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アラスカ・旅先から自分あてに送る手紙


#私のこだわり旅

 私の旅でのこだわりの1つに、旅先から自分あてにも手紙を出す、というのがある。これは、海外で働いている頃、同僚がやっているのを聞てから始めた。

 大学卒業後に海外にある日本人の高校で教員をやっていた私は、もともとひとり旅が好きだったこともあり、特に20代はいろいろと旅をした。アラスカへも1人で行った。なぜアラスカにとなるが、これまた、こだわり旅で、自分の好きな作家や憧れの偉人なんかのゆかりの地、お寺、美術館などに行くことが多い。

 先日、行きつけのカフェのバリスタとの会話でアラスカにひとり旅した時のことが話題になり、懐かしくなった。書斎に行くと、当時のアルバムがあり、そこには自分あてのポストカードも一緒に入っていた。当時に戻ったような気持ちになった。

21年前、自分あてに書いた手紙

星野道夫に惹かれて①


 学生時代に星野道夫の写真とエッセイに出合い、いつかアラスカに行きたいと思っていた。星野道夫がアラスカに惹かれたのも写真集がきっかけだった。たまたま目にしたもの、耳にしたもの、手にしたものに、なんだか強く惹かれることが時にある。そして、私はその確率が非常に高い人間かもしれない。結果、芋づる式に興味関心が広がっていく。星野道夫にもどっぷりハマった。

 彼のエッセイや写真集、絵本、映画…さまざまなものに触れるうちに、どうしても行ってみたくなった。しかし、2003年当時は難病と判って1年という時期で、この旅のあとの9月以降に体調を崩し、日本に帰国となった痛い過去がある。膠原病のSLEと日本で診断され、入院治療を勧められたのに反対を押し切って渡米。服用し始めたステロイドが劇的に効き、よくなった気でいた。きちんと病気の自分に向き合わずに好き勝手に生きていた結果、大迷惑をかけたし、自分もしんどくなってしまった。それでも、アラスカに行けてよかった、と今は思う。

 自分あての手紙からは興奮冷めやらない28歳の私が浮かび上がる。英語でコミュニケーションをちゃんととって旅をしていたことも分かる。すごいな、21年前の私。かなり無謀な旅をした点は、厳しく注意をしたいが…。

 B&B(ベッド・アンド・ブレックファーストの略でベットと朝食を提供する宿泊施設)に泊ったことも覚えている。現地の人と温かい交流があったことも。

2003年8月15日に手紙を書いたポストカード

 アンカレッジからはAlaska Railroadでデナリに向かった。

アンカレッジからデナリに向かう際に利用した、Alaska Railroadのポストカード
列車の旅で感じたことを綴っている
列車の中から撮った風景

旅する鉄道の中での思い

 綴られた手紙を読むと、自然の雄大さや美しさに驚く一方で、その自然に人間が介入していくことを知る。「自分が不自由なく自然を満喫できる前提には、ほかならぬ自然の犠牲があることをあらためて思う」と記している。

 車中では待合室で会った姉妹の老婦人と一緒に食事もした。アリゾナで暮らす妹さんもジューノで暮らすお姉さんもいろいろなところを旅したと話していた。仲のいい姉妹だったと記憶している。

 8時間くらいの鉄道の旅の中で自己と自然と向き合っていたことを知る。
                             (つづく)


旅の手紙と写真

 旅の思い出が鮮明な理由の1つに、やはり書いていたことがあると思う。旅先からの手紙はもちろん、旅日記もつけていたので、やはい書いてアウトプットすると記憶に残るのかもしれない。また、画という点では、写真やポストカード、スケッチにより、よみがえることも多い。「そうそう、こんなところだった~」となる。また、「Please take a picture?」をひとり旅ゆえに笑顔で危なくなさそうな方に声をかけ、そこから会話が広がったということも多々。

 ひとりで旅をする醍醐味はこんなところにもあるのかな。

50歳の旅

 ひとり旅遍歴の長かった私も50歳になる前から、楽ちんまったり旅にスイッチしている。一人もよし、誰かともよし。自分の体調や生活スタイルに合わせて旅することも大事だと思う。

 20代はかなり旅をしたが、そのどれもが財産になっている。そうそう読書も旅に似ている。旅の方法はいろいろあるのかもしれない。

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