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認知症について知る「からだを張らない今」

一昨日母の入居しているグループホームの運営推進会議があった。私は利用者家族の代表として出席。地元の民生委員さん2名、地域の女性部の方3名、市内の地域包括支援センターの方5名、市の高齢者福祉課の方1名に利用者家族代表1名(私)、グループホームの職員2名の14名が参加。グループホームの状況報告やコロナウイルス感染症などについての話や意見交換に施設見学等が行われた。


認知症について知ること


 市内にはグループホームが3つある。グループホームは認知症と診断された人が利用できる施設。母の入居しているグループホームは2ユニットになっており、18名の方(77歳~103歳)が利用しており、要介護3以上の人が半数以上いるとのこと。母は、一番若く、介護度も軽い。しかし、自宅での介護が困難な状況にある。

 意見交換の中で感じたのは「認知症」について「どういった症状があるか」とか、「どういったかかわりが必要か」ということを知ろうとすることより、「どうしたら認知症にならなくて済むか」という思いが強い地域の方が多かった、ということ。超高齢社会のなかで、自分も含め、認知症になる可能性はありうる。だからこそ、まずは認知症について知ることで、分かることも増え、それによって自身の意識や言動が変わるのではかいか、と思う。そのことを認知症の母や祖母がいる家族として参加したみなさんに話をした。

 知らないことは「怖さ」や「差別」といったことを時に生む。認知症になったとしても安心して暮らせる社会になるために、自分がどう生きるか、というのが大切なのでは、と私は考える。

 母と祖母を在宅介護していた頃、とにかく私はからだを張っていた。母と祖母だけでなく、同居している姪のことも同じ。母と祖母が近すぎることで、見えなくなってしまっていたことも多く、ちゃんと理解しようとしていなかったのかもしれない。母にとって環境が変わるストレスは大きかったのだと思うし、デイサービスやショートステイに行くという行為は状況把握ができない故、不安でいっぱいだったのだろう。

 2021年3月に仕事を辞め、母と祖母の介護を中心に生活を送っていた頃に書いたエッセイを今日はお届けしたい。


2021年6月15日 
エッセイ「からだを張る」                            

 昨日、帰宅した姪がちょっと離れた公園に遊びに行った。小学校の個人面談中で帰宅が早く、昨日は妹夫妻が仕事で家にいなかったこともあり、小学5年生の姪は小学3年生の姪を連れて友だちと一緒に遊びに行くことを決めたようだった。日頃から、どこかに遊びに行く際は妹を連れていくように言われている上の姪。朝も彼女は自分と妹の朝食を作っている。台所に立つ姿は大人と遜色ない。

 私は昨日、自分で育てた玉ねぎとピーマンを使って、ナポリタンを作り、デイサービスから帰宅した母と食べた。日曜日に外食で口にしたパスタよりも格段に美味しかった。とれたての野菜で作った料理を味わえることは、ほんとうの意味で贅沢なのかもしれない。一昨日から母は翌日に控えているショートステイのことで頭がいっぱいだった。誰でも初めての挑戦は不安があるのかもしれないが、母は特にその傾向が強く、アルツハイマー型認知症も相まって、様々な症状がいつもより顕著になっていた。一方、私は新しいことに挑戦することや環境に身を置くことにワクワクすることの方が勝るタイプのため、母の不安を想像はできるが、共感できずにいる部分がある。母は食事中も、食後にショートステイに行くと思い込んでおり、その確認を繰り返した。

 一昨日はショートステイ用の荷物の中に共有のお財布を入れ込んでしまい、一時間以上も探し回り、いつもの如く私が見つけた。母の動線を大体把握できてはいたが、今回は荷物のポーチのなかにしまいこんでいたため、なかなか発見ができなかった。渦中の母は、自分が何をやらかしたのかを忘れてはしまうのだが、失敗をしたことは自覚しているらしく、ショートステイに行きたくないと洩らした。

 昨日は、もう準備ができたはずの荷物を確認すると、荷物の量が増えており、一泊にもかかわらず、一週間分の荷物が詰め込められ、パンパンになっていた。出したり、入れたりするのは祖母も同じだが、祖母はショートステイに慣れてきたこともあり、その頻度は母よりも少ないように感じる。とにかく、確認しないと不安、というのが真実なのだろう。今朝も出発まで、母の不安に付き合った。

 話は昨日の夕方に戻る。末の妹から送られて来た新鮮なトウモロコシを蒸していると、ゴロゴロと雷の音がきこえてきた。天気予報で夕立が来る可能性があることを思い出した。そこで、姪2人のことが脳裏をよぎった。自転車で行った2人に何かあったら、と、思うより体が動き、車で公園に向かった。姪たちは友達と楽しそうに遊んでいた。私の他にも子どもの保護者が2人いて、帰宅を促してくれていたようだったが、聞かなかった姪。私は声を振り絞り、天気が荒れないうちに家に戻るようきつく言った。しぶしぶ帰路についた姪たちは友だちとの別れが名残惜しいようだった。その他にも帰らない子どもたち。自転車が3台。姪の友人は幼稚園からの顔見知りも多く、小学校でのボランティア活動もしてきたことから、滑り台で遊んでいる女の子3人にも早く帰るように必死で伝えた。残りの子どもたちはその場にいた保護者が連れて帰ってくれるとのことで安心した。

 母のことにしても子どものことにしてもからだを張って必死になってしまう。なんでここまでしてしまうのだろうか。我にかえると半端なくエネルギーを消耗していた。こんなに弱い私が必死で守りたいものがここにあるのかもしれない。

 夕方、仕事帰りに実家に寄った身重の妹に一日の話をすると、「のりちゃんって、お母さんのなくしたもの必ず見つけるよね」と。祖母は置き忘れると、「誰かに盗られた、買ってきて」と言うのに対し、母はずっと探し続ける。だから私は祖母のために買いに行き、母のために見つける。ただそれだけ。そういう日常。彼には私の生き方が自己犠牲のように見えるときがあるのかもしれない。でも、私はただからだを張って大切なものを守りたいだけなのだと思う。私を守ってくれる彼からみれば、私の行動は危なっかしくなるのも腑に落ちる。彼には心配をかけたくないし、無理はしないようにしたいのだが、守るものがある限り、私はからだを張る生き方をしてしまうような気がする。


2024年11月2日「人により対応は異なる」


 認知症だけではなく、私の抱える難病のSLEもそうだが、人により症状は異なる。よって、対応や治療も違ってくる。現在グループホームに入居している母は、日中は他の利用者さんと一緒に過ごしていることもあり、元気にしているが、夜になると、タンスから服を出して布団の下にしまい込むことがある。1つは帰宅願望があるのではないか、と思う。また、1人になるとあれこれ心配になり何かやってないと仕方なくなるのかもしれない。会議でも、一定の行動を繰り返すことで、安心するのかも、という意見を話された専門職の方がいた。

 施設の職員の方は、一人一人の利用者さんに合わせた対応を心掛けている、という話をされていた。会議に参加し、日頃どういった状況で職員の方が母を含めた利用者さんをサポートしてくださっているのかもよく分かったし、さまざまな専門職の方の話も聞けて勉強になった。

 一方、ケアハウスに入居している祖母は、部屋に入ってものを盗む人がいる、と言い出したことが数カ月前にあった。本人はその対策として、あらゆるものを隠すという行動をとっていた。盗られてなくなったというものはとりあえず買い、部屋にカギをかけるように話をした。正直、被害妄想から症状が進行するのでは、といった心配があったが、カギをかける習慣がついたことで、本人も安心したのか、生活は落ち着いた。祖母は、かなり耳が遠く、口頭でのコミュニケーションも難しいことがあり、筆談もする。また、直ぐに忘れてしまうため、部屋に視覚に訴えるような工夫もしている。ただ、自宅でもそうだったが、習慣化すれば、マイペースに生活が送れる。祖母がなぜ入居に至ったかはまた別のときに記したい。

からだを張らない今

 昨日は、自身の外来があった。難病のSLEと診断され20年以上になる。このところ症状は安定していて、昨日も服用しているステロイドを減量することになった。

 母と祖母を在宅で介護していた頃、自己犠牲といった意識で介護をしているより「家で一緒に暮らすことや、私が介護することが一番」という思いしかなかった。それが結果、からだを張ることにもなっていたし、神経を尖らすことにもなっていた。

 その思い込みから抜け出すまでに大分時間がかかってしまったが、からだを張らなくても生きられる道があったということを知る。その結果、自身の病状も落ち着いたし、やりたいこともできるようになった。母も祖母も家にいた頃より安定している。それが、今。

 自分を楽にすることで、まわりも楽になることがあることに気づかされている。


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