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本の熟成・発酵について -積読のすすめ-


はじめに

この文章は、「真面目に不真面目」ということでやってます。
ぜひ、おもしろ半分(しんけん半分)で読んでやってください。


積読とは本を熟成・発酵させている状態である

本の熟成・発酵とは、買った本を読まずに長期間そのままにしていることです。

「それって、積読のことじゃないの?」

「いいえ、熟成と発酵です。寝かせているのです。」

寝かせることによって、おもしろいことが起きます。

まず、寝かせている間に出会った言葉や考え方、人物などが登場することが多々あります。
その本と出会うことの運命性、偶然に見えて必然性だったこと、ご縁を感じることができるのです。
また、寝かせている期間があったからこそ理解できること・共感できることがあります。

「うわぁ、導かれちゃってるなぁ…!」という、おもしろさです。

逢うべき糸に出逢えることを 人は仕合せと呼びます

中島みゆきさんの「糸」より

出会うべくして出会ったのだということに、大きな調和を見つけたような気がして、のびのびとした心地よく、しあわせな感覚を覚えます。

もう1つは、過去の自分をふりかえることができるという、おもしろさです。

「あの頃の自分ってこんなことに興味あったんだなぁ」

「なんで、こんなこと考えてたんだっけ?」

時間は絶えず流れていて、忙しく立ち止まりふりかえることを忘れがちです。

そんな時に、「そういえば、あの本そろそろ美味しくなってるんじゃね?」と立ち止まるきっかけをくれるでしょう。

本も、パンやお酒と一緒で寝かせると美味しくなるんですね。


なんとなく本に関係ある写真を載せておく①

きっかけ

わたしが本の熟成・発酵をするきっかけについて書いておこうと思います。

順を追って、説明しますね。

①本棚が全て埋まってしまい、新しく買った本の置き場所に困り、床に本を平積みし始めた。(しかも、読んでない本、読みかけの本がけっこうある)
新しい本棚を買うか、DIYしちゃうかと一瞬考えるも、どうせすぐ限りが来るし、めんどくさいし、お金もかかる…
そこで、「ああ!床はかなり面積あるし、高さも自由だ。お金も新たに発生しないし、ちょうどいい」という考えに至りました。
※収集癖があるので、床に積む方が目に見えて集まってる感じがするので個人的に好き。

②半年前に買った本を読んだり、6年前に読もうと思って読まないままになっていた本を買って読んだりした。
「ここ半年の間に、この映画知ったなぁ」
「あ、この哲学者の人、友達におすすめされた」
「うわ!まさに最近、考えてたことをどんぴしゃで言い表した一文や!」
ということが起きるました。

③(床での)積読の言い訳を見つけた
②で起きたことが、①(積読)の素敵な言い訳になるぞ!とひらめいたんです。
やはり、積読は世間ではまだまだマイナスイメージだと思います。(買ったのに読まないなんてもったいないなど)
個人的には、本がモノとして好きだったこともあって、そこまでの罪悪感はなかったです。しかし、ひとに話す時にやはり正当な理由や意義を伝ねば!とは思っていたので、ちょうどいいなぁと。
※昔から求められないことや一般的に興味を持たれない、意義を感じられないことを率先してやってきたので言い訳さがしは癖みたいなものです。

(この説明は順を追えていたのか?)

そういうわけで…

本も寝かせたが美味しいし、売り上げ貢献しているし(経済を回している)、価値を保留し本として残しているのでゴミになっているわけでもない!
とても良い取り組みなのでは?という気がして、意識的に本の熟成・発酵に取り組むことになります。

今では、『積読用に』本を買うという傍からすると意味不明なことをし、
積読スペース用のラグマットを購入し、
良い積み方を試行錯誤し、
将来の目標は、友達に「40年ものだよ(ニヤリ)」と本を差し出すことになっています。

いま・ここで、意味がない、価値がないと決めつけてしまうのは
なんだか、それこそもったいない気がします。
遠回りするおもしろさもあるのではないでしょうか?


なんとなく本に関係ある写真を載せておく②

おわりに

このくだらない文章を最後まで読んでくださった奇特なみなさん、ありがとうございます。

ぜひ、みなさんの本の熟成・発酵についても聞かせていただけたらうれしいです(?)

また、積読してしまう自分を責めてしまう良き人の心が少し軽くなったり、積読に対するポジティブな視点を面白がっていただければと思います。

真面目に不真面目!


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