違和感について考える
専業主婦の母の仕事について、父は子どもたちに
ー僕には日曜日というお休みがあるけれど、お母さんの仕事は24時間、7日間、お休みがない。だから、それぞれができることをしよう。
と、言っていた。
その上で、日曜日の夕食は家族で食べられるけれど、準備の楽なもの、幼い子たちにも手伝えるものをリクエストしたり、外食に連れだしてくれる父だった。
一方で、昭和一桁生まれの父は、お風呂に服を脱ぎながら入っていき、出てきたときには着替えとバスタオルが脱衣所に用意されているのが当たり前、母がいなければ、パンツのありかさえわからない人だった。
でも、その父も、私が望めば幼稚園への送迎をしてくれ、母が体調不良などであれば朝ごはんを作り、子どもたちを学校に送り出していた。また、我が家でコーヒーを入れるのはいつも父で、退職後から動けなくなるまでの20年と少し、母のために毎日朝ごはんを作っていた。
そんなことを先日、スタッフの家庭の話を聞いて思い出した。
そして、今朝、友人のFBにあったお子さんへの最後の「お弁当作り」の続話を読んでふっと思った。
ーお弁当は、お母さんが作るもの
ーお父さんが作っても良いじゃん
というような発想が、我が家にはなかったな、と。
私が生まれたときから、できる人ができることをするのが我が家のルールだった気がする。
母は、お弁当のおかずは作ってくれたけれど、お弁当箱に詰めてくれることはなかった。
ダンっと机の上に山盛りに置いてあるおかずと、炊飯器の中で保温されているご飯を子どもたちが各自でお弁当箱に詰めるー
それが、中学生以上の子どもたちの日課だった。
そして、私は高校生になると、自分のお弁当は自分で作った。早起きの私には、朝から父とニュースについて語り、また、洗濯機を回して、余裕があれば干していく時間があった。
じゃぁ、自分で作ろう。
5人兄妹の末っ子の私が高校生になったら、お弁当が必要な人も少なくなり、アメリカから帰国したときには、私1人になっていたから、当然のようにお弁当を作っていた。
父は、リベラルで心の広い、昭和の頑固おやじだった。そんな、ちょっと不安定な人に育てられたから、私は、今、男女共同参画の話や家庭内の家事分担の話を聞いていて、違和感ばかり持つのかもしれない。
家庭も職場も思いやりを基軸にすれば、男も女も、父も母も、子どもも大人も関係なくて、もう少しシンプルなのではないかと思う。