秀山祭九月大歌舞伎『妹背山婦女庭訓』『勧進帳』*歌舞伎座の秋単衣は九寸帯がマストアイテム
一幕目『妹背山』の『花渡し』の場、上手の襖から現れた玉三郎丈(定高)動く人形のように隙がなく、松緑丈(大判事)はいつものお茶目さを封印。そして、定高と大判事、二組の親子の不遇を息を詰めて見届けた客席は二幕目の『勧進帳』で大はしゃぎ。亡くなった吉右衛門丈が「孫の丑之助を義経に、また、弁慶をやる」という「八十路の夢」を息子・染五郎丈と共に果たす幸四郎丈の弁慶を応援したいのだ。拍手に応えて幸四郎丈が熱演。客席も盛り上がる。
一幕目の『妹背山』には仮花道が設けられ、舞台上のグルグル回る吉野川の流れが客席に続いている設定で、対岸の花道と会話する。竹本の床も上手と下手に出てきて若手太夫の掛け合いが聴ける。そして、初めては一度しか経験できない。舞踊以外で、女型初挑戦の左近くんの貴重な瞬間が見られる。
昨年11月の『春調娘七草』では、七草を載せたザルを手に、染五郎くんの横で「ウフッ」と首を傾げる左近くんが可愛らしかったのだけれど、今後も染五郎くんの相手役は、ひとつ年下の左近くんになるのだろうか?
時間を置いて思い返すと、この『吉野川』の段は一種異様なふたりの婚姻が見せ場という気がしてきた。
来年、文楽の上演があるそうで、改めて考えてみたい。
三階席を選んだことを後悔したけれど、スッポンまでは見えたし、二幕目の『勧進帳』も舞台を見下ろす形の三階席は奥行きを感じやすいため、大きく使う工夫が伝わってきて、面白かった。飛び六方だってしっかり、見た。そして、いつの日か染五郎くんの六法を見るのだと己の亀の齢(よわい)を願う客席。参考までに、私の席は3階4列35番でした!
夜の部なので単衣のお着物が多く、皆さん、薄くて軽そうな九寸帯で着姿のシルエットは細身。
二幕目の『勧進帳』では、菊之助丈の富樫が刀に手をかけて立ち去ろうとする義経の背中に迫る場面で、一瞬の動きに衣装の袴と袖が広がって、さすがの菊之助と思った。四天王の衣裳の色もくすませてあって、弁慶に至っては紫がかった黒。四天王の歌昇さんは今日も元気だった。
三味線を習っている私は『勧進帳』立て三味線、杵屋勝七郎さんの幸四郎丈に劣らぬ熱量に胸を撃たれた。身体の前にある三味線を飛び越えてしまいそうな集中力で息を合わせると、バチとバチの間(休符)に幸四郎丈の舞台を踏む音がピタリとハマる。
床に寝かせてあった三味線(『勧進帳』の三味線方は最後まで、弾いたり、休んだりを繰り返す)を立て三味線を起点に次々、膝の上へ構える長唄連中の仕草はまるで、大きな波が崩れて白波が立つように美しい。
古典芸能は調和を磨く場だと私は信じている。目立ちたい人の方が満足度が高いのか、お稽古は長続きする。けれど、古典芸能は自分だけ目立とうとすると浮いてしまうのだ。和歌や着物と同じで、場の意図を汲み取り、気の効いた言動ができるかが古典芸能の頑張りどころ。まあ、素人は自分が頑張りたい時にだけ、頑張ればいいんだけどね。
話が脱線したついでに……。
弁慶が金剛杖で義経をぶったたいてみせた後の「♪判官御手を取り賜い」で、なんてことをしてしまったんだとうなだれる弁慶の黒い後頭部に泣けます。でも、私が好きなのはその後の「♪ある時は舟に浮かび、風波に身を任せ、またある時は山脊の、馬蹄も見えぬ雪の中に、海少しあり夕浪の、立ち来る音や須磨明石」です。逃走の旅の苦労を綴っています。
※長唄『勧進帳』天保十一年(1840年)三代目 並木五瓶作詞・四代目 杵屋六三郎作曲