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Aftergrowの真っ只中に居る私達

こんばんは☻
ピラティスインストラクターの寺田マリです☻☻

今日はお休み二日目ということで、ヨコハマトリエンナーレ2020へ。

正直なところ、現代アートってよくわからないものが多いです。私も見ているけど、よくわからないし難しいなぁって想いつつ、何か得られるものはないかと。

とくにこのトリエンナーレは3年に一度のイベントということで、このコロナ渦での開催というところもなんとなく心に引っかかり、どうしても見に行きたいなと想いました。

Aftergrowというタイトルは残光という意味。

私達は目に見えない、得体のしれないウイルスによって、今までの当たり前が当たり前では無くなってしまった世界をこれからも生きていかなければいけなくて。

そんな残光の世界の中で、どんな希望持ち、どんな問題をクリアしていきながら生きていくのか?

そんな問いかけを繰り返されるような、少し痛みを感じるような作品が多かった気がしました。

歴史的な問題であったり、人間が生きることで破壊されていく環境のことだったり、個人の持つ欲望だったり…普段生活しているだけならまず気に留めないような物事をアートという立場でえぐり出されるような、そんな感覚。

私はずっとクラシックバレエの世界に居て、おとぎ話の主人公を演じたり、お姫様だったり、夢見心地な世界を見る人に届けることをしてきた。

そこには問題提起もなく、絢爛豪華な舞台や衣装、華やかな踊りの世界をお客様に見て頂いて感動してもらうことで完結する。ある意味、娯楽的要素、エンターテイメントなんだと思う。

でも、現代アートってエンターテイメント性が強いものもあるけれど、メッセージ性が高いと言うか、アーティストが考えて苦しんで、限界まで追い込まれた先にある何か、というのが私の個人的な見解。

同じ芸術という分野にありながら、こんなに違うものかと、ギャップを楽しんだりしつつも、彼らのメッセージに必死に耳を傾けることで、彼らの生み出すまでに至った痛みを共有するような、そんな気持ちで見させていただいた。

好きとか、嫌いとか、面白いかどうかとか…そういう次元で受け取るのは不可能。

これからの時代を生き抜くこと…そんな大きなテーマを重たく受け止める、心の準備をする機会となるような今回のトリエンナーレ。

ただ、やっぱり私は温かいものであったり、光や愛という、ところを大切にしたいなって思う。

これからの時代が、そんな生ぬるいもんじゃないってこともわかってるけど、愛と平和を泥臭く叫び続ける人がいたっていいじゃないかって思う。

痛みはいつか癒えていくし、冷え切った心はいつか温められて溶けていくと信じたい。

残光の真っ只中を生きるなら、いつか新たな光が見られると信じて、私は私が伝えたいメッセージを私なりのやり方で発信し続ける。



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