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自己受容することで、生きやすくなる

2025年がスタートし、正月三が日は家族との時間を過ごし、4日からガッツリ仕事にとりかかっている。


病気と仕事そして入院


昨年の9月で50歳になった。27歳の夏に難病のSLEと判ったものの周囲の反対を押し切り、海外で働くことを選んだ。しかし、29歳の秋に病状を悪化させ帰国。その後、入退院を繰り返す中でも、なんらかの仕事には就いていた。その過程には、無理をして病状を悪化させ、入院というサイクルがあったように思う。

転機~祖父の死と新居での生活~


大きな転機が訪れたのは2008年6月、33歳の時に最愛の祖父が他界したことだった。2008年4月に三姉妹の新居の地鎮祭があり、祖父が中心となって行った。しかし、上棟式の前に息を引き取り、完成を見届けることはできなかった。2009年元旦から新居での生活が始まり、2025年現在、16年目の正月をこの家で迎えている。

祖父の他界後、パートを辞め、しばらく仕事をせずに生活を送ることを選んだ。家族と共に暮らしており、経済的に私が働いてお金を稼がなくとも生活できる環境にあった。後ろめたさはあったが、体調優先の生活を送るなかで、自分自身と向き合うことに専心しようとしていた。

当時の心の葛藤を描いたエッセイ「自己受容」が、今何らかのモヤモヤを抱えている人の心に届いたらうれしい。


2009年2月 エッセイ「自己受容」

平常心を保つこと。これはかなり難解なことだ。外界から私たちは、多くの刺激を受けている。心穏やかな生活を送るのは結構難しい。喜怒哀楽、様々な感情が行き交う。

今、世の中は不況の渦のなかにある。そんな中、私は衣食住に困らず、充分な自由を与えられ、一日の生活に苦悶することなく、気ままに暮らしている。社会の中で十分な働きもしていないにも関わらず、難病であることを引き換えに、神様は、安穏な生活をお与えくださっている。

働いてお金を稼ぐことが、まず、自立した大人としての大条件の仕組みの中、難病ではあるものの、薬を飲んで無理をしなければ、簡単な仕事なら働ける状況の中になる私。そんな私は、今の生活をこのまま送ってよいのかという不安が、時折、脳裏を横切る。

しかし、これでいいのだ、と思うようになりつつある。与えられた時間の中で、どのように生きていくか、神様から試されているような気がする。歩むべき道は、すでに決められていて、その道程は日常生活の中に全て組み込まれている。必要なものは、すでに揃っているのだ。それをいかにして見抜き、体得し、実行していくか。要はそれだけ。

自分の心身に鞭打って、歯を食いしばって、努力して、がんばらなくてもいい。気持ちがよいこと、自分自身が心の底から欲する声に耳を傾け、それに従ってゆけば、自ずと歩むべき道は見えてくる。とにかく、今を生きることだ。

こうしてペンを走らせているのは久し振りだ。書くことは苦にならない。自らを語ることは、自らを省みること。ここにまた、気づきがある。人に喜ばれる存在になること。これは少し贅沢かもしれないが、自分の存在が認められ、容認されるようになりたいと願う。ただ、その前にまずは、自分自身を受容し、愛さなければいけないのだが。とにかく、自分らしくいきていこうと思う。

(おわり)


50歳の新年を迎えて

お正月に床の間に飾った

15年以上近く前の私の心の動きをみると、今の私につながっていることが分かる。まずは、仕事。大きな収入を得られているわけではないが、自分の心が望む形に近い仕事に携われている。次に、病気。SLEの病状はかなり安定しており、薬もかなり少なくなった。ステロイド減量により、ムーンフェイスもほぼなくなったし、睡眠時間も増えたように思う。感染症にも罹患せずに済んでいる。そして、書くこと。ずっと書くことに助けられてきた。これが仕事にもつながっているし、自己省察をするうえでも欠かせない。

50歳の自己受容


自分の体力気力をよく見極め、過度な無理はしないこと。自分で無理なことは人に頼ること。自分を追い込まないこと。自分自身の心身が心から望んでいることに耳を傾けること。まだ、自己受容に時間がかかることを許せる自分でいること。

自己受容をすることで、生きやすくなる


今なんらかの葛藤を抱えていてもそれがずっと続くわけではない。日々小さな変化は起こっていて、歳月を経てみると大きな変化につながっていたりもする。

あるいは、葛藤やモヤモヤはいつだって心に存在するもので、そういったものを含めて自己受容することが大事だったりする。そうすることで生きやすくなるかもしれない。

このnoteを読んでくださった方が自分なりの自己受容をするなかで、少しでも生きやすくなることを祈っています。

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