エッセイも人生も今ここから始めよう
エッセイを書こうとふと思ったけど
そういえばエッセイってなんだろう
エッセイとは
1.自由な形式で、気軽に自分の意見などを述べた散文。随筆。随想。
2.特殊の主題に関する試論。小論。
(Oxford Languages辞書より)
ざっくりしているな
なんでもいいのだろう
エッセイを書こうと思ったけど
何もテーマを考えていない
でも
ひとまず書き始めようと思う
私は……と書き出したら
ぴたっと手が止まった
そういえば私は日常では
私のことを僕と呼ぶ
僕は僕を僕と呼ぶ
40代になったころだ
僕は僕を私と呼ばなければ
大人になれないのだろうか
とふと思った
そして文章を書く時は
私で始めることも多くなった
映画やKPOPのレビューは私が多い
でも
いまだに日常で使うのは僕
しっくりくるのは僕
だから
エッセイを書くときは
僕は僕のことを僕と呼ぶほうが自然だろうか
でも文章だと私で始めたい気分もある
そんなことを今日考えていたら
以前こんな意味不明なショートショートを書いていた
このころ私は
僕と私ではなく
僕と俺で迷っていたのか
われながらくだらなすぎる……
でも
すでにタイトルに答えが出ているではないか
「あなたも私も 気分によって 僕は春樹で 俺は龍」
その日の気分によって私でも僕でも俺でもいいのだ
この記事で村上龍がそこまで好きになれないのは
「俺」を多用し過ぎるからと私は語っていた
くだらなっ!
俺の波状攻撃が強すぎる!
いくらなんでも俺を使い過ぎ!
そして思いました。
俺っていっぱい言う人 なんだか嫌い 笑
僕は決して俺にはなれないし、なりたくない
ということで
エッセイは私か僕で書こうと思います
今日の気分は僕です 笑
ここでふと思いました
何も考えずにエッセイを書き始めると
書いている本人も行く先がわかりません
でも
「映画」「KPOP」「ADHD」などテーマ記事から
一度心が離れたがっていたのです
だから 心のおもむくままに
もう少し書こうと思います
話題が少し変わります
僕は40代後半になったある日
こんなことを思いました
僕がなりたい自分になるのは
時機を逸してしまったかもしれないと
でもそれでいいのではないかと
というよりも
なりたい自分から解放されたのかもしれないと
20代や30代の時のなりたい自分は
いつも羨ましい他人の姿でした
「素敵なあの人みたいになるにはどうしたらいいのかな?」
「なんであの人はあんなに成功しているのかな?」
「なりたい自分にはほど遠くてつらい」
ずっとこんなことが浮かんでは消えて
希望とあきらめと憧れと失望とが
メリーゴーランドのように永遠に
脳内を往ったり来たりしていました
でも 今はこう思うのです
なりたい自分になんて
なれるかわからないけど
なりたい自分になった気分には
今すぐここでなれる
本当になりたい自分になれるかどうか
そんなことを気にしている時間は
僕にはもうない
それよりも
今の自分の地点から
なりたい自分になった気分で
今ここからはじめよう
夢 挑戦 やりたいことを
今ここからはじめよう
今日も 明日も 明後日も
その日の朝をまっさらに
今ここからはじめよう
とにかく
今からはじめる
ここからはじめる
いちからはじめる
何も考えずに書き始めましたが
なんとなく着地してみました 笑
こんなところに着地するなんて
僕もびっくりです 笑
今日の気づきは
何も考えが浮かばなくても
頭に浮かぶことを書き連ねると
やがてそれはエッセイのようなものになる 笑
ということで
映画でも KPOPでも 発達障害でも 小説でもない
特にテーマもないエッセイを
今 ここから はじめてみました
これからもたまに
気がおもむくままに
エッセイを書こうと思います
皆さま 今日も素敵な一日を