまっているというか
ともに成長する機会だったのが、今は、ともに成長できないでいるのは、私たちじゃなくて子どもたちではないかと思うことが多い。
進んで楽しんで知ろう、わかろうとしたいというよりは、知らないと先に進めないから躍起になっているだけで、気がつけば、子どもたちの冷たい眼差しを感じるほど、1人で戦っている気がするときもある。
でも
今も昔もこんな風に笑って近況や笑い話ができる日が来ると信じて仕事に臨むのが私流だと言い聞かす日々だ。
卒業後の教え子のとの再会はやはり私の希望だと改めて思うひとときだった。
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