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ティッシュ地獄で苦しむ人をみたくない

#天職だと感じた瞬間

本日は日経新聞の企画に準じて、仕事について書いてみたい。

担当直入に私が耳鼻咽喉科医を目指した理由は・・・幼少期の嫌な体験が根幹にある。

 私は私立医大卒であるが、同級生の多くは都内の有名私立小学校や中学校卒業で、いわゆる良い学歴と言われるコースを経て医学部に入学している。そんな中、私は田舎の公立小学校を経て高校まで公立の(偏差値55ほどの)出身である。元々地頭がそれほどよいわけではなく、もちろんストレートで医学部に入学できるわけでもなく、ちゃんと浪人をして進学した。田舎にいながら父は教育熱心であったことから、唯一地元にあった私立の中高一貫校を受験するために、中学受験目的に地元では一番の入塾試験などもある学習塾に通っていた。小学校5年生から入塾したが、やっている内容がハイレベルで全くついていけなかった。授業中は問題集をある一定時間でみんな個別に問いて、先生が黒板で解説していくといった一般的な方法の授業形式だった。先生が答えを言ったときに、周囲の生徒がみんなボールペンで「ザッ!ザッ!」と解答に丸をつけていく音が今でも辛い思い出である。何故かって、私は丸をつけることができないからだ。。算数なんて、連問で問一からまずわからず、解答どころか空白であり、丸どころではない。。周りのみんなに併せて「ザッ!」と音を立てたいがために、空白に丸を書いたこともあった。流石に周囲のみんなにそれがバレたらまずいと思い、先生が言った瞬間に解答を記載し、「ザッ!」っと丸をつけることが常習となっていた。塾では毎月試験があり、その結果は塾の1階にある壁に張り出される。これが最も苦痛であった。ほぼ毎回、私の順位は最後尾かブービーであった。もちろん塾にも友人がいたが、これを見られていると思うと顔から火が出そうになっていた。友人は私がこのような成績であることは敢えて何も触れず、「今日も疲れたね〜、またね〜」って。この時友人はどう考えていたのだろうか。。このように無駄に「ザッ!」っと丸をつける行為が、全くもって無意味で生産性のない行為ということは小学生ながら痛いほど認識していた。テキストの中はそこそこ丸が多いのに、試験では全くそれは反映されておらずズタボロの結果。もちろん、私立中学校には合格するハズもなく、地元のヤンキー多数の公立中学校に入学することに。今思うとこの塾での経験は自己肯定感を非常に下げた自分の中での暗黒時代であったと思う。

 この暗黒時代に追い討ちをかけたのが、私の持病となる鼻炎であった。今思えば、単純なダニ、ハウスダストが特異抗原となるアレルギー性鼻炎が原因と推察できるが、当時は原因不明のひどい鼻炎であった。常に鼻汁がひどく、季節によってはティッシュを無限に使用する必要があること。。塾は非常に静かだし、デスクとデスクの間隔が狭く、鼻をかむ、拭うという動作が、騒音になり周りのみんなに迷惑かかると考えると苦痛でしょうがなかった。ただ鼻をかむだけならまだよいが、ティッシュを忘れた際に、指や洋服で拭わないと対応できない状況では鼻水をどこにつければよいのか。。この恥ずかしさといったらもう、、今考えても辛い。挙手して「ティッシュ貸してください!」と言えばよかったのだろうが、当時の自分の中のカッコつけプライドというものがあったのだろう、そんな発言はできなかった。全く無駄なプライドであった。そんなこんなで、塾の授業には全く集中できなかった。なんとか集中できた日でも内容がついていけなすぎであり八方塞がりだった。小学校の授業中はそれほど症状が気にならなかった気がするが、塾では症状がひどかった。これは今思えば、①塾にダニ、ハウスダストが多かったり、他のカビなど抗原が存在していた、②新しい塾だったから化学物質(刺激物質)が浮遊していた、③塾のストレスによる自律神経反応で血管運動性鼻炎の併発を起こしていたか。などが考察される。何しろダニ、ハウスダストアレルギーは花粉症などと異なり症状自体は激烈ではないが、鼻粘膜過敏性亢進(簡単に言えば鼻がすごーい敏感)の観点からはすごい強い。今考えると、この元々の体質としての強いダニ、ハウスダストアレルギーによる鼻粘膜過敏性亢進の状態に③の鋭いストレスが、自律神経反射を高度に起こして過度な鼻汁分泌を起こしていたのであろう。

 では、もちろんこの鼻汁を親に相談したかと聞かれたら、しっかり相談していた。それで、近くの総合病院にはよく受診していた。しかし、当時(今から約30年前)はまだアレルギーの概念が普及していなかった時代である。もちろん耳鼻科医でもよくわかっていない先生が多かっただろう。私が受けていた治療は、鼻にボスミン+キシロカイン綿棒を数本鼻内に挿入し鼻腔通気改善および中鼻道解放を行なった上で、ネブライザーという。これを週に3回通院。この鼻処置をすることで、鼻炎症状は余計に悪化。今なら、、どういう状況か、鼻の中の絵と粘膜表面で起きていることが細胞レベルで認知できる。。もちろん処方薬はなし。今思えばハズレ医者に当たっていたということだ。。。しかし、私もクリニック等で相当数の患者を診察する(1日150人程度)ことがあるが、体力、時間を考慮し診療自体はかなりいい加減になってしまうことがある。大学や総合病院に受診してくれたら、もう少し丁寧な診療ができるのにな。。ってよく思いながらも、「業務」を「こなす」ことに精一杯となってしまうため、この時の先生もそうだったんだろうと考えたい。しかし、この時に受けていた治療法は、反復性副鼻腔炎など感染症を考慮した際の対応だ。確かに子供は感染性鼻炎が多数と当時は言われていたが、アレルギーと言わずとも何らかの鼻過敏症の一つと週に3回も診療していて疑問に思わなかっただろうか。。今思えば、アレルギーでめちゃくちゃ亢進した鼻粘膜過敏性の状態で、綿棒挿入され、元々アレルギーでボロになってる鼻粘膜をさらにボロボロにされたと言っていい。当時の耳鼻科は処方より処置ありき!といった感じだったから、処置して医師は満足!と言った感じだったのだろう。また、当時アレルギー性鼻炎の主役の薬である抗ヒスタミン薬は古いタイプしかなく、諸々リスクの高い薬であった。今はその抗ヒスタミン薬だけでも数十種類から選択でき、安全に処方できる物が増えたが、そういう選択肢もなく、処方はしなかったのだろう。と、当時を振り返るわけである。

 話は長くはなったが、このような経緯で学業と鼻炎に苦しんだ日々があった。言いたいこととしては、盲目的に医師の方針に従っているだけでは、ろくなことがないことが多い。特に1人の医師にずーっと診られている状態。大学、総合病院などは複数の医師の目に触れることが多いから、その段階で治療方針が変わることある。ここ20年くらいでパターナリズムは悪で、患者目線に立つ医療が推奨されるようになってきているが、自分を冷静に見たり、先輩後輩の診療を見ていて、まだまだパターナリズムの体制は残っていると思う。やはり患者さんにも主体性を持って医療を受けていただく必要があると思う。私は、耳鼻科診療においてはできるだけ上記には注意して診療に当たっているが、まだまだ道半ばと言ったところだろう。しかし、鼻・アレルギー診療においては上記の苦い思い出が強いために、患者さんを診る際は、どうしてもしつこいくらいに親身になる自分がいる。特に幼少期の子供に対しては、自分と同じようなティッシュ地獄のような経験はしてもらいたくない。そのため医師としてできることは十分に施してあげたくなる。もちろん、医業は患者に強要してはいけないので、良い方針は強く提案するが、患者背景と性格を考慮して諸々判断している。やはり、こういった背景情報を得たり、雰囲気で察し、患者さんのニーズに、火にも水にも変幻自在な対応ができる医師になるためには、私自身の成長が必要と考える。医師としてこれからも精進したいところである。

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