テニス上達メモ104.「わび・さび」が実現する引き算のシンプルスイング
▶余計な動きが「多い」スイング
あるテニスの練習会で「いいスイングだね~」というセリフが聞こえてきました。
ん!?
良いスイングとは、何でしょうか?
もしそれがあるとするなら、そうではないほうの悪いスイングとは何でしょうか?
良いスイング、悪いスイングというのはありません。
どんなスイングも、その時々の状況により、そうなる事情があります。
強いて言うならば、余計な動きを多く含むスイングは、時間がかかるし、疲れるしで、良いスイングとは言えないかもしれません。
たとえばこちらで述べている取ってつけたようなスイング。
時間がかかると、コンマ数秒の精度で合わせる打球タイミングも狂いやすくなります。
打球タイミングのズレこそ、テニスでミスする唯一の原因ですからね。
おさらいしておくと、テニスにおけるミスは、「ヒザを曲げていなかったから」「ヒジが伸び切っているから」「前傾しすぎだから」「肩を入れていないから」などの、よく言われるフォームに原因は一切なくて、打球タイミングのズレによってのみ、引き起こされます。
▶余計な動きが「少ない」スイング
言い方を変えれば、良いスイングがあるとすれば、余計な動きを含まないと定義できそうです。
時間がかからないし、疲れもしません。
余計な動きを含まないと、無駄に時間を費やさずに済むから、打球タイミングも合いやすくなる(可能性があります)。
「良い悪い」などというと、主観的に条件づけする「決めつけ」になりかねませんけれども、ここでは話を進めるうえで、強いてそのように表現する言葉上の便宜を図ります。
▶自己肯定感を回復するには「無条件」がキーワード
ちなみに幼少期のころは世界中の誰もが高かった「自己肯定感」を回復する基本姿勢は、他者に対する「無条件」のリスペクト。
ここを踏み外すと自己肯定感を損ねて奈落の底へ一直線ですから、自戒を込めての但し書き。
「無条件」というのは、たとえば他者はテニスが下手で彼のせいでダブルスの試合に負けようとも、彼女が裏切ろうとも、彼ら彼女らが嘘つきであろうと、です。
テニスが上手いから、信頼できるから、誠実だからといった「条件」つきでリスペクトするのではありません。
単純に「許す」という道徳の話でもない。
「なぜ? こっちは被害者なのに!」という気持ちが発動すると自己肯定感を損なうから、「罪は罪でも人は憎まず」というわけです。
▶足し算ではなく引き算する
さて、スイングを今よりもより良くする手っ取り早い工夫は、足し算ではなく引き算。
つまり、余計な動作をどんどん捨てていく簡素化により、取ってつけるわざとらしさがなくなり、スイングが今より良くなりそうです。
私たちが勘違いしやすいのは、「○○をすれば(加えれば)スイングがより良くなる」と、足し算的思考をしてしまいがちなところ。
「リストワークを行なえば」「ボディターンを加えれば」「パームアウトで振り抜けば」、スイングが今よりも良くなると思ってしまうのです。
思ってしまうし、常識的なテニス指導はそのように、教えます。
▶足し算はスイングを「複雑化」する
そういう足し算は、スイングを複雑にします。
複雑になると難しくなるから、ショットが苦手になるのです。
ひとつ動作を加えると、余計に手間暇かかります。
ふたつ動作を加えると、さらに手間暇かかります。
その積み重なりにより、プレー中はただでさえ時間がないテニスなのに、どんどん時間が足りなくなります。
▶自分で自分の時間を奪っている
テニスは相手との時間の奪い合いです。
速いショットを打つ目的は、相手の時間を奪うためです。
ゆっくりなショットを打つ目的は、自分の時間を稼ぐためです。
にも関わらず、余計な動作を加えてスイングを複雑にすると、自ら貴重な時間を削るに等しい。
相手のボールはさほど速くもないのに、間に合わなくなる(打球タイミングが合わなくなる)とすれば、余計な動作により自分で自分の時間を奪っていると疑われます。
▶「引いて出す」だけ
では、良いスイングを行なうには、どうすればいいでしょうか?
極論すればスイングは、「引いて出す」だけ。
余計な動きを、捨てられるだけ捨てる引き算です。
いえ、引いて出すだけといっても、引く意識も、出す意識も不要です。
シンプルに簡素化し、何も意識しない「無心」に迫ります。
何も意識しないからこそ、そのぶん集中力をボールへ費やせるようになります。
何もしないからといって、意識して打点にところにラケットを止めておいてもタイミングよく打てないのは、こちらで述べているとおりです。
▶「きれいなフォーム」で打つには?
また引き算により簡素化されたスイングには、取ってつけたようなわざとらしさがないから、主観ではあるものの、いわゆる「きれいなフォーム」に映ります。
わび・さびの世界ではないけれど、余計が何もないから美しい。
枯山水の庭に涼風が吹き抜けるがごとく、ビュンと「風切るスイング」があるのみです。
▶上達の「上昇気流」に乗る
1コマ90分のスクールレッスンで、テニスのスイングは「引いて出すだけ」などと伝えられると、呆気にとられるかもしれません。
ですが、それでいいのです。
それがいいのです。
いえ、引く意識も出す意識も不要です。
そうすると、無意識で、つまり何も考えなくても、あたかも自動的に上手くいく「上昇気流」に乗れます。
飛行機の機体に余計なものは付いていません。
ですから抵抗なく上昇できるのです。
▶つけ加えるのには「際限がない」
繰り返しになりますが、私たちが勘違いしやすいのは、「○○をすれば(加えれば)より良くなる」と、足し算的思考をしてしまいがちなところ。
これはテニスのスイングに限らず、人間なら誰しも求める「幸せ」も、そうなのかもしれません。
「あれがあったら幸せ」「これがないから不幸」とばかりに、私たちは幸せになるために、何かを「つけ足さなければならない」と考えがちです。
幸せになるためには、モノを手に入れて、高級品を買い求め、地位と名誉を獲得し……。
ですが、それをし出すと「際限」がありません。
テニスのスイングではないけれど、つけ加えようとすると、時間もかかるし、疲れもします。
「複雑になると難しくなるから、ショットが苦手になる」と先述しました。
そっくりそのまま「複雑になると難しくなるから、人生が苦しくなる」と言い換えられはしないでしょうか?
▶幸せは「なる」ものではなく「する」もの
人生ゲームも、残された時間を死と奪い合っているようなものです。
良いスイング、悪いスイングというのはないと、冒頭で述べました。
よい人生、悪い人生というのもないのでしょう。
人それぞれ何かしらの事情を抱えながら、主観的に良いと思える判断に基づき、日々を生きています。
残された時間を有効活用して有意義に過ごすには、無駄をなくし、今ある幸せを感じる。
幸せはいつか「なる」ものではなく、今「する」もの。
そうであるならば、「実践、実践、とにかく実践」あるのみです。
幸せをしているとき、「幸せになりたい」とは思わないし、「幸せをしている」とも感じません。
それが、幸せ。
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