150年後の僕たちの行方
今から150年前、イギリスのアマチュア天文家、ノーマン・ロッキャーがある雑誌を刊行しました。内容は最新の科学技術に関わる様々な論文を掲載する学術雑誌。刊行以来、人類の科学技術の歩みを捉え続け、X線の発見、核分裂反応、ブラックホールの蒸発、ヒトゲノムの解読と、世界を揺るがすトピックスを今日まで僕たちに届けてくれています。
科学雑誌ネイチャーは、1869年の刊行以来、「人類共通の財産」として科学技術発展の記録を紡いできました。
そして、それは日本の歩みも同様です。1869年といえば、日本で明治維新が起こったわずか1年後。ネイチャーの歩みは、開国とともに急速に近代化していく日本と重なるものを感じます。事実、創刊間もない頃から、ネイチャーは日本という国に注目し、幾度となく特集を組んでいたのです。
創刊からちょうど150年、現代の日本のルーツである明治維新を起点とした年月、これだけで何だか運命的なものを感じてしまいます。『150年前の科学誌「NATURE」には何が書かれていたのか』では、刊行当時のアーカイブを通じ、当時の日本、そして世界にはどんな光景が広がっていたのかを現代に蘇らせています。
ネイチャーはSNSだった
歴史を紐解く前に、ネイチャーが150年前の世界でどんな位置づけだったのかを概観しましょう。まず「ネイチャー」という名前の由来です。当時の記録は大部分が失われており、その詳細は定かではありません。ただ、「ネイチャー」という言葉は次のようなニュアンスで用いられていた言葉だったといいます。
真実の科学知識に至るガイド役
19世紀初頭より、西洋の芸術・文学・思想は産業革命に端を発する合理主義への反発から、感受性や主観を重んじる価値観、いわゆるロマン主義が台頭していました。生産性や質の向上に囚われない、「真・善・美」への傾倒と言える価値観です。科学技術は合理主義の産物のように思われますが、上記の「ネイチャー」のニュアンスからはロマン主義的な文脈を感じます。
また、雑誌のデザインに目をやると、地球の上側と星空、雲のイメージが神秘的に描かれています。これも、どちらかというと合理主義と言うよりも、ある種の「真・善・美」の表現とも捉えられます。ネイチャーは、言わばロマン主義的科学論のようなポジションを取っていたのではないでしょうか。
ネイチャーの雑誌としての特徴が、『Letters to the Editor』という読者投稿欄です。掲載された論文に対し、専門家のみならず一般市民が反論や質問ができる仕組みになっていました。
ネイチャーは正しい知識を伝えるだけの場所ではなく、正しい知識に到達するための議論の場、として活用されたのです。
ネイチャーの繁栄を決定づけたのが読者投稿欄だったといいます。本書では、ネイチャーが現代で言うソーシャルネットワークサービス(SNS)と同様の役割を果たしていたと指摘します。SNS の巻き起こす力は、時に戦争を止めるほどの影響力を有します。当時、メディアの未発達な時代において、科学技術が一部のエスタブリッシュメントに占有されていた状況の中で、ネイチャーは知の民主化を図り、市民に大きな力を付与する装置だったのでしょう。
神と科学
SNS といえば、避けては通れないのが「炎上」です。当時のネイチャーも、たびたび炎上を巻き起こしていたといいます。中でも、もっとも火消しが困難で激しい論争の最中にあったのがダーウィニズムです。
ダーウィニズムとは、イギリスの生物学者・ダーウィンが「種の起源」で提唱した「生物の進化とは、単に環境に適応できた者が残っているだけ」という進化論です。
なぜ、ダーウィニズムが炎上したのか。それは当時の思想、宗教観が「神が全ての生物を計画して創造した」というものだったからです。ダーウィニズムは有り体に言ってしまえば「創造主が導くことなく、種は進化している」ことを許容する言説です。これが当時の権威であった教会やキリスト教徒の逆鱗に触れたのです。
こうした問題はダーウィニズムに限ったことではありません。たとえばガリレオは地動説を唱え、異端審尋に問われます。「それでも地球は回っている」と言ったかどうかは定かではありませんが、これもやはり「神の周りを天体が回る」価値観に反した「炎上」だったと言えます。
しかし、ここで重要なのはダーウィンもガリレオも、実は神を強く信じていたことです。一見すると、理詰めの「科学」と想像上の「神」は相容れない概念に思われがちですが、全く逆です。もし天動説を信じるとすれば、月の軌道は非常に複雑な動きになり、その計算は難解極まりないものになります。ガリレオは「神がそんな醜い仕組みを作ったわけがない」と信じていたのです。地動説の下では、月の動きは極めてシンプルに表現できます。
神が作った世界は美しいに決まっている。教会がどう強弁しようとも、シンプルな計算式で表現できるものこそ真実なのだ。こうした神への信奉で真実に辿り着いた科学者は枚挙に暇がありません。アインシュタインはエネルギーを質量と光速の二乗の積のみで表現するシンプルな理論、相対性理論を発見しました。彼も同様に、神が創造した世界はシンプルで美しいはずと信じていたからこそ、真実に辿り着いたのです。
こうして見ると、神と科学とは切っても切れない関係です。時に「炎上」を伴いながら、複雑に塗れた世界をシンプルに美しく紐解いていく科学は、信仰にも似た神に近付く思想的行為といえるのかも知れません。
あの頃の日本
ダーウィニズムが炎上する傍ら、ネイチャーは西洋社会にとって未知の国・日本への強い関心を示していたといいます。
日本はまだまだ世界がほとんど知らない国である。しかし、ゆっくりとしてはいるが、固く守られたこの島々にさえ、進歩の大きな波が押し寄せている。
これは、創刊からわずか 7週目の 1869 年 12 月 16 日号に掲載された、「The Japanese」と題する記事の書き出しです。そもそも科学雑誌が特定の国を特集する理由から紐解いてみましょう。当時はまだ世界の全てが測量されていたわけではありませんでした。当時、産業革命を基軸に科学技術立国として隆盛を誇った大英帝国は、巨額の投資を行い、海洋調査を行っていました。
世界に何があるのか、人間のルーツは何か、未知の素材、食料、開発余地…あらゆる「冒険」が科学技術発展の礎であり、「未知のものを知る」というのは帝国の人類に対する責務と考えられていたのです。
では、世界が目の当たりにした日本は、僕たちのルーツは、どのような発見があったのでしょうか。当時の日本は「文明開化」の号令の下、徹底した近代化を図っていた頃です。気になるのは、当時の日本の文明が、西洋からどのように映っていたかです。
ネイチャーに記された日本の文明の水準は意外なほど高評価でした。特に、日本の地図の精度、教育水準、そして芸術的感性が称賛されていました。
日本には地図があり、島の区域や町、さらには小さな島々まで書かれている。
日本の文字や文学は中国に由来し、日本人に適応させるために修正されたが、日本人は洗練された人々である。また彼らは明確な国家の歴史を持っている。
日本人は芸術的な嗜好を高度に発達させている。彩色は素晴らしく、日本のスケッチでは、植物や動物、人の風景のいずれであろうと、多くのヨーロッパのアーティストが羨望する「幅」と「命」と「真実」がある。
いずれも、長い年月の伝承により培った文明といえるでしょう。ヨーロッパは領土の奪い合い、民族の移動により、文化芸術の系譜が途絶えがちです。翻って、日本は領土が不動のもので、伝承の消失の危機に晒されることなく、ゆっくりと文化を育む時間に恵まれた国だったことが分かります。
一方で、興味深い指摘が残されています。
彼らの文学において哲学的記述は豊富ではないが、伝説、寓話、風刺は豊かである。
実は現代においても、「日本は哲学的教育が欠落している」としばしば指摘されます。皆さんは「哲学」というものにどんなイメージを抱いているでしょうか。
端的に言うと、哲学というのは物事の成り立ちの「メカニズムを思考する」ということです。あらゆる現象の「原理」を「合理的」に説明することが哲学です。ゆえに、西洋のあらゆる学問の源流を辿ると、全て哲学に行きつきます。
科学は自然を対象とした哲学であり、当時は「自然哲学」と呼ばれていました。ですから、彼らから見て日本に哲学が存在しないということは、西洋人にとって「日本には科学が存在しない」、という認識と等しかったのです。
では、哲学のない日本にあったものは何か。茶道、剣道、柔道、武士道…あらゆる考え方の根底にあるのは「道」です。たとえば武士道とは何かというと、武士の「あるべき姿」です。日本人の思考の根底にあるのは「哲学」という論理ではなく、「道」という「美意識」です。
物事を思考する時、何か行動する時、西洋は「哲学」という論理的な知識体系に従いますが、日本では「美意識」という周囲の空気に従います。それが150年前の時点で、すでに考察されていたことは注目に値する出来事です。
150年後の僕たちの行方
このように時代も主体も異なる視座から日本を眺めると、僕たち自身のルーツが相対化され、自分たちが何を持っていて、何を持っていないかが見えてきます。
ところで、僕は明治維新を典型的な「クーデター」だと捉えています。西洋のように民主化などという美しい物語には立脚しておらず、現代の僕たちは暴力的な権力奪取の末に成り立った統治で生活しているのです。しかし、そんな身も蓋もない事実は大っぴらに伝えたくない不都合な歴史です。
明治クーデター、明治政変、明治革命などと呼ばず「維新」という美しい言葉で称するのは、それなりに意図のある歴史の改ざんです。文明開化の傍らで、西洋から哲学を輸入しなかったのも、国民に論理思考を持ってほしくなかったからでしょう。論理による自治より空気による統治の方が、中央集権や富国強兵を図る体制側にとっても何かと都合が良かったことは容易に想像できます。
しかし、150年の時が流れ、空気の支配に綻びが見えつつある現代において、僕たちは思考の拠りどころを失い、路頭に迷い始めています。生き方に正解がないのは西洋も同じですが、彼らには立ち戻れる哲学があります。迷った時は生きるメカニズムたる哲学と照らし合わせ、合理的に次の行動を判断できるのです。
いま、日本において哲学の重要性が見直されつつあります。スポーツの世界では、サッカーのキングカズこと三浦知良選手は52歳にして現役を続けています。その原動力は圧倒的な哲学です。カズの思考・行動規範は「サッカーが好きだから生きている」という哲学に基づいており、その規範に沿って生きています。シンプルな哲学に立脚するからこそ、心身の衰えがあってなお、プロの世界で生き続けることができるのです。
ビジネスの世界では、格安航空会社 Peach の井上社長が会社の存在意義を「戦争をなくすため」と説明します。若いうちから外国の文化に触れてほしい、友達が色々な国にいるという状態を作りたい。だから、お金のない若者でも飛行機に乗れるような会社を作った、まさに存在の合理的な理由、哲学と呼べる思考体系です。
あなたは時々モチベーションを見失ったり、熱意が欠けているような感覚に陥ったりすることはありませんか。それは今まで自分を支配していた空気を失い、思考の拠りどころを失ったからです。
Peach が戦争をなくすために作られたとは思えませんし、事業戦略も戦争をなくすことを第一に考えているわけではないでしょう。むしろ、思考の順序は逆だと思います。
自分の選択・行動に対し、後から「戦争をなくす」という哲学でストーリーづけることによって、確信を強めたり、自信を持てたり、力が湧いてきたりする。哲学は選んだ選択肢、起こした行動に意味を付与してくれる武器なのです。ダーウィンもガリレオもアインシュタインも、「神はシンプルな世界を望む」という哲学でストーリーづけることで、自身の学説への確信を強めていったのではないでしょうか。
何を実現したいかを問い続け、行動動機を極限までシンプルに削ぎ落した時に哲学が立ち上がります。
仮に「仕事に熱意が持てない」のであれば、なぜ熱意を持たなければならないと思っているのでしょうか。それは「熱意があることが良いこと」という美意識の支配ではありませんか。哲学の見地から言えば、仕事に熱意など不要です。仕事など淡々とこなして一向に構いません。ただし「何を実現したいか」というシンプルな哲学がなければ、中長期的に行き詰まります。自身の行為をストーリーづけるものがないからです。
ネイチャーは明治維新を「素晴らしい社会実験」と評していました。もしかすると150年を経てなお、僕たちは社会実験の中に身を投じているのかも知れませんね。
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