テニス上達メモ022.「比べない勇気」~本物の自信を育てるたったひとつの方法~
▶「弱さ」を知らない「強がり」
……さて数年前に書いた『テニス上達メモ』には、上記のような記載がありました。
しかしそれは「上手くいっているとき」限定であり、数年間を経て振り返ると、「あくまでも条件つきであった」と省みます。
今思えば、「弱さを知らない強がり」と言われても仕方がありません。
確かに、1カ月前の自分よりも成長していれば、自信を持てるかもしれません。
禅の教えでも、昨日より少しでも「マシ」な今日を生きる精進が推奨されます。
それは生き方として、まさにそのとおりなのだと思います。
昨日より少しでも「マシ」な今日を、1カ月間続ければ、「かなりマシ」な自分に自信が持てます。
▶本物の自信
一方、1カ月前の自分と比べて成長していなかったら、いえむしろ退化すらしていたら、その自信は、木っ端みじんに打ち砕かれる。
テニスではそんなこと、日常茶飯事です。
「前は打てていたのに、今は打てなくなった」
「昨日まで調子が良かったのに、今日は全然ダメ」
結局比べている限り、自信はどうしても揺らいでしまう。
では、揺らがない「本物の自信」を培うには、どうすればいいでしょうか?
▶「評価」は主観的で一時的でしかない
改めまして今思うのは、他人とも前の自分とも、「比べない」。
比べて自信を得たり失ったりするというのは、「良い・悪い」「優れている・劣っている」「成功・失敗」など主観的かつ一時的な評価(ジャッジメント)への依存であり、それが心の奥底で劣等感を刺激します。
「あぁ、前は上手くできたのに……」なんて。
しかし「成功か失敗か」などのジャッジメントはその時だけでは決めつけられず、発明王トーマス・エジソンよろしく、電球に使うフィラメントが燃え尽きた実験を「1万回の発見をした」とする見方に改まれば、「全部成功」。
小脳運動記憶回路の不要な配線(フィラメント)を消して、正確で無駄のないネットワークを構築する「あみだくじ理論」とまったく同じです。
▶評価から「自立」する
自転車に乗れる自信があるとします。
だけど人と比べたり、前と比べたりすると、ちょっぴり劣等感にさいなまれるかもしれません。
「あの人のフォームに比べて自分は……」とか、「前はもっと速く漕げていたのに……」とか。
逆に優越感を覚えるとしても、それは「劣等感の裏返し」でしかないのですから、どうしたって揺らぎます。
落ち着きがなくなります。
安らげなくなります。
結局「比べない」自分(評価からの自立)に、真の自信が宿る。
▶今の自分に自信がないから「昔の自慢話」が止まらない
「人よりも上手いから」
「前よりもできるから」
「彼よりも強いから」
「彼女よりも美人だから」
「あいつよりもフォロワーが多いから」
自信は、他人(前の自分も含む)との比較によって(のみ)得られると、私たちは考えがちです。
だとすると往年のレジェンドたちは、自信を失うばかりの、下り坂を転げ落ちる余生になりかねません。
「若い頃のオレは世界1位だった!」というのは、確かに誇れるかもしれないけれど、昔の自慢話をするとすれば、それこそ今の自分に自信がない証左です。
もし他人と比べるならば自信の有無に関わらず、客観的にアセスメントして、「自分が勝てるフィールド」を選ぶのです。
▶認めてもらいたくなるのは、現状が「みじめ」だから
つい、過去の栄光を持ち出したくなります。
言うだけなら「盛って」話せます。
だけどそれをするから、今の自分の自信が揺らぎます。
認めてもらいたいから自慢するのだけれど、自慢するのは、認めてもらえていないみじめな現状の裏返し。
だから過去の栄光を持ち出すのです。
それをしない(評価に依存しない)ために、ちょっとだけ勇気を出す。
「比べない勇気」。
▶「自分は自分」と気づく
ですからむしろ見てきたとおり、「逆」なのではないでしょうか。
誰とも、前とも、比べなくなったとき、「自分は自分」と気づく。
強くても、弱くても、何もできなくても、そして自信がなくても「ありのままの自分」を受け入れるのが自己肯定感です。
自己肯定できるほど、逆説的ですが揺るぎない自信はありません。
比較せず「自分は自分」と信じる。
それが、「自信」。
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(テニスゼロ)
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