テニス上達メモ065.名門アカデミーが強いワケはこれです!
▶その瞬間のリアクションが、運命の分かれ道
ラリーの練習で成果を上げるには、ある程度ボールのやり取りを続けるための、相手と自分による相互の協力が前提として必要でしょう。
試合では、ラリーを終える(ポイントを締めくくる)のが、眼前の目的だとしても、そこへ至るまでにラリーを組み立てる必要も、時と場合によってありますからね。
さてそんなラリー練習におきまして、たとえば一方が球出しをして、もう一方が1球目でいきなりネットに引っ掛けたり、バックアウトのホームランをやらかしたりしているようだと、練習になりません。
このときの、瞬間的なお互いのリアクションが問われます。
1球目でミスしたプレーヤーは、「球出しが悪い」といい、球出し側のプレーヤーは、「まともに打ち返さないオマエが悪い」などと「責めモード」にスイッチが入ると、「協力」どころではなくなるでしょう。
これでは、ラリーの練習になりません。
自分が傷つかないように、エラーの原因を相手に押しつけようとしたくなるのですが、そのような態度でいると、生産性も自己肯定感も下がります。
互いにイライラするエネルギーを発散するぶん、ボールに集中するためのエネルギーが目減りして、ますますラリーを続ける練習になりません。
▶その「ごめん」は意味がない
かといって「自分が悪かった」などといって罪悪感を覚えるのも、また違うでしょう。
いつも言っているように、ミスしたからといって「ごめん」「悪い」などと謝る「へりくだり?」「謙遜?」「いい人ぶり?」は、テニスにおいて「何の意味もない」のです。
意味がないどころか自分にダメ出しする以上、「テニス自己肯定感」を損ねてしまう。
テニスプレーヤーの場合、つい、言ってしまいがちですけれども……。
また「ごめん」などと謝る心理的側面として、「相手はこんなくらいのことで腹を立てる寛容度が低い器の小さな人間だ!」というディスリスペクトの観念も、深層にはへばりついているとも指摘できそうですね。
▶「責めモード」改め「受け入れモード」へ
こんなときに役立つアプローチがあります。
「練習相手も一生懸命やっている」「何も困らせようとして、わざとミスしているわけではない」という、「責めモード」改め「受け入れモード」へのモードシフトです。
それに伴う「自分も同じテニスプレーヤー なのだからお互い様だ」という自他に対する肯定。
つい、「相手が悪い」「自分がダメだ」という「評価」を、瞬間的に下してしまいがちではないでしょうか?
あるいは「相手が間違っている!」「自分のほうが正しい!」などと、「ジャッジ」しがちではないでしょうか?
この瞬間的なリアクションのありようが「運命の分かれ道」。
後述しますが、テニスに限った話ではなく、会社でも、家族でも、恋人同士でも、フォロー・フォロワー関係でも、集団ではみんな共通して言えること。
このジャッジメントを手放すと、パラダイムシフトが起こります。
「幸福の道」を、その瞬間から歩めるのです。
逆に「評価」を下すとその瞬間から、テニスでも、会社でも、家族でも、恋人同士でも、フォロー・フォロワー関係でも、その瞬間から「破綻の道」へ向かうのです。
▶名門アカデミーに「特別な練習」などない
「責めモード」改め「受け入れモード」へ。
そのような環境に身を置くと、あっという間にテニスというのは上達してしまいます。
集中力が無駄に目減りしませんからね。
何も名門アカデミーや有名クラブでは、「特別な練習」をしているわけではありません。
そこでは「一子相伝のコツ」が教えられるわけでもない(北斗神拳ではない?)。
リスペクトし合うプレーヤー、彼ら彼女らの集う「集団(環境)」が、レベルを押し上げているのです。
▶分かり合えなくて、いい
このとき注意したいのは、「分かり合える必要はない」という点です。
お互いに分かり合えているから、リスペクトできるという条件づけを、ついしてしまいがち。
でも、分かり合えるなんて、「無理」ですよ。
相手の気分も自分の体調もなんやかんやも、とにかく諸行無常。
機嫌が悪いのは今朝、パートナーと口喧嘩をしてきたからかもしれないし、保有している株価が下落したからかもしれないし、お腹の調子が悪いのかもしれないし、犬のウンチを踏んづけたからかもしれないし……。
とにかく、ありとあらゆるいろんな事情や都合があるのだけれど、「誠実なコイツのことだから、何かあったんだろうな」という無条件の受け入れが「幸福の道」です。
逆に「分かり合えるべき!」という条件つきの無理を強いてしまうと、それは「不可能」だから、お互いにリスペクトできなくなってかえって「責め合う」関係になりかねません。
▶「何を言っても大丈夫!」という感覚
これはテニスに限った話ではなくて、どんな集団でもそうですよ。
会社であっても、家族であっても、恋人同士で会っても、フォロー・フォロワー関係であっても、「何かヘンなこと言ってるけど、まぁ、こいつのことだから何かしら事情があってのことだろう」という感覚さえその集団内にあれば、会社であっても、家族であっても、恋人同士であっても、フォロー・フォロワー関係であっても、全員が自己肯定感を高めていける居場所となります。
そういう関係だと何を言っても大丈夫と思える「心理的安全性」が保たれるから、生産性も自己肯定感も高まる。
というわけで(?)私がSNS等でバカなつぶやきをしても、「何か事情があるんだろうな」と、大目に見てやってくださいませ(笑)。
私もそうありたいと、願っています。
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