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「光る君へ」第14回 「星落ちてなお」 その2 生き方を選択する女性たちの強さ

はじめに
 貴族の頂点に立ち、政を摂政家(東三条殿一門)のものとして確立した兼家は、その辣腕ゆえに内外に敵の多い人でもありました。したがって、その彼の死が、新たな政局の始まり、政治的な転換点となるのは必然でしょう。第14回の後半では、その後継者となった道隆が着々と地固めをし、専横を極めていく、その序章が描かれました。
 しかし、兼家を牽制し、政争を繰り広げてきた貴族たちは、兼家の死という絶好の機会にもかかわらず、政権を奪取しようとするような激しさはありません。例えば、道兼にすり寄っていた公任は、道隆に鞍替えして、取り入ることを考えています。斉信のほうは、様子を窺うような雰囲気ですね。また受領である淡路守は、都に帰りたさから早速、鯛を贈りご機嫌伺いをしています。彼らにあるのは、新たな権力者に阿り。利益を得るか、この先を見据えるため様子見をしているか、そのどちらかです。清廉な実資にしたところで、道隆の強引さに腹を立てるものの、新妻婉子女王に言われて日記に書いておくのがせいぜいです。

 道隆がなかなか狡猾で油断ならないのは、こうした貴族たちの風見鶏ぶりを見越して、尋常ではない機敏さと強引さで伊周を蔵人頭に据え、定子を一条帝の口から中宮にすると言わせせしめ、自身の権威を固めることに余念がないことです。単純な峻烈さ、果断さで言えば、兼家以上と言ってよいでしょう。道隆は、不測の事態には弱い人ですが、一方で平時の宰相としては優秀です。ですから、安定した政権下では、自分の意のままに力を発揮するのですね。こうなっては、貴族たちはおろおろと狼狽えるだけです。

 そもそも本作の貴族たちには政治的に大した志はありませんが、この不甲斐なさはそこに起因するものではなく、いかに生前の兼家の政治工作が巧みであったかということに尽きるでしょう。兼家は、花山帝を退位させ、一条帝の外戚として摂政になって後、摂政を太政官にシステムから切り離します。これによって独立した兼家は不可侵の権威を持ちます。そして、息子たちを強引に昇進させるだけでなく、道兼には根回しをさせ、自分は政敵だった為光を右大臣に据えて連携を強め、左大臣雅信とは道長と倫子の婚姻で縁戚関係を結びます。
こうして、彼は公卿のほとんどを自分の傘下に収めてしまったのです。最早、朝廷では誰も摂政家に異を唱える者はいないのです。さらに、それまでの政争やこの強引さで生じた恨みつらみは兼家自身が全て引き受けて逝きました。兼家は、その強い意思をもって、他家に比肩するものがないほどに、我が「家」の繁栄を確立させたと言えるでしょう。初志貫徹、有言実行という点では、彼に並ぶ政治家は劇中にはいませんね。

 このことは、事実上、この後起きる政争が、摂政家の三兄弟、正確には道隆の中関白家、道兼の粟田殿、そして道長の土御門殿の三「家」の争いへと切り替わることを意味しています。いわば、兼家が望まなかった摂政家内の内紛になっていくわけですが、ただ、現状は、父に見捨てられたと信じた道兼は参内することもなく荒れ尽くし、道長は若く力はなく、関白道隆とは勝負になりません。三「家」の争いは、少しだけ先です。
 男たちのドラマが停滞する中、クローズアップされたのは、女性たちの選択です。このことは彼女らの働きが、今後の政治を左右することを意味しているように思われます。そこで、今回は、女性たちの選択を見ながら、その心情と選択の行方について考えてみましょう。

   ※その1も合わせてお読みいただけると幸いです。


1.倫子の覚悟と明子女王の心変わり?

 第14回note「その1」でも触れましたが、強い呪詛は自分にも危険な形で返ってきます。明子女王は命がけで兼家を呪詛し、その威力は神棚を爆発させるほどでしたが、案の定、それは返ってきます。ただし、奪われたのは覚悟した自分の命ではなく、お腹の子の命でした。もとより明子が亡くなれば、お腹の子の命もありませんが、自身の命を軽んじ、復讐にのみ囚われていた彼女は、そもそもお腹の子は眼中になかったのではないでしょうか。
 彼女が、その命を自覚したのは、呪詛後に起こった流産による耐えられぬほどの激痛が起きたときではないでしょうか。のたうち回る姿が印象的でしたね。その痛みは、母に代わって呪い返しを受けた我が子の哀しみ。明子は、お腹の子にその命を救われてしまったのです。

 流産で体調を崩した明子の元へ喪中の道長がやってきます。起きようとする明子を「そのままでよい」押しとどめる道長に、彼女は流産を詫びます。その顔は相変わらず表情が薄いですが、復讐が果たされ、お腹の子に捨てるはずの命を救われてしまったことへの戸惑いが窺えます。おそらく目的が果たされてしまった今、彼女は、これからどうしてよいかわからないのでしょう。そして、慈しみもしなかった、失われた命についても思いの行き場がありません。

 その様子を哀しみととったのか、道長は「生まれ出でぬ宿命の子もおる。そなたのせいではない。ささ、休んでおれ」と慰めます。おそらくは、明子が子を失った哀しみを抱えていると察しての気遣いでしょう。責める気になどなれるはずもありません。彼の生来の優しさからすれば、前回、通り一辺倒に「立派な子を産んでくれ」と無責任なことを言ったことへの申し訳なさすらありそうです。


 しかし、「そなたのせいではない」と道長は言ってくれますが、実際は彼の父を呪った自分のせいでお腹の子は死んだのです。道長の慰めを受ける資格が自分にはありません。その気遣いは、かえって彼女の後ろめたさを刺激し、「喪に服しておいでのときに…敢えて穢れた身をお見舞いくださるなんて…」との自嘲気味の言葉となって表れてしまいます。「穢れた身」とは、その身に死産した子を宿したことだけでなく、そこには自分の罪深さも含まれているのでしょう。
 父の死に哀悼の念を表す時期に、よりによってその父の死を願い呪詛し、結果、自身の子を死なせた女の身を見舞うのですから、事実を知る彼女にとってこれほど皮肉なことはありません。せめて、見捨ててくれたほうが気楽なのではないでしょうか。

 それでも道長の返事は「しきたりなど気にするな。ゆっくり養生いたせ」という労いのみです。直秀の死の埋葬より死に対して真摯になっている道長にとって、父の死も、生まれ出なかった我が子の死も忌避すべき穢れではありません。ですから、この言葉は、彼の経験から来る死生観が言わせたものですね。

 しかし、明子は、そんな道長の隠された事情を知りません。明子には、道長の言葉は、しきたりを破ってまで自分を気遣う彼の真心として映るのではないでしょうか。復讐の念を押し隠し、道長の妻となった明子は、復讐のためそれなりに彼に気に入られようと振る舞っていました。例えば、子どもができたことについて「嬉しゅうございます」と寄り添う仕草がそうですね。が、道長はそんななけなしの彼女の仕草をそっとかわしています。
 ですから、なんとなく道長の本心がどこにあるのか、彼女のほうもつかみきれなかったと察せられます。自分の復讐心が見抜かれていないか、勘繰るときもあったでしょう。

 そんな中、しきたりを破ってまで、流産した自分を見舞う道長の言動に、ようやく本当の愛情、あるいは真心を見た気がした。しかも復讐しか考えないような自分に、です。しかも病身に長居は迷惑と去ろうとする道長は、それでも「また参る」とまで約束してくれました。思わず、病の身を乗り出し、彼を追うようにその先を見る明子の表情が印象的ですね。そこにあるのは、彼の気遣いに癒されて、満たされることへの戸惑い、そして騙し続けていることへの申し訳なさでしょう。初めて、彼女が他人を信じてもよいと思えた瞬間だと思われます。
 その後、静かにうつむく彼女からは、なんらかの決意が窺えます。もう彼女にはすがるべき復讐の念もありません。そして復讐に囚われ続ける女に深い情けをかける道長の存在…彼のために生きてもよい…いや生きたい、恩を返そう。そんな前向きな気持ちになりかけているのではないでしょうか。

 もしも、この明子の思いが道長への恋へと転じるとするならば、それが吉と出るのか、凶と出るのかは難しいところです。兼家の呪詛の一件も見てもわかるとおり、明子女王の基本はその思い込みの激しさにあります。つまり道長へ、初めての殿御への激しい恋慕はいつでも激しい憎悪にも変わります。その憎悪は嫉妬として道長へ向けられることもあれば、倫子へ、あるいはその子たちに向かわないとも限りません。勿論、逆に道長にとってプラスに作用することもあるはずです。

 ただ、気がかりは、道長が明子に心を開いているわけではないということです。それにもかかわらず、明子は道長の情けを真の愛と信じてしまったとしたら、それはいつ牙となるかわからりません。相変わらず、明子女王は、道長にとってのジョーカーと言えるでしょう。


 さて、明子のもとより帰宅した夫に「明子さまはいかがでしたか。しっかりお慰めしてあげなければいけませんわね」と声掛けしたのは倫子です。前回、道長の文箱から見つけた漢詩の文(まひろのもの)を明子女王のものと勘違いした彼女は、瞬間、嫉妬にかられました。しかし、結局は「でも漢詩ですから、この文は殿方のものということにしておきますわ」と事をこれ以上荒立てないよう胸に収めることにしました。現状、夫は人見知りがあるものの、子も授かり、嫡妻である自分を立てているように見えます。それなりに幸せな彼女は、嫡妻として鷹揚に振る舞うことにしたのでしょう。その気丈さが、倫子に明子を気遣う台詞を言わせているのですが、本心は別のところにあるでしょう。

 倫子は、事を収める選択をしましたが、それは気持ちの整理がついたということとは別問題。嫉妬めいた気持ちが、心の奥で疼くのが普通でしょう。何せ道長は、彼以外の婿は取らぬ、叶わねば一生猫だけを愛でて生きるとまで言うほどに恋い焦がれ、結ばれた殿方なのです。大らかで穏やかな人柄の奥には、激しい恋慕の情が秘められています。
 また、冒頭で帰宅した道長にようやく父と呼べた娘、彰子に対して喜ぶこともなく、どこか上の空でいたことも、倫子には気がかりだったはずです。子煩悩な彼の様子を妙だと察した彼女は、着替えを手伝うと申し出て、その悩みを開こうとしますが、道長はするりとかわし縁側へ出てしまいます。

 まあ、道長の物思いの原因は先ほどすれ違ったまひろのことですから、それを悟られぬよう誤魔化すのは当然なのですが、それは彼だけが知る事情です。そのくせ、「あー、良い風だ」などと言いながら、目線は自然とまひろの去っていったほうを追ってしまっていますから、その未練、世話ありませんね(苦笑)
 とはいえ、倫子には夫の急なよそよそしさに怪訝にならざるを得ません。先ほど、まひろとの明子について話したばかりですから、もしかして明子のことか、と思わぬでもなかったでしょうね。


 ですから、秘かに芽生える明子への対抗意識は隠そうとしても、出るものです。それが「でも明子さまは、お若いからこれからお子はいくらでもできましょ?」との台詞です。一見、道長と明子を慰めるかのようなこの台詞には、倫子の切ないコンプレックスがあります。彼女は道長より年上です。しかも婚姻が成立したそのときですら、当時として晩婚の老嬢でした。そして、それは一つ下の明子女王も同じです。
 明子を若いと言うことで、自身もまだまだこれからだと思おうとしているのです。ですから、直後の言葉「わたしもせいぜい気張らねば」との言葉が、なかなかに重たいですね。彼女なりの宣戦布告と決意なのです。

 彼女は、好いた道長を婿に臨んだことは、土御門殿のためになると信じてもいます。婚姻後、面白いように道長は出世し、倫子は自分の判断の確かさを証明しています。ですから、この4年間は、彼女にとって、それなりの満足と自信となったことでしょう。後は、それを着実にするために、嫡男を始め、子を産み、道長と子孫の栄華を支える基礎を作ることです。彼女は、道長と共に生き、共に栄えることを改めて決意したのです。その寵をめぐって明子と争うことになるにしても、それが嫡妻の特権というものですから。


 こうして、倫子と明子は、競うようにそれぞれが6人の子を成し、土御門殿の一時の隆盛を支える礎を築くことになります(もっとも没落の原因も生まれますが、それは別の話です)。今回、倫子と明子の描かれ方は、道長の「家」の繁栄が嫉妬含みではありますが、二人の妻たちの選択によって始まったが象徴的に描かれたと言えるでしょう。いくら政略結婚であっても、夫の命令で繁栄はしません。妻たちの思いもまた大切なのですね。
 もっとも、情けないことに当の道長は、そうした妻たちの繊細な思いにまったく気づいていません。まあ、この場に関しては、大きな存在であった父の死で生じたさまざまな思いに囚われている状況ですから無理もありませんが。


 ただ、道長の妻たちに向ける優しさは、半分本気、半分偽りです。例えば、子を失った明子への憐れみ、哀しみへの深い同情は本物です。助けてやらねばとも思っているでしょう。しかし、それは、彼女を心底愛するからの行動ではないことを道長は自覚し、それを自分に言い聞かせています。
 ですから、どここかで彼は、自分の志のために、夫としての役割を果たし「家」を維持しているだけである、そんな投げ槍と後ろめたさを持っているでしょう。だから、深くかかわらないような態度を取り続けているのです。そうした態度は、明子に限りません。嫡妻である倫子に対しても同じです。

二人の妻を大切に扱いながら、実際は心の奥底までは開いていない振る舞いが目立つ道長。おそらくまひろと別れて以降、まひろへの一途な思いを貫きたい純情、身を引いたまひろへの申し訳なさから、これらの政略結婚で幸せになってはいけないと思い込んでいるのだと察せられます。そして、それを二人の妻に気取られてはいけません。そうした警戒が曖昧で人見知りっぽい態度に表れているのでしょう。


 しかし、皮肉なことに、その曖昧な態度、つかみどころの無さが、倫子にとっては、彼らしい思慮深さと映り、それを解きほぐして差し上げたいという思いにさせます。また、明子には本当は愛情深い、お優しい人なのだと思わせ、彼女の心を開かせていくことになる。そして、二人はそれぞれに道長のためになるように努力しようと、改めてその妻の座について決意するのですから、結果的には大成功…いや、道長という人間は相当ズルい人間だと言えるでしょう。

 ここに道長を一生見続けるというまひろが入ります。三人の女性を本気にさせ、彼女らにときに物理的に、ときには精神的に支えられ、彼は出世街道を進みます。そのくせ、決して彼女らを観戦に幸福をしてはいない。この無自覚な罪作り野郎は、いつかバチが当たるような気がしてなりません(苦笑)まあ、漢詩がまひろのものとバレたときは修羅場必至ですが(笑)


 ともかく、今の彼にとって大切にすべきは、倫子と明子という妻たちです。どこかで彼らに胸襟を開かねばならないでしょう。それが彼女らの真心に応えることですし、それは彼を兼家のような孤独にしない唯一の方法でしょう。明子は難しい人ですが、倫子はもっともっと信頼すべきですよね。二人の女の思いは、道長の今後も暗示しているのです。


2.中関白家の栄華を支える貴子

(1)道隆の専横の実態

 第14回の描き方として興味深いのは、兼家の死を悼む人間が、上流貴族では道長に描かれていないと言うことです。抱きすくめ号泣した道長以外に、その死を悼んだのは、兼家にその裏切りから無役に追い込まれた為時だったのは、皮肉なものです。為時だけは、その死を聞き呆然と「激しいご生涯であったのう」とその政争に明け暮れた人生に思いを巡らせます。まひろが宣孝に明言したように、彼は人の死を願うような心持ちの人ではありません。

 その人柄もさることながら、漢籍に詳しい彼は古今東西の為政者の末路もよく知っているでしょう。それらの偉人たちの人生と重ねながら、栄華を誇った人間も消えていくしかないと世の無常を感じ入っているのかもしれません。あるいは、彼の人生を想像し、悩み深きものではなかったかと思いを馳せているのかもしれません。

 報告に来た宣孝が帰宅したあと、皆を下がらせ、一人涙を流す為時が何を思うのか、それは誰にもわかりません。まひろが言うように、自分自身もその涙の所以がわからないかもしれません。わかるのは、兼家の死を悼み、偲んだのは道長と為時だけだということです。


 後の者たちは自分のこと、あるいは将来のことばかりです。喪に服しているといっても、死者を顧みることはありません。他の貴族は勿論、それは道長以外の子どもたちも同様です。特に象徴的なのは、兼家の後継者として権力の頂点に立った道隆です。
 彼は最初の公卿会議を開くと、早速、帝の側近である要職、蔵人頭に嫡男、伊周を就け、周囲を驚かせます。長年、蔵人頭を務め、その職務の重要性と大変さを熟知する実資の「まだ世に出たばかりの伊周どのに異常、全くもって異常。異常中の異常。恥を知らない身内贔屓だ」と激高は、周囲の反応を代弁していると言えるでしょう。


 この実資の「恥を知らない身内贔屓」との言葉は、全くその通りで、この人事は内外にこの先は中関白家で権力の中枢を固めることを明言したと言えます。そして、自分たちに阿る、役に立つ者だけを重用するという恫喝にもなっています。風見鶏で様子見を窺っていた他の貴族たちには、この奇襲に打つ手もありません。
 因みに道隆は、これに先立ち兼家の腹心の一人であった藤原在国を強引に蔵人頭から引きずり下ろし、右大弁も解任しています。在国は、「光る君へ」では登場していませんが、逸話では兼家に後継者について問われ道兼を推した人物とされます。道隆は、それを知り恨んだ結果、懲罰人事を行い、空いた席を自身の嫡男で埋めたのです。
 当然、権力者に従う身内ばかりを優遇する人事が、中長期的に見れば、腐敗を招くのは、昔も今も同じです。「放っておけば、内裏は乱れよう」という実資の憂慮も当然です。政治は異なった少数意見をいかに取り入れるか、そのバランス感覚が大切です。
 実際、兼家は、このバランス感覚が優れていて、優秀で役に立ちそうならば、敵でも自陣に取り込もうとするところがありましたね。それが道隆にあるのかは、やや疑問です。


 それにしても今まで良家のボンボンであった道隆の急激な変化に戸惑った視聴者もいたでしょう。あるいは井浦新さんが演じるから腹黒い、腹に一物あるに違いないと読んでいたでしょうか(笑)しかし、実は道隆本人は、自身が豹変したという自覚はないと思われます。彼は兼家が苦心して用意してくれた権力者の座を引き継ぎ、それがすべき行動として父と同じ手段を講じているつもりなのでしょう。

 参議も、摂政たる自分が望んだ場合以外は、自身の決定を確定するための諮問機関であり、議論する場ではありません。兼家によって、太政官から独立した摂政は、彼らに縛られない超越した存在ですから、それが可能です。また、兼家がそうしたように、政は我が「家」の繁栄が重視されますから、一門で人事を固めるのも当たり前です。権力を維持し、それを行使し、政を進めていく。ある意味でとても純粋に正しく権力者として振る舞っています。道隆が、摂政に昇りつめた兼家の政治から学んだこと、有無を言わさないトップダウンです。。


 ただ、そのトップダウンは外形だけです。実は兼家は、権力を握るまでの過程においても、あるいは摂政として辣腕を振るうようになっても、その強欲と剛腕だけで事を進めたわけではありません。しきたりに煩い公卿たちを慮り、根回しを重視し、恫喝を混ぜながらも腹芸など駆け引きによって相手と談合し、謀においては相手の才を見抜き、それを信用し、また自発的に参加させていました。彼は、貴族たちが何を欲しているのか、そうしたことをつかみ、それを利用することに長けていたのです。

 ですから一見、強引にも見える兼家の政の基本は、かなりしぶしぶ、仕方なくであっても、周りからの納得ずくの妥協を取りつけるところにありました。そこにある種の信頼関係が築かれていることは、兼家と晴明の楽しい謀議がよい例と言えるでしょう。


 しかし、どうも今のところ、道隆にそれはありません。道長など身内を頼みにするところはあるでしょうが、周りの貴族と談合することも、信頼関係があるようにも見えません。他の貴族にしてみれば、降って湧いた命が頭ごなしに降りてくるか、あるいは知らぬうちに頭上を通過していきます。彼らがそれをどう思うのか、彼らが望むものは斟酌されてはいないのです。
 第14回の最後、機を捉えた政治手腕が評価されもせず、「道隆の独裁が始まった」でまとめられてしまうのは、その政治判断の正しさ如何ではなく、プロセスにおいて、人の話を聞かず、独断で事を進めるところにあります。


 しかも、己は正しく、政を運営している、その自信があるからこそ、道隆の判断には、迷いも躊躇も生じません。彼の動きが兼家以上に機敏にして果断なのは、そのためです。つまり、政治的な汚れ仕事からとことん遠ざけられた無垢な為政者は、世の酸いも甘いも知らず、他者の心もわからないまま突き進むのみです。我が世の春をひた走る道隆には、その危うさに自覚もなければ、悪気もないでしょう。だからこそ余計に厄介なのです。
 勿論、「家」の繁栄を願う彼に「この国の未来」といった志はないでしょう。見た目のよさ、基本的な能力な高さゆえに、兼家と比較すると欠点が悪目立ちしてしまっています。
 こう考えると、果たして兼家が道隆のために「まっさらな道」をいくレールを敷いたことは、よかったのでしょうか、疑問が残りますね。

 

(2)詮子の危惧と貴子の対処

 そんな向かうところ敵なしの中関白家の様子を危惧する者がいます。ある昼間、一条帝と定子のもとには蔵人頭、伊周と道隆の嫡妻、貴子がいます。おそらくは、定子のご機嫌伺いにきたのでしょう。案の定、子どもな一条帝は定子に甘えてキャッキャッウフフとじゃれ合っています。傍から見れば、一条帝は中関白家の子どもにすら見えます。

そこへ「賑やかでよいのう」と言葉とは裏腹にニコリともしない皇太后、詮子が現れます。彼女は、帝を一瞥すると「お上、そのような乱れた姿を見せてはなりませぬ」と叱りつけます。しょんぼりする一条帝を見かねた定子が「わたくしが悪いのです」と割って入りますが、「そなたに言うておるのではない。おかみに申し上げたのです」とにべもありません。

 勿論、このお叱りの標的は定子とその後ろに控える貴子と伊周たちです。彼女が定子をわざと外して帝を叱ったのには訳があります。一つは、定子の口出しを封じることで叱られる帝を見せることで定子に罪の意識を感じさせること、もう一つは帝と皇太后の関係は特別であり、一女御の介入するところではないことを見せることです。
 こうすることで、中関白家に一条帝が完全に取り込まれてしまうことを防ごうとしているのですね。言うまでもなく、詮子は兼家が嫌いです。できる限り一条帝の御代では、その匂いを削いでおきたいのが彼女の本音です。したがって、詮子から見れば、兼家の劣化コピーでしかない道隆一門がのさばるのは警戒しておく必要があります。

 ですから、「出直してまいる。それまでにお上はお心を整えなさいませ」と命じた後、去り際に「見苦しや」と明らかにじゃれ合う二人を眺めていた貴子と伊周を揶揄する一言をわざわざ投げつけていきます。

 賢い定子は、自分の頭越しに叱られる帝を見て、自分の無力に心を痛めます。また自身の不甲斐なさゆえに母と兄まで揶揄されてしまったと思っているはずです。詮子の剣幕に居たたまれない雰囲気になっているのが貴子と伊周です。若い伊周はともかく、貴子のほうは、詮子の仕打ちの意味もわかったに違いありません。娘を不憫に思った彼女は、おそらくこの一件を道隆に告げ、なんとかならないものかと相談したと察せられます。

 一方、道隆は、兼家が一度倒れた際に、その政治的野心を聞いています。しかも、そのとき、狼狽える道隆を揶揄すらしています。彼女が政敵になる可能性を道隆は既に知っています。皇太后という身分は容易に攻撃できるものではありませが、牽制をする必要はあります。描かれてはいませんが、もしかするとこの一件が、終盤の強引な定子の中宮擁立のきっかけかもしれません。となると、貴子の発言権、そして彼女と道隆の一体感が、中関白家の隆盛を支えていることが窺えます。


 ところで貴子の発言力の大きさという点で、もう一つ興味深い出来事が、伊周の縁談の一件です。我が世の春を謳歌する中関白家は喪中であっても、鯛をもって伊周の蔵人頭就任を祝っています。最早、ここには兼家の存在はありません。この団欒の宴席の場でも、貴子は、この鯛が淡路守の贈り物であることを伝え、彼に政治的配慮を促すなど政治的です。
 そして、「蔵人頭ともなれば、伊周によい婿入り先を見つけねばと思いますの」と、その身分に相応しくあるための婚姻を提案します。伊周の昇進だけではまだ足りない、その婚姻によって昇進を地固めしておくべきである、というのが貴子の進言の真意です。このように一家団欒の席であっても、自然と話題が政にかかわる重大事になるのが、この「家」の特徴であり、それは貴子が道隆の知恵袋としてこれまでも上手く機能してきたからこそです。


  貴子と恋愛の後に結ばれた道隆は、さすがに伊周の意思を尊重しようと「お前はそれを望んでおるか」と微笑みながら、問いかけますが、伊周は「父上と母上にお任せいたします」と答えるだけです。道隆は息子の答えに「他人事じゃのう」と呆れますが、目を細める様子からはその優等生な言動に満足する面もあるのでしょう。伊周は、「父上のため、一族のために生きるこの使命は、幼い頃からの母上の教えにございますゆえ」と続け、母に笑顔を向けます。前回もそうですが、伊周はお母さんっ子で、また貴子も伊周を溺愛していることが窺えます。

 しかし、母子関係以上に注目すべきは、幼い頃から、伊周に、父と一族に尽くすのが使命であると教え込み、あらゆる学問、芸事、武芸の英才教育を施してきたという事実です。前回、「心づもりはとうの昔からできております」と言った貴子ですが、彼女は道隆の嫡妻となったときから、その切れる頭で道隆を政の頂点に立たせるよう図ってきたのです。


 彼女は身分の低い出の女性でした。家柄で道隆を支えることはできません。だからこそ、その智謀を生かそうと、陰になり日向になり、道隆に時折、献策をしては、筋道を作ってきたのです。後継者として表の道を敷いたのが兼家であるなら、裏でその道を補強してきたのが貴子と言えるでしょう。

 これまでの功績と彼女への情から、道隆はその判断に全幅の信頼を置いています。伊周の婿入り先選びの和歌の会という提案を、彼女の裁量に任せるのも当然のことですね。このように、貴子の意思と選択が。中関白家の重大事を左右していることは注目すべきところでしょう。道隆もまた、道長と同じく、女性に支えられているのです。
 そして、そんな貴子の意思で始められた和歌の会に、これまた貴子の意向で、まひろとききょうが巻き込まれていくことも面白いですね。ことによっては、この縁がききょうの宮中の出仕、そして、ききょう最愛の推し、定子との出会いになるのかもしれませんね。


3.道兼に離縁突きつけた繁子

 後継者に選ばれず、以降、参内すらしなくなった道兼の家は、殺伐としています。酒色に溺れ、着衣は乱れ、無精髭は生え放題、「この世は夢か現か」と戯けた踊りを踊る彼には、もはや貴公子然とした様子はなく、落ちぶれ果てたと言ってよいでしょう。彼は、父に愛されたい一心で、摂政家の繁栄のために汚れ役を担ってきました。ですから、父の愛の証として、後継者の座が欲しかったにすぎません。究極的に言えば、彼は「家」よりも、自分自身のために生きてきたのです。しかし、その願いが潰えた今、彼は自暴自棄になっています。

本来であれば、彼も粟田殿という自身の「家」の主。どんな屈辱にまみれようとも、その「家」のために懸命に働かねばなりません。しかし、彼は参内すらせず、その役目を放棄してしまいました。かといって、貴族という身分を捨てるような度胸もありません。今の彼は、己の境遇を嘆くだけで、自分の「家」にすら向き合おうとしていないのです。

もっとも、まひろの母を殺したことは許せない反面、兼家の仕打ちもあんまりだと同情的に感じていた視聴者の方々も結構、いたのではないでしょうか。あれだけ愛に飢えた哀しいさまを見ていますからね。ですから、この甘ったれた姿も痛々しく見えたと思います。



 酒色に溺れる自暴自棄の彼のもとへ現れたのは、前回から登場している道兼の嫡妻、繁子です。なんの用かと誰何する道兼を前に、居住まいを正すと繁子は「お暇を頂戴いたします。尊子も連れて参ります」ときっぱり離縁を突きつけます。前回、道兼を窘め、娘を庇ってはいたものの、彼の酒の相手をして比較的おとなしい印象だった彼女を、こういう形でクローズアップされてくるのは意外でしたね。前回、あれほど父を嫌がった娘を連れていくのは当然です。

 さて、すべては父が自分を後継者に選ばらなかったからだと、この状況を亡父に被けている道兼は、繁子の離縁話に対して、自虐的に「関白の妻でなければ気に入らぬか」と問います。しかし、繁子は涼しい顔で「そのようなことではございません。好いた殿御ができました」とまったく悪びれません。前回、入内よりも娘の幸せが先といった繁子ですから、彼女が権力者の妻の座や富貴を求めていたわけではないのは明白です。

妻の思いもわからず、家族を顧みず、自分の不幸だけに向いた道兼の甘えた態度に呆れ果てた彼女は、「お父上の喪にも服さぬような貴方のお顔はもう見たくもございません」とズケズケと続けます。好いた殿御も嘘ではないでしょうが、それ以上に道兼の不甲斐なさを心底嫌ったことが大きいとわかります。とはいえ、プライドの高い道兼には刃のように突き刺さったでしょう。


因みに「お父上の喪にも服さぬような貴方」と手厳しいのも当然です。実は繁子は兼家の妹でもあります。つまり、道隆は叔母と婚姻関係にあったのです。兼家は、道兼によい相手を見繕うような話を第1回でしていましたが、もしかすると、気性の荒い彼の性格を見越して、それを宥められる信頼できる女性として、妹をあてがったのかもしれませんね。

ともかく兼家は、繁子にとって義父というだけではなく、まず実兄です。「家」のため、全てを尽くした兄を悼みもしない夫であり甥であるこの男の器量の狭さには、呆れ果てることを通り越してしまったのでしょう。器量の無さは、そのまま、先の見込みがない、将来性の無さにつながります。現にこの「家」は、道兼が仕事を放棄したせいで荒れ放題。こうなっては、彼の偏狭な性格に我慢してまで、婚姻関係を続ける必要はないのです。


 尊大な道兼は、自分に意見する女性を好みません。しかも、ああもはっきり他に好きな男ができたと言われれば、引き留めるのは彼の小さなプライドの沽券にかかわります。未練など思っても見せません。まあ、夫婦仲も冷え切っているのでしょう。なけなしのプライドで言うのは、「ならば、尊子を置いてゆけ」の一言です。参内すらしなくなった今の彼に、娘を帝に入内させられるはずもなく、この言葉は虚栄心以外の何物でもありません。そんな道兼の心底などお見通しの繁子は「尊子は先に家から出しました。私と参りたいと申しましたので」と、無駄ですよと念押しします。彼の性格も見越して、先に娘を移しておくこの手際の良さには、感心しますね。この離縁がかなり前から周到に用意されていたことが窺えます。

そして、用意周到さだけではありません。道兼に物申す度胸と筋の通った言葉、こうと決めたら引くことなく貫く意志の強さと行動力、頭の良さ…そうした力が繁子にはあります。さすがは、東所沢の人間、兼家の妹と言うべきかもしれませんね。そして、これほどの才女を道兼は、大切にせず、結局、彼女に捨てられるのです。愚かという他ないでしょう。こうして、道兼の「家」は、彼を支えるべき、女性の力を失います。その夜、一人孤独に灯りもない屋敷で呆然とする道兼は、この事態に何を思うのでしょうか。



 因みに繁子が言う好いた殿御は兼家の腹心「まろの右目、左目」の一人、平惟仲(本作では端役しています)です。落ちぶれ果てた道兼よりも、世渡りのできる惟中を選ぶのは妥当でしょう。また、入内したときの詮子に仕え、一条帝の乳母でもあった繁子は、その縁もあり、この後は急速に詮子と道長に接近していくことになります。最終的に尊子を一条帝の女御にしましたし、彰子の入内、中宮立后で重要な役割を担います。道長は終生、彼女に敬意を払ったそうです。

 となれば、道兼は彼女を手放したことが間違いの始まり。そして女性たちを味方につけた道長がやはり政治的勝者となっていくのは必然なのですね。道長はつくづく人に恵まれていますね。



4.まひろとききょう~それぞれの先見性と限界~

(1)自分のために生きたいという矜持

 繁子と同じく、夫を捨てる決断をしたのがききょうです。繁子の離縁は、道兼の身勝手と不甲斐なさに耐え兼ね、ほとほと愛想が尽きたという、我慢に我慢を重ねた結果でした。好いた殿御ができたという理由も道兼の子どもっぽい不甲斐なさが招いたことです。つまり、繁子の離縁は、ネガティブな理由によるものと言えるでしょう。
 対して、ききょうのそれは、自分のやりたいことがあるから捨てるというポジティブさが特徴でしょう。もっとも夫に対する愛情めいたものが既に失せているのは同様です。

 中関白家でのまひろとの再会時、ききょうは父、清原元輔が赴任先の肥後にて亡くなったことについて、孤独に死なせたことに憂いを見せ、肥後へついていかなかったことを悔いていました。夫がいては難しかっただろうと慰めるまひろに「夫のことはどうでも良かったのです」とあっさり返します。
 この後に「何ともなくて、 すこし仲あしうなって(なんとなく仲が悪くなり)」離縁することになる、清少納言の夫、橘則光は、武勇の誉れ高く、優れた和歌も残しています。が、「枕草子」では、清少納言の謎かけもわからず、和歌も読まないと酷評されています。少なくとも彼女を満足させる風流人ではなかったのでしょう。

 教養に長けたききょうは、最先端の宮廷文化に焦がれ、それこそが自分を輝かせると信じています。彼女が肥後に下向しなかった理由「都にいないと取り残されてしまいそうで」という焦りには、華やかにして雅な文化への憧れ、知的好奇心への飢えが凝縮されています。それが過ぎて、父を孤独死させたことはさすがに「愚かでした」と悔いるものの、彼女の本質は変わりません。

 ききょうの後悔に「生きていると悔やむことばかりですわね」と応じるまひろの胸中にあるのは、母の死、直秀の死、父の無官、引き裂かれた道長との恋、貧窮に喘ぐ生活などなど世の理不尽についてです。「うれしくてもかなしくても涙は出るし、うれしいかかなしいかわからなくても…涙は出るのよ」と語るまひろは、理不尽に生きる人々のままならない、もどかしい思いに胸を馳せるのです。根底にあるのは哀しみです。
 が、ききょうの側の憂いにあるのは、自身の知的好奇心を満たさない夫にかしずくだけの妻の座に対する退屈です。もっと世の中の面白いことを知りたいのに知れないという鬱屈が彼女の不満。つまり、根底にあるのは、飽くことなき好奇心です。だからこそ、道隆宅の和歌の会も知的なものではなく、所詮は伊周の妻選びと看破し、「あほらし」と辛辣なのです。

 まひろとききょうは、二人の才女がこの時点で既に立ち位置が違っているのは興味深いところ。後世の人が、『源氏物語』を「もののあはれの文学」とし「枕草子」を「をかしの文学」と評することを踏まえての人物造形なのでしょう。


 こうした二人のズレは、ききょうが好奇心一杯にまひろの家を訪れたときに、よりはっきりしてきます。
 伊周の妻選びの会では、姫君の顔を立てなければなりません。それは主催者道隆と姫君らを選った貴子の顔を立てることにつながります。本音など言えるはずがない。そのフラストレーションも、ききょうが、まひろの元を訪れた理由でしょう。彼女は、まひろを自分と同等の教養人と見込んで、

 「先日の和歌の会はつまらぬものでございましたわね」とその思いを切り出します。かの会は、妻に相応しい教養を競う名目ですか、純粋に知性を磨こう、実力を披露しようという場ではありません。参加者である姫君の「より良き婿を取ることしか考えられず、志も持たず、己を磨かず、退屈な暮らしもそうと気づく力もない」浅ましさと卑しさを心底、毛嫌いしています。

 打毬後の公任らの会話に見られるように、男たちは「家」の繁栄のため、よりよい家柄の女性の元へ婿入りすることを目指します。このことは裏を返せば、女性側も「より良き婿を取ること」が死活問題になっているということです。そして、「家」を第一義にするならば、婚姻と出産が人生の目的というのが常識化していたと言えます。
 しかし、漢籍を学び、文章書き、和歌も詠む、つまり教養がありものを考えることのできるききょうからすれば、婿取りがすべてという常識は信じられないでしょう。それだけでは、自分が学び考えたことが無意味になってしまうからです。その学びを役立てる場こそが、生き甲斐と思うのも自然なことではないでしょうか。

 ただ、常識とされることに対して無自覚に唯々諾々と従う姫君らを、あそこまで明け透けに責めてしまうのは口さがないでしょう。上流階級の姫君たちは、婚姻まで家族以外の男性を見ることもなく、外界と触れることなく過ごします。このような純粋培養の中で育てば、無自覚となるのも無理からぬところ。それ以外を知らないのですから。まひろが「そこまでおっしゃらなくても…」と返すのはそのためです。
 一方で土御門殿サロンに参加する姫君たちの浅はかな物言い、ペラペラの人間性と無教養には辟易することはあるでしょう。倫子の気遣いと赤染衛門がいればこそのサロンです。「まひろさまだってそうお思いでしょ!」と問われれば、遠慮がちに「少しは…」と答えるしかありません。


 圧倒されてしまうものの、世の中の理不尽に物憂いまひろにしてみれば、そんな世の常識をぽんぽんと小気味よく批判してみせるききょうの物言いと気性は刺激的です。
 平安期の貴族社会では、女性が働くことははしたないこととされる女性観であったことは、noteでもたびたび触れましたが、そんな常識なぞ、ききょうの好奇心の前では紙切れ。「宮中に女御として出仕して広く世の中を知りたいと思っておりますの」と、自身の志を堂々と語るに至っては「ききょうさまらしくて素晴らしいこと」と快哉をあげます。
 婚姻をめぐるさまざまな不幸を見てきたまひろも、素直に婚姻がすべてと夢見られませんし、また「自分の生きていく意味」を模索しています。だから、共鳴するのですね。まひろもききょうの言葉を心強く思ったでしょう。


 ただ、「私は私の志のために夫を捨てようと思いますの」とまで言い出したことには、さすがに驚きます。ききょうは「夫は女御に出るなどという恥ずかしいことは止めてくれと申しますのよ。文章や和歌など上手くならずともよい。自分を慰める女でいよと。どう思われます?」と一気にまくし立てると、あわあわするまひろの返事を待つまでもなく「下の下でございましょ」とバッサリ切り捨てます。
 和歌の会で夫のことをどうでもよいと告げたのは、おそらくは上記のやり取りを日々の生活で散々、してきて、夫の道理がわからない、旧態依然とした無理解に愛想を尽かしたからでしょう。吐き捨てるような強い言い草には、その心中察するに余りあります。


 ききょうの奔放な言動は、平安期としては随分と先鋭的な、今どきの女性のように映るかもしれません。しかし、これは現代のジェンダー観を踏まえた台詞ではありません。
 実際、清少納言は「枕草子」の「おひさきなく」の段で「なほさりぬべからむ人のむすめなどは、さしまじらはせ、世のありさまも見せならはさまほしう。(意訳:相当な家の娘などは宮仕えをさせ、世間の様子も十分見せてやりたい)」と述べ、女性が働くことを強く推奨しています。
 さらに続けて「宮仕する人を、あはあはしうわるきことにいひおもひたる男などこそ、いとにくけれ。(意訳:宮仕えする女性を軽薄でいけないことのように言い、思う男ほど、腹立たしいものはない)」と、女性が働くことに無理解な男性を批判しています。こうした発言をふまえて、ききょうの台詞は作られています。
 それにしても、こうして世間の常識にもの申せることを見ると、平安期の女性のほうが現代の私たちよりも心だけは自由であり、離縁も簡単なものであったかもしれませんね。そもそも、日本の伝統的な家庭と称するもなは、明治以降に作られたごくごく短期間にできた理不尽なものです。それを盲信、あるいは縛られる風潮のおかしさを改めて感じますね。


 さて、まひろはその言い分には理解を示すものの「されど、若君もおられますよね?」と現実的な気がかりも口にします。しかし、ききょうは一寸、渋い顔をしたものの「息子も夫に押っつけてしまうつもりです。息子にはすまないことですが」とあっさりしています。お前も育児の大変さを知れ的なことでもなければ、息子への愛がないわけではありません。
 彼女は切実な表情をすると「私は私のために生きたいのです」と訴えます。若くして、恋愛結婚と出産をしたききょう(打毬のときには一子がいます)、だからこそ、雅なる宮中の最先端文化への抑えがたい好奇心と憧れを自覚したのではないでしょうか。

 そして、その思いは「広く世の中を知り、己のために生きることが他の人の役にも立つような、そんな道を見つけたいのです」…つまり、自分に正直に生きることで世の中の役に立てるという自負に支えられていることは見逃せません。
 殊に「己のために生きることが他の人の役にも立つ」生き方は、まひろが民を救いたいという志とも合致します。ですから、ききょうの言葉と自由奔放さと強い意思は、まひろの心に深く刺さり、強く生きなければならないまひろにとって、かなり示唆的なものになるのかもしれませんね。


(2)まひろとききょう、相容れない価値観

 しかし、自分の生きるべき道を貫こうとするという大枠は共有できる二人ですが、「進むべき道」は真逆です。
 ききょうの視野には、宮中の雅な世界しかありません。彼女はそれに触れ、自分の感覚や才を高め、最先端の宮廷文化をとおして、趣や美について語りたい。それが、彼女の考える世の中への貢献です。さしずめ、宮中文化をとおした美のインフルエンサーというのが、ききょうになるのではないでしょうか。

 そうした目線ですから、ききょうはまひろの民を救いたいという志には理解を示しません、というよりも関心すらありません。そもそも、まひろの家に来た際、すれ違った農夫の子たねを一瞥するなり、あの汚い子は何かと聞いていますし、文字を教えていると聞いても「なんと物好きな…」と呆れるばかり。まひろのささやかな実感など伝えようもありません。

 民に文字を教え、世を少しでもよくしたいというまひろの志について、ききょうは「我々貴族の幾万倍も民がいますのよ」と困惑気味に答えますが、「それでも何かしなければ始まらない」と言うまひろには、その途方もなさに言葉を失います。ききょうからすれば、あまりに非現実的にものであること、そして貴族の私たちが民を救うことに何の意味があるかわからないのでしょう。
 貴族には貴族の生き方があり、貴族としてのあり方を磨き、広め、伝えていくことに価値を見出だす、ききょうとは真逆だからです。彼女にとって、民とは雅な貴族文化とは相容れない、取るに足らない下賎の輩でしかないのです。


 実際、清少納言は「枕草子」の「にげなきもの」の段で、「下衆の家に雪の降りたる。また、月のさし入りたるもくちをし(意訳:素姓のいやしい者の家に雪が降り積もる。また、月が差し込むのも残念だ)と述べ、身分に似合わぬ事物を憎みます。
 また鶯についても「あやしき家の、見所もなき梅の木などには、かしがましきまでぞ鳴く(意訳:みすぼらしい家の貧弱な梅の木などには煩いほど鳴いている)と酷評しています。
 宮中文化の美のインフルエンサーとしては、貧しく卑しい身分の者たちの有り様は眉をひそめるものでしかなかったのですね。こうした庶民蔑視をあからさまに書いてしまうのは清少納言たるところですが、彼女が特別、庶民蔑視だったわけではありません。これが穢れを嫌う平安貴族の一般的感覚だったと理解するほうが妥当でしょう。寧ろ、親友、直秀の死があったとはいえ、民に思いを寄せる本作のまひろと道長が特殊すぎるのです。

 したがって、まひろとききょうは、思いは共有すれども、価値観は相容れないのです。それはいずれ決定的な違いになるかもしれません。そして、結局、まひろの志を共有できるのは道長しかいません。


(3)まひろと道長の挫折

 ここまで、ききょうの裏側にある庶民蔑視について話しましたが、ではまひろと道長を全肯定できるのかと言えばそうではありません。彼らの民を救いたい思いは尊いものですが、それはあまりにも稚拙なものだからです。「光る君へ」は、まひろの「文字を教えて民を救う」という願いに安易に乗ることはありません。ある日、教えていたたねがやって来ないことを不審に思ったまひろは、彼女の家を訪ねます。そこでは、子どもでありながら父母に田畑で重労働を強いられるたねの現実です。

 戸惑うまひろに、たねの父は「うちの子は一生畑を耕して死ぬんだ。文字なんかいらねぇ」と罵倒します。日々を生きることだけでも大変な民にとって、明日への希望などありません。ただただ同じ辛い日々が一生続くという諦めしかありません。文字を遣う未来など思いつきもしないのです。勿論、「文字なんかいらねぇ」は間違いです。現実にそれで痛い目にあい、子どもを奪われている、あるいは騙されている民はいますから。

 しかし、現実の日々が大変な彼らにその必要性を説き、理解してもらうのは至難の業です。まひろは、彼らの絶望しきった、追いつめられた生活を知りません。貧しいといっても、まひろは貴族です。まだ十二分にましな生活をしているのです。彼女はその身分ゆえに庶民との間に大きな隔たりがあります。その隔たりに無自覚なまひろでは、わずかでも彼らに寄り添うことはできません。

 たねの父の捨て台詞「俺ら、あんたらお偉方の慰みものじゃねぇ!」が、まひろに深く深く突き刺さります。おそらく視聴者の方々も、まひろの善意は自己満足ではないのかと危惧していたと思っていたでしょう。その危惧は、やはり現実として突きつけられてしまいました。

 民への憐れみ、それは結局、民を対等に見ていないことでもあります。だから、民の現実の一側面を見ただけで、「文字を教えたら民を救えるかも」という発想すること自体が、無自覚な傲慢、欺瞞へとつながってしまうのですね。彼らが日々の生活で何を欲しているのかが何も見えていないのです。善意だけではかえって害になります。
 彼女の「民を救いたい」との思いが本気であるのならば、彼女は自分が貴族でしかないことを自覚しなければなりません。その上で、もっともっと民を知り、現実を見つめ続ける必要があるのかもしれませんね。
 中途半端な今のまひろには、4年経ち、今なお道を見定められず、なにもできずにいる自分の無力と不甲斐なさを思い、自身の志について、半月をみながら、「あの人」(道長)を想うことしかできません。


 そして、同じようなミスをしでかしているのが、道長です。道隆に呼び出された道長は、何度却下されても検非違使庁の改革案を出していることを咎められます。それでも、道長は「諦めません」と譲りません。「検非違使庁の僕は裁きの手間を省くため罪人を秘かに殺めておりまする。そのような非道を許せば、国は荒みます。民が朝廷を恨みます」と、この国の政治が民のことを考えていないという現実に目を向けるべきであると訴えます。

 道長は4年経った今もなお、あの日、直秀を自らのミスで死なせてしまい、まひろと共にその手で葬ったことを忘れていないことが、この訴えには込められています。あのときまひろと共有した慚愧の念と哀しみは、今も政治家としての道長の原点なのですね。おそらくは、文箱にしまったまひろからの漢詩を時折、眺めながら、その初心を思い返してのでしょう。初志貫徹しようとする、その姿勢だけは、見上げたものですね。


 しかし、道隆は聞く耳を持ちません。さまざまな理由をあげますが、要は「貴族と民は違う。民がどのように処されようと我らが知ったことではない」ということです。道長は、人を人と思わぬ態度に「身分の高い者だけが人ではありません!」と怒りを滲ませますが、「下々のことは、下々に任せておけばよい」とはぐらかされた挙句、定子を中宮にするため公卿を説得せよという前例を覆す無理難題を命じられてしまいます。

 無論、道隆は民のことなど関心はありません。知りたくもない。貴族だけが人だと思っている人間です。しかし、一点、彼の言っただけは「下々のことは、下々に任せておけばよい」は一理あります。まひろの失敗を見てもわかるとおり、平安期では、どんなに寄り添おうとしても貴族と庶民の格差は、身分だけでなく、価値観も生き方も何もかもが違いすぎます。二つの身分に横たわる絶望的な溝は、容易に埋められるものではありません。ですから、たとえそれが間違ったことだとしても、下々の慣例に任せたほうが結果的に最悪を避けられる場合があるのです。


 そもそも、直秀を死なせたのは、道長が下々の慣例に中途半端に介入したことが大きな要因でした。検非違使庁一つを改革すれば、その悪しき慣例が収まるとは限りません。かえって、悪化する場合もあります。
 法やら仕組みは、体系をなしています。一個一個の法が単独で存在しているわけではありません。ある点を変更すれば、それが他にどんな影響を与えるのか。それは仕組みだけでなく、人々の実生活にまで影響を与えます。だから、世の中は法や仕組みを変えるとき、その影響力について入念に検討するのです。そう考えると、自分の失敗がわかっていながら、道長は結果を出そうと性急に事を進め過ぎていることがわかります。


 彼の場合は、政治家としてもっと大局から、法を始め世の中の仕組みというものを学び、理解する必要があるのでしょう。
 そのことは、兼家からの遺言「民に阿るな」の意味を理解することにもつながります。彼はまだ「民のための政治をすること」と「民に阿る政治」の区別がついていません。「民に阿る」はただのポピュリズム、人気取りでしかありません。これは現在の政治のが、蔓延していますから、例をあげるまでもないでしょう。前者は、もっと大局的で客観的な目線に立つものです。ときには民から恨まれるものにもなるはずなのです。その違いを、道長は見極めなければ、まひろとの誓い「民を救う」は果たされません。

 また、もう一点、道長の問題は、前回の参議での発言もそうですが、正攻法すぎるんですよね。理を説けばわかってくれるというよな性善説では政治は回りません。政治とは、兼家が腐心したように駆け引きと根回しと妥協が必要です。多くの味方を得て、初めて、事を成せるというもの。強引にことを勧めることを好まない優しさを持つ彼ならば、兼家以上に和を重んずることも可能化もしれません。彼は亡くなった兼家に問いかけながら、自分の道を模索するしかないのでしょう。


 ともあれ、ままならない願いに口惜しさを滲ませる道長も「俺は何一つなしていない…」と自分の無力を恥じ、半月を見上げ、まひろを思います。二人は、恋路以上に志について想うとき、月を見て通じ合います。やはり、恋愛というよりもソウルメイトといったほうが正しいように思われます。

 ただ、道長がここまで性急にしゃにむに改革を進めたかったのは、まひろとの約束が叶えば、晴れて彼女に堂々と逢えるのではないかではないでしょうか。彼は未だにまひろが唯一の人なのでしょう。彼女に恥じない男に早くなりたいのです。そう考えると、第14回の冒頭、土御門殿でまひろと顔を合わせたとき、一瞥することもなくすっとかわして通っていったのも説明がつきます。彼は、まだ何も成していないから、まひろに逢うわけにはいかなかったのです。そして、そのことで余計に今の無力さに焦れたことでしょう。


おわりに
 兼家の死によって、三兄弟、それぞれの抱える「家」の争いは避けられない状況です。それは、定子の中宮立后で道隆の政が独裁の体をなしてきたからです。彼は公卿たちの説得すら無視し、前例についても「そもそも前例の一番初めには、前例なぞなかったであろうが」と屁理屈を言い立て、そして定子にベッタリの一条帝を説き伏せ、まんまと「朕は定子を中宮とする」と言わせ、周りの反論を封じます。

 その手管自体は権力者らしい果断さに満ちており、多くの公卿を出し抜く機敏さも申し分ありません。しかし、そうした兼家譲りの…いやそれ以上の剛腕は、完全に摂政家が権力を掌握している今、必要なものとは言いかねます、
 第14回noteその1でも話しましたが、権力の維持と発展に必要なのは、他を圧する剛腕以上に和を尊び、味方を多く作っていくような政です。兼家が何のために、自身が招いた恨みつらみを引き受けて、黄泉へ旅立ったのか…。道隆の世は盤石ですが、その一方で既に多くの不満が生まれ、恨みを買うことになりそうです。「まっさらな道」は、もしかすると血で染まることになるかもしれません。

 こういう中で、三兄弟の政争が始まろうとしています。そして、その政争では、「家」を支える女性たちの選択が大きく関わってくるのかもしれませんね。そうしたことを意識させるように、さまざまな女性たちの選択が、兼家の死後の出来事として多く描かれたようにも見えますね。


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