テニス上達メモ098.「上手さ」と「強さ」は似て非なるもの
▶練習と試合は「別物」だから
テニスが上手くなったからといって、試合に勝てるわけではありません。
「練習で上手くなったら試合に勝てる」と思い込んでしまいがちですけれども、そうではないのです。
それはこちらでも述べているとおり、「練習と試合は別物」だからです。
「練習は上手さ、試合は強さ」の違いです。
儒教の孟子が残した「似て非なり」とは、「ちょっと見た限りは似ているが、本質は根本的に違っていること」なのだそうです。
▶ズベレフの強さ
勝つためのスキルとは、人目から自由でいる、他人の言動に腹を立てない、言い訳しない、干渉しない、評価しない、諦める、リスペクトなどといった、テニスとは一見関係ないような要素から成り立っています。
これらは、「上手さ」ではなく「強さ」です。
アレクサンダー・ズベレフは言い訳せずに負けたけど、あれこそ「本当の強さ」ではないでしょうか?
ボールを上手に打てるからといってできることではありません。
フォアハンドストロークを打つテクニックとは別物だから、時として「練習はよいのに、試合になるとてんでダメ」なプレーヤーがいたり、「練習はイマイチなのに、試合になるとめっぽう強い」プレーヤーがいたりします。
▶山では今日も「出会いと別れ」を繰り返す
テニスができる人の人間性が、必ずしも優れているわけではありませんけれども、テニスは人間性が、諸に出ますからね。
かれこれ10年ほど前になるでしょうか?
登山家の辻アラタさんと、神奈川県の箱根から静岡県の三島まで一緒に歩きました。
そのとき交わした会話の中で、山は大変だから、助け合ったり、自分だけ楽をしようとしたりする人間性が出やすいため、カップルになったり、カップルが別れたりしやすいと聞いたことがあります。
「山ガール」には、困難に向き合う強さがあるのでしょう。
「山男」はどうでしょうか?
「娘さん よく聞けよ 山男にゃ惚ぉれぇるなよー」と歌われます……。
惚れてはいけない理由は、山男は遭難する危険と隣り合わせのため、山で吹かれては「若子家さん(早くに夫を亡くす妻)」になるからなのだそうです。
▶「へんなフォーム」で強い人の「自己肯定感」
上手く打つスキルと、勝つスキルは別物。
上手なテクニシャンだからといって、強いわけではありません。
へんなフォームだからといって、弱いわけではありません。
むしろ見た目のフォームにとらわれないプレーヤーが、めっぽう強かったりします。
むしろそういうプレーヤーこそ無手勝流で、唯我独尊だったりもします。
へんなのではなくて、個性。
自分は「これでいい」と認める自己肯定なのです。
※もともとの「唯我独尊」に「うぬぼれる」ニュアンスはなく、大谷大学の説明によると下記のとおり。
まさしく「自己肯定感」そのものです。
▶では、どうすれば「勝てる」ようになる?
では、どうすれば勝てるようになるのでしょうか?
先ほど勝つためのスキルとして、人目から自由でいる、他人の言動に腹を立てない、言い訳しない、干渉しない、評価しない、諦める、リスペクトなどと列挙しました。
これらは実は、「自己肯定感」と大いに関わっています。
「評価しない」というのは、ミスをいいとか悪いとか、決めつけないのでしたね。
自分の失点は相手の得点。
雨が降る自然現象と同じで、雨にいいも悪いもありません。
「諦める」などというと、弱い印象かもしれませんけれども、失ったポイントやゲームは、さっさと諦めれば引きずって悪影響を残しません。
『諦める力』がないと、1-6,1-5のアゲンストからまくって、第2セット6-6に追いつき、タイブレークを取って最終第3セットへ。これも10-8で取る、気の遠くなるような大逆転勝利など、できるものではないのです。
「諦める=強さ」です。
よく「諦めるな!」とは言われ、それが強さのように思われがちです。
しかし大好きな恋人に振られたら、諦めきれないのです。
諦めるほうが、よっぽど「勇気」がいるのです。
▶「リスペクトは人の為ならず」
そして「自己肯定感=他者肯定感」の相関ですから、「リスペクト」は言うまでもないでしょう。
テニス選手はよく、「ロジャーをリスペクトしている」「ラファをリスペクトしている」などと言います。
綺麗事ではありません。
そしてそれは、相手のためを思ってだけでもありません。
「情けは人の為ならず」
相手へのリスペクトが、巡り巡って(あるいはダイレクトにも)、自分の自己肯定感を高めると、肌で感じているのです。
▶「リスペクト」がもたらした偉大な記録
ややもすればライバルに対して、「ロジャーさえいなければ」「ラファさえいなければ」とすら、考えてしまいがちではないでしょうか?
ナダルがいなければフェデラーは、1度のみならず数多くの全仏オープンタイトルを獲得できたかもしれない。
しかし、ノバク・ジョコビッチを含めそれぞれがいなければ、3人だけでグランドスラムタイトルを60個超も量産できなかったに違いありません。
かつては(そして今も)、「生涯に1つ」獲ることすら至難の業です。
今も史上最強と目されるピート・サンプラスは、実にロイ・エマーソン以来となる自分が打ち立てた当時最多となるGS14勝について、「(未来のチャンピオンたちによって)最も破りがたい記録だろうね」と予見していたというのに、数年のうちに3人が大きく上回りました。
昔はテニスを見ていても、「リスペクト」などと、あまり聞かれませんでした。
フェデラーも当初は「ノバクをあまりリスペクトしていなかった」と振り返ります。
それがとんでもないモンスターに成長したのは、互いに互いの「ありのまま」を受け入れ合う化学反応があったから。
今となってはフェデラーは、何かと批判を浴びがちなジョコビッチについて「彼は少々誤解されている」と擁護する姿勢を示します。
一方のジョコビッチはフェデラーについて「尊敬の念しかない」。
3人によるGS60勝超は、「リスペクト」がもたらした偉大な記録と言えるのかもしれません。
▶常識を疑う勇気
フォームを正せばテニスが強くなるわけではありません。
今のフォームを改善すれば、試合で勝てるようになると考えるならば、それは幻想です。
今までのやり方では強くなれなかったというのに、今までのやり方のまま強くなろうと努力するならば、「20世紀最高の物理学者」と評されるアルベルト・インシュタインからは「奇人」と認定されてしまいます。
常識を疑い、固定観念に縛られることなく、まったく違ったアプローチを試してみる勇気を。
即効テニス上達のコツ TENNIS ZERO
(テニスゼロ)
https://note.com/tenniszero
無料メール相談、お問合せ、ご意見、お悩み等は
こちらまで
tenniszero.note@gmail.com